戦争論 (クラウゼヴィッツ)

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1832年にドイツで出版されたドイツ初版の『戦争論』の表紙

戦争論』(せんそうろん、: Vom Kriege)は、軍事学者カール・フォン・クラウゼヴィッツの著書である。

目次

[編集] 概説

戦争論は戦争という現象の理論的な体系化に挑戦した著書であり、近代における戦争の本質を鋭く突いた古典的名著として評価されている。著者のクラウゼヴィッツはドイツ観念論的な思考形態に影響を受けていたために非常に分析的かつ理論的な研究であり、そのため非常に普遍性の高い研究となっている。

『戦争論』における画期は、それまで「戦争というものがある」「戦争にはいかにして勝利すべきか」という問題から始まっていた軍事学において「戦争とはなにか」という点から理論を展開したという部分にあると言える。また、攻撃や防御といった概念について、体系的かつ弁証法的に記述してあるという点にも注目できる。クラウゼヴィッツの弁証法的思考形態は、ヘーゲルの著作を通して得たものではなく、19世紀初頭における同時代的な思想形態の変遷の中ではぐくまれていったものである。

戦争についての記述はこの著作の最も注目すべき箇所であり、定義・本質・性質・現象など戦争に関する幅広い事項が議論されている。「戦争とは他の手段をもってする政治の継続である」という記述はこの著作の戦争観を端的に表したものの一つである。クラウゼヴィッツにとって戦争とは政治的行為の連続体であり、この政治との関係によって戦争はその大きさや激しさが左右される。

この研究は国民国家が成立する近代において、戦争の形態がそれまでの戦争とは異なる総力戦の形態への移行期に進められたものである。そのため本書の叙述では、同時代的な軍事問題についての叙述を多く含むものでもある。近年の研究において重要視されるのは戦争の本質や政治との関係を論じた第一編「戦争の本性について」とより明確に戦争と政治との関係を取り上げた第八編「戦争計画」であり、戦争の本質についての分析は現在でも高く評価されている。

同時代の研究としてジョミニの『戦争概論』があるが、これは普遍的な戦争の勝利法があると論じたものであり、戦争論とはその内容が大きく異なる。ジョミニの研究は実践的であり、後の軍事学に多岐に渡る影響を及ぼしたと評価されているが、一方でクラウゼヴィッツの研究は哲学的であったことからより分析的な軍事学に寄与し、政治研究にも影響を及ぼした。また『孫子』と対比されることがあるが、抽象性・観念論的な概念的な理解を中心とするクラウゼヴィッツの手法は、現在の政治学・安全保障・軍事・戦争研究においても幅広くその価値を認められる原因であり、その点が孫子とは大きく異なる。

[編集] 沿革

[編集] 著者略歴

著者のクラウゼヴィッツは1792年に12歳の年齢でプロシア軍に入隊し、士官として軍務に就いていた。1801年に士官学校でシャルンホルストの下で教育を受け、その後に政治学軍事学の論文を執筆する教養を習得する。1806年に所属する部隊が戦闘で敗北すると、講和締結まで一時的に捕虜になった。その後に陸軍省で勤務し、皇太子の軍事教育も担当する。1812年にフランス軍に対抗するために一時期はロシア軍に軍籍を置きながら参謀としてフランス軍と戦った愛国的な軍人でもある。ナポレオン戦争終結後にはベルリンの陸軍大学校の校長として勤務している。戦争論の原稿はこの頃に執筆されたものである。1830年に校長を辞任して、七月革命の余波を受けたポーランドでの暴動を鎮圧するために派遣されるが、1831年にコレラにより病死した。

[編集] 成立

ナポレオン戦争後の1816年ごろから執筆され始める。その出発点となったのは戦略学についての論文であり、この理論を拡大して戦争理論を構築した。したがってその理論は戦争論の本文でも述べられているように、実践的な目的を持ったものであった。著者死後の1832年から1834年にかけて夫人マリーが遺稿を三部にわけて編集し、出版した。遺稿をもとにまとめられたため、重複する部分や断片的な記述に終わっている部分が見られる。本人により完成していればより体系的かつ、コンパクトなものになっていただろうと指摘されることがある。

