戸沢盛安
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| 戸沢盛安 | |
|---|---|
| 時代 | 戦国時代 |
| 生誕 | 1566年(永禄9年) |
| 死没 | 1590年(天正18年) |
| 主君 | 豊臣秀吉 |
| 氏族 | 桓武平氏戸沢氏 |
| 父母 | 父:戸沢道盛 母:本堂親条の娘 |
| 兄弟 | 戸沢盛重、戸沢光盛 |
| 妻 | 正室:不明 側室:仙北在家の娘 |
| 子 | 戸沢政盛、養子:光盛 |
戸沢 盛安(とざわ もりやす)は、、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。出羽角館の・戦国大名。家系は桓武平氏平衡盛を祖とする戸沢氏18代当主。
[編集] 生涯
1578年、病弱な兄戸沢盛重にかわって、13歳の若さで家督を相続する。智勇に優れた将で、「鬼九郎」、「夜叉九郎」の異名を取り、その武勇を恐れられたという。現に、戦いで盛安は総大将ながら常に陣頭に立って、単騎で敵勢の中に突っ込むという荒武者であった。しかし、捕虜の兵士は斬らずに逃がしたといい、優しい側面もあった。
この頃の戸沢氏は16代当主道盛からの家臣団の掌握、領国経営の安定化も実り、18代盛安は勢力拡大に奔走した。 やがて北浦郡を平定した盛安は、1586年の阿気野の合戦で、盟友・楢岡氏の手引きによって上浦郡沼館城へ進軍し勝利。沼館城主大築地秀道配下の敵将小清水蔵人を両断したとの逸話も残る。こうして小野寺氏を破り上浦郡へ進出し、翌年には仙北に侵入した安東愛季を唐松野合戦で破って淀川城を奪回するなど、現在の秋田県の角館地方を中心に確固たる勢力基盤を築き上げた。
さらに、1579年には織田信長に鷹と名馬を送って誼を通じ、1590年の豊臣秀吉の小田原征伐にわずか九騎ながらも参陣して、北浦郡4万4千石の所領を安堵された。
優秀な外交能力で戸沢氏の最盛期と安泰をもたらした盛安だが、小田原征伐に参陣中に病死した。嫡男政盛は4歳だったため、弟の光盛に家督を譲ることを秀吉に託したという。