戦国時代史料の一覧

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戦国時代史料の一覧 ここでは、日本の戦国時代についての史料の一覧を記す。史料価値については諸書を按じたが、研究者間でも史料の評価については諸説がある[1]ことに留意されたい。 なお、詳細は個々の項目を見られたい。

日記・実録[編集]

日記は一般的に史料価値が高いとされており、古文書に次ぐ第一級史料とされることが多いが、後世の加筆などもあり取り扱いには慎重を要する。[2]

甲斐国窪八幡神社の別当寺である普賢寺住職による年代記。
武田氏家臣の日記。武田家の家政に関する記録が豊富で、武田三代期の基本史料。
甲斐国塩山向嶽寺の歴史住職により書き継がれた年代記。創建以来の向嶽寺史や武田氏との関わりに関する記事が豊富。
富士北麓地域の年代記。武田氏をはじめとする領主の動向や甲斐・駿河の政治的事件のほか、災害や生業に関する記録も多い。
慶長の役に医僧として動員させられた浄土真宗僧侶慶念の従軍日記。僧の視点から見た、当時の生々しい朝鮮半島の戦場の様子が記録されている。
相良氏八代側の家臣(八代談合衆中)によると思しき日記。

軍記物[編集]

→「軍記物

著者不詳。元禄頃の成立。明智光秀の唯一の伝記。しかし史料的価値は低いとされる。
安芸毛利氏を中心に中国地方の戦国時代を描写した戦国軍記。17世紀末頃の成立。岩国藩の家老香川正矩著。毛利元就礼讃の傾向が強い。
東北地方の戦国時代を描写した戦国軍記。元禄11年の成立。久保田藩の医師戸部正直著。
蒲池氏の盛衰記。
加賀冨樫氏と加賀一向一揆の抗争を記した軍記。
大友氏を中心とした九州北部の軍記。
甲斐武田氏の歴史、戦術などを記した軍学書。武田信玄の重臣高坂昌信が書き残した記録をもとに江戸時代に軍学者小幡景憲が脚色・創作を加えたものとされるが、史実と大きく異なっている点も多く、史料としての評価は分かれている。
織田信長家臣の佐久間氏と一部柴田氏について桶狭間の戦いから大坂の陣までの記録。
太田牛一の著作『信長公記』を底本に儒教的価値観に基づき創作や脚色加えて書いたもの。資料的価値は低いが、江戸時代を通して広く読まれた。
長宗我部氏の興亡を描いた軍記物語。
阿波三好氏を中心とした軍記。
龍造寺氏の興隆を描いた軍記。実際の出来事の前後の間違いや年号の間違い、またこれにしか記述のない常識的ではない出来事などが散見される。
相良氏についての軍記。
越後上杉氏についての軍記。甲陽軍鑑の影響と上杉流軍学喧伝の傾向が顕著であり、史料価値は高くない。
龍造寺氏を中心とした肥前国に関する軍記。
長宗我部元親についての軍記。

覚書・聞書[編集]

  • 川角太閤記』 川角三郎右衛門著?
  • 『国友鉄砲記』 
当時、鉄砲の生産地として栄えた近江国国友村の鉄砲鍛冶の記録。

江戸期の編纂史書[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 例えば、藤本正行らが史料価値を高く評価し、一般的には良質な史料と言われている『信長公記』ですら、本郷和人が史料批判しているように首巻の年代には大幅な誤記があり、学界で議論の対象になっている。本郷和人『戦国武将の選択』(産経セレクト、2015年)
  2. ^ 例えば『兼見卿記』は後に書き換えられたことが問題になった。詳細は当該項目参照。

関連項目[編集]