[編集] 日本での成立

日本に初めて伝えられた時期については諸説ある。既に幕末の頃に江戸城の御蔵書のなかに含まれていたという説、蘭語訳されたものを西周が持ち帰ったという説、長崎の出島を通じて入手した説などがあるようである。

しかし、本質的にそれが、戦争哲学を学ぶ書であるというものが理解され、軍人達の間でその存在が理解されるようになったのは、森林太郎(森鴎外)によってである。森が留学中に留学仲間と輪読していたことからもあわせてみても、戦争論の紹介者としての森の地位は揺るがない。また軍内で戦争理論の徹底を図り軍人勅諭の作成等一定の成果をあげた田村怡与造も見逃せない。

その後、多くの翻訳が出されており、馬込健之助(淡徳三郎)、篠田英雄、清水多吉、日本クラウゼヴィッツ学会訳などが出版されたが、現在、邦訳で入手可能なものでは、清水多吉訳、日本クラウゼヴィッツ学会訳版が、最も原本に忠実なものとなっている。

[編集] 内容

戦争論の内容は8篇から構成されている。戦争の本性、理論の戦争と現実の戦争の相違、戦争の目的と手段などを論じた第1篇「戦争の本質について」、軍事学のあり方やその方法論について論じた第2編「戦争の理論について」、戦略を定義し、従来の時間、空間、戦力の戦闘の基本的な三要素だけではなく、精神的要素を考察の対象として分析した第3編「戦略一般について」、戦闘の一般的性質や勝敗の決定について物質的側面と精神的側面から分析した「戦闘」、第5編「戦闘力」、防御の戦術的性格や種類、戦略的な位置づけを論じた第6編「防御」、攻撃の戦術的性格、勝利の極限点を論じた第7編「攻撃」、理論の戦争と現実の戦争の関係を述べた上で戦争計画の要点を論じた第8編「作戦計画」、以上がその内容である。

[編集] 戦争

戦争がどのような本質を持つのかを明らかにするためには戦争の多様な在り方を説明できるような理論が必要である。そこでまず戦争における暴力性に着目するところからクラウゼヴィッツは議論を始める。そもそも戦争の内在的な本質とは単純化すれば敵対する二者による決闘の性質がある。そこで「戦争とは、敵を強制してわれわれの意志を遂行させるために用いられる暴力行為である」として戦争を単純に捉えた場合、戦争の本質は暴力の行使であり、またその目標は敵の戦闘力の粉砕にあるということが分かる。戦争におけるこのような暴力の行使には三つの相互作用が認められる。つまり敵に敵対的感情を抱く相互作用、敵の戦闘力を粉砕しようとする相互作用、そして敵の戦闘力に応じた我の戦闘力を準備しようとする相互作用の三つである。これらの相互作用によって戦争における暴力の行使は原理的に拡大しようとする。

しかしながら、現実世界のあらゆる戦争において暴力が極限的に行使されていると考えることはできない。クラウゼヴィッツはここで暴力性ではなく戦争における政治性に着眼点を移す。つまり戦争は孤立的行為ではなく、また一度の決戦で成立することも、戦争の戦果が絶対的なものではないと考える。ここで改めて戦争における政治的目的が見直されることになる。そもそも敵に対して要求する犠牲を小さくすれば、敵の抵抗は小さくなり、したがって我が支出すべき努力も小さくなる。政治的目的が戦争において支配的であるために軍事行動はその暴力の極限性を弱化させ、皆殺しの戦争からにらみ合い状態までさまざまな種類の激しさを伴う戦争が生じることになる。

さらに戦争における政治の蓋然性の法則と暴力の極限性の法則を以って戦争の多様な形態を説明できたとしても、これだけではまだ説明することができない事態がありうることをクラウゼヴィッツは指摘する。それは戦争においてしばしば生じる軍事行動の停止という事態である。そもそも戦争における両軍の将軍の利害は完全に対立するものとして考えられるが、これは戦場における両極性と考えることができる。言い換えれば戦闘は片方が勝利すればもう片方が原理的に敗北することになるという一般的な性質が存在する。しかし戦場における両極性は一つではない。これは軍事行動の攻撃防御がそれぞれに両極性を持つことによるものである。つまり攻撃を行うことを決心しようとするならば、防御の利益を超える攻撃の利益が約束されなければならないということである。軍事行動の停止はこの攻撃と防御の損得の相違による二種類の両極性の法則の結果である[1]

