扶余諸語

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三国時代の朝鮮半島。扶余は、この地図上の高句麗の北部一帯に位置する。

扶余諸語または扶余語族(ふよ、朝鮮語:부여(Buyeo)、中国語:扶余(Fúyú))とは、朝鮮半島北部、満州南部、あるいは、日本列島までも含むと考えられている仮説上の語族あるいは諸語。 中国の歴史資料[要出典]に基づけば、扶余(夫余)高句麗東濊沃沮百済、あるいは、恐らく古朝鮮も言語が近いとされ、濊貊も近縁と考えられる。

扶余諸語の分類[編集]

扶余の言語については、記録が少なく、いくつかの論争がある。

「日本・高句麗語族」仮説[編集]

日本・高句麗語族
扶余語族
話される地域: 朝鮮半島日本列島満州南部
言語系統: 論争中の語族
下位言語:

朝鮮半島の国家、百済は高句麗の王族によって建てられ、その先祖は扶余に遡ると考えられている[要出典]。 百済は後に、大和時代の日本と密接な関係を持つようになり、クリストファー・I.ベックウィズ英語版は、この時点の日本語には、まだ扶余との関連性が認められると指摘する。 ベックウィズは、古代の地名から140の高句麗語の単語を再構築した [1] 。この中には、属格-の」や形容詞連体形-し」のように、日本語と機能が類似し同一起源と見なせる文法的形態素が多く含まれる。

「扶余・新羅語族」仮説[編集]

扶余・新羅語族
古朝鮮諸語
話される地域: 朝鮮半島満州南部、日本列島?
言語系統: 論争中の語族
下位言語:
扶余諸語

金芳漢ボビンアンガーなどの研究者は、高句麗語ならびに扶余諸語を古代朝鮮語の一部に分類する。 彼らは、地名研究によって抽出された日本語に類似する単語が朝鮮半島中部に特に多いことを指摘し、これらの地名が高句麗語を反映したものではなく、朝鮮半島中部および南部における前期高句麗の集団を反映したものであるとの仮説を唱えた。 朝鮮半島南部の新羅の歴史的故地に日本語に類似する地名が多く見られることについて[2]、 研究者たちは日本語系の言語が朝鮮半島、恐らくは、その内の伽耶において話され、新羅語はその基層言語である、との理論を提案した。 アンガーは、弥生人の祖先は朝鮮半島中部ないしは南部から日本列島へ移住したのではないかと考えている。 扶余、高句麗の歴史的故地である朝鮮半島北部および満州南西部においては、日本語に起源を持つ痕跡は見つかっていない。 一方で、朝鮮語系の地名は、満州から朝鮮半島南部までの朝鮮三国全域に広がっている。

関連項目[編集]

参考文献[編集]

  • 2006. "Methodological Observations on Some Recent Studies of the Early Ethnolinguistic History of Korea and Vicinity." Altai Hakpo 2006, 16: 199-234.
  • Alexander Vovin, 2005. "Koguryǒ and Paekche: Different Languages or Dialects of Old Korean?" Journal of Inner and East Asian Studies, 2005, Vol. 2-2: 108-140.
  • Blažek, Václav. 2006. "Current progress in Altaic etymology." Linguistica Online, 30 January 2006
  • Hong, Wontack (2005). "Tripolar Interaction: Mongolian Steppe, Manchuria and Mainland China The Tripolar Framework of Analysis". East Asian History: A Korean Perspective 1 (4). 

脚注[編集]

  1. ^ Christopher Beckwith, 2004. Koguryo, the language of Japan's continental relatives
  2. ^ Blažek 2006, p. 6.