クラウゼヴィッツは戦争をカメレオンに例えてその規模、形態、情勢が変動していくものと考えた。そしてその戦争の全体を支配している諸傾向を概観すると、主に国民による憎悪や暴力性をもたらす傾向、主に軍隊による自由な精神活動としての傾向、そして主に政府による従属的傾向の三つから三位一体が成り立っているとまとめている。この三位一体の各要素はそれぞれに固有の役割を持っており、これらの主体や相互の関係を無視して現実の戦争を見ることは不可能であると論じている。

[編集] 戦略

クラウゼヴィッツにとって戦略とは戦争目的のために戦闘を使用する教義であり、戦略の対象となるものは戦闘である。戦略においてまず全ての軍事行動にその目的に合致した目標を設定する必要がある。そして戦略に従って戦争計画を立案し、個々の戦役に対する見通しを以って個々の戦闘を位置づける。戦略における問題は科学的な形式や課題を発見することではなく、そこに作用している精神的な諸力を把握することである。

戦略においてあらゆるものごとが単純であることと、その実践が容易であるとは限らない。達成すべき目標を設定したとしても無数の要因によって方針を転換することなく、計画を完遂するためには自信と知性が必要である。戦略においては戦術と異なってあらゆることが緩やかに進行するためその状況判断は推測に依存せざるをえず、したがって決断不能な状況に陥りやすい。

戦略において考察される諸要素は以下の五点に集約できる。まず戦闘における将軍の才能、武徳、国民精神などの精神的特性とその作用を含む精神的要素、戦闘力の量的な大小や質的な組成を含む物理的要素、作戦線の角度、空間や時間における兵力集中や節約に関する数学的要素、制高地点、山岳、河川、森林、道路などの地理的要素、兵站や休養を含む統計的要素に分類できるが、これら諸要素は相互に連関したものである。

[編集] 戦闘行動

防御攻撃の関係についてクラウゼヴィッツはその行動の受動性と能動性から区分する。防御という戦闘行動とは敵の進撃の撃退であり、攻撃は逆に敵を積極的に求める戦闘方式である。戦争において一方的な防御はありえず、防御と攻撃は彼我の双方向の戦闘行動によって相対化する。ただし防御の目的とは攻撃の奪取に比較して維持であるため、その実施は容易である。そのためクラウゼヴィッツは防御形式は本来的に攻撃形式よりも有利であると考える[2]。しかし攻撃を行わなければ敵の戦闘力を打倒するという戦闘の目的は達成することはできない。

つまり攻撃と防御とは交代しながら行われるものである。その理由には攻撃と防御のそれぞれの戦術的性質が異なっているだけでなく、戦闘力の一般的な性質からも考察できる。戦力の衰弱をもたらす要因としては、決戦後にも継続される戦闘、後方支援の確保、戦闘における損害、根拠地と前線の距離の増大、要塞の攻囲、労苦の増大、同盟軍の戦線離脱の要因がある。このような要因による戦闘力の総量の消耗は敵の精神的、物質的な戦闘力の損耗によって相対的に解消されるものであり、戦術的勝利はこの戦闘力の均衡において圧倒的な優位があるために獲得されるものである。

しかしながら戦争において勝利者が軍事的努力によって一名残らず殲滅できるとは限らないだけでなく、戦闘力は勝利後も既に述べたさまざまな要素によって次第に減退していくものである。攻撃を行うことは常に戦闘の目的である敵戦闘力の打破に寄与するものであるが、攻撃によって獲得した戦果は時間の経過とともに逓減していくものだと理解できる。ここで攻撃によってのみえられる戦果の限界量を導入することが可能となり、これを攻撃の限界点とクラウゼヴィッツは命名する。この攻撃の本質的性格を考慮すれば、防御とはこの攻撃の内在的な欠点を補うため、つまり攻撃の限界点においてそれまで獲得してきた戦果を保存するため、状況に応じて選択される戦闘行動として位置づけることができる。

[編集] 戦争計画

戦争計画は軍事行動のすべてが総合されたものであり、計画中のさまざまな目標は戦争目的と関係付けられる。戦争の自然的な性質として敵の壊滅が軍事行動の狙いであるものの、さまざまな現実の状況がそれを阻害する。

クラウゼヴィッツの戦争理論は、まず理論上の視座である絶対戦争の理念型を暴力や政治の必然性から構築し、これに基づいて現実の戦争を理解しようとするものである。絶対戦争ではすべての諸要素が必然的な法則によって成立しており、戦闘は一連の体系を持ち、勝敗には極限点があり、その分岐を超えたときに敗北が決定される。しかし戦争史における現実の戦争は個々に分裂した戦闘の集合であり、それぞれの戦果は相互に影響するとは限らない。このような戦争の必然性と現実の乖離はさまざまな要素によって引き起こされている。

まず戦争において、軍事的努力の大小は、双方の政治的要求の大小、彼我の力関係と諸般の事情、政府の特性や能力によって決定される。しかし戦争においては、努力が不十分だと、失敗するだけでなく害悪が生じうるため、お互いに相手より優越しようという相互作用が生じる。したがって政治的要求の大小にかかわらず敵の戦闘力を破壊するという純粋な軍事目標に集中し、それ以外の事柄への配慮を失うことが重要となる。

しかし戦争は政治の道具である。そのため戦争本来の姿から生じる厳しい結果を避け、遠い将来の成果よりも近くの結果に関心が集中する。この結果、戦争は必然性から離れ、不確実な一種の賭博行為となり、各国政府が行う政治は、この賭博行為に勝つ技術と洞察力を互いに競い合うものになる。戦争に必要な主要計画は全て政治的事情に対する考察が必要であり、政府と統帥部の意志が統一されなければならない。その方法の一つとして内閣の一員に最高司令官を加えることを挙げている。

以下、クラウゼヴィッツは、攻勢的戦争、防御的戦争それぞれにおいて重要な点を述べている。最後に、敵の完全打倒を目指す戦争計画の立案にあたって二つの原則を提案している。それは敵の兵力の重心を可能であれば一個の重心に集中することであり、この重心に対する行動を単一の主要行動に限定することである。そして可能な限り迅速に行動し、停滞を回避しなければならないことである。

[編集] 研究史

本書『戦争論』は戦争研究に最も大きな影響を残した研究のひとつであった。クラウゼヴィッツの死後に1832年に『戦争論』が出版されてから1500部が売れるまでには20年かかっており、広く知られるまでは時間がかかった。しかしその理論の価値は多くの戦略思想家を通じて幅広く認められるようになる。

[編集] 近代ドイツの研究

しかし近代ドイツにおいてクラウゼヴィッツの研究が全面的に肯定されることはなかった。モルトケはクラウゼヴィッツの理念を実践したと見なされており、またゴルツはクラウゼヴィッツをジョミニと並ぶ偉大な軍事思想家として高く評価している。

しかしシュリーフェンはクラウゼヴィッツを殲滅線理論の創始者として見なしていたことから分かるように、彼らにとってのクラウゼヴィッツは絶対戦争を主張する軍事思想家であり、二重構造となっている戦争理論が正当な評価を受けたわけではなかった。その結果として第一次世界大戦でドイツ軍を指導したルーデンドルフは『総力戦』においてクラウゼヴィッツの戦争理論は第一次世界大戦のような戦争の形態が登場したことで時代遅れであると断定し、政治の優位性の理論を逆転させて政治が戦争に従属することを主張した。

こうして絶対戦争の理論だけが抽出されて理論的に再構成され、変容させられいく。リデル・ハートは殲滅戦の理論家としてのクラウゼヴィッツに対する批判を『ナポレオンの亡霊』などで加えており、この批判は彼の間接アプローチ戦略という思想の成立をもたらした。

[編集] マルクス主義の研究

クラウゼヴィッツはマルクス主義の軍事理論にも大きな影響を与えている。マルクスの『資本論』の執筆に関わったエンゲルスは1857年には本書に出会っており、マルクスに手紙で読むことを推薦している。

ロシア革命の指導者となるレーニンはクラウゼヴィッツを尊敬し、『戦争論』の研究を通じてドイツ語の抜粋とロシア語の傍注から構成される『クラウゼヴィッツ・ノート』を作成している。ここでは戦争が政治の延長として位置づける議論が革命理論を背景としながら解釈されている。

日中戦争の指導者であった毛沢東はこのレーニンの革命戦争の理論よりもさらに土着的な基礎付けを与えて革命戦争理論を『遊撃戦論』で確立した。この毛沢東の理論は多くの革命家に継承されており、インドシナ戦争ではホー・チ・ミンの戦争指導の理論的基礎となっており、『人民の戦争・人民の軍隊』としてまとめられている。

[編集] 現代のクラウゼヴィッツ研究

第二次世界大戦後の研究で、クラウゼヴィッツの解釈者たちの思想の系譜やクラウゼヴィッツの思想についての再評価が進められている。

1963年カール・シュミットによる『パルチザンの理論』ではクラウゼヴィッツをレーニンや毛沢東などのマルクス主義を背景とする戦争理論の思想史の出発点に位置づけている。1976年にフランスの哲学者レイモン・アロンは『戦争を考える クラウゼヴィッツ』は戦後の戦争に関する議論の中でクラウゼヴィッツを再評価した。

さらに1979年にハンス=ウルリヒ・ヴェーラーによる論文『ドイツ戦争学説の退廃〈絶対〉戦争から〈総力〉戦争へ、或いはクラウゼヴィッツからルーデンドルフへ』においてクラウゼヴィッツの絶対戦争の議論では政治が大規模化また強力化すれば戦争もまたそのようになり、最終的に絶対戦争となると論じられる。この議論にはルーデンドルフの全面戦争との接点が認められるが、本質的には異なる概念であり、ルーデンドルフはクラウゼヴィッツの政治と戦争の関係を逆転させたと論じた研究である。

またアロンの議論に反論する立場からギリシアの学者パナヨティス・コンディリスはドイツ語で『戦争の理論 クラウゼヴィッツ、マルクス、エンゲルス、レーニン』を1988年に発表し、戦争論を内在的に理解しようとする思想研究で業績を残した。コンディリスによれば政治目的と戦争が政治的交渉という地平を共有しているが、政治の継続としての戦争という定式を逆転することはできない。

2001年に発表されたアンドレアス・ヘルベルク=ローテの大学教授資格取得論文『謎としてのクラウゼヴィッツ』では『戦争論』が未完であるために多くの謎が含まれており、クラウゼヴィッツが戦争の謎を新規に定式化したのかを論じている。ヘルベルクはクラウゼヴィッツの思想の変化に着目して前期のクラウゼヴィッツが三つの相互作用によって戦争における暴力の極大使用を重視しているが、後期になると戦争を制約する政治の可能性について関心を向けたことが論じられている。

[編集] 参考文献

[編集] 翻訳書

  • クラウゼヴィッツ著、清水多吉訳 『戦争論』(上・下) 中公文庫。ISBN 4122039398, ISBN 4122039541
  • 日本クラウゼヴィッツ学会訳 『戦争論 レクラム版』 芙蓉書房出版、2001年。
  • クラウゼヴィッツ著、篠田英雄訳 『戦争論』(上中下) 岩波書店〈岩波文庫〉
  • クラウゼヴィッツ著、淡徳三郎訳 『戦争論』(現代人の古典シリーズ10)徳間書店

[編集] 研究書

  • ピーター・パレット著、白須英子訳 『クラウゼヴィッツ 戦争論の誕生』(中公文庫BIBLIO、1991年)
英訳者による最も代表的な研究評伝、英訳版と同時刊行。
  • レイモン・アロン著、佐藤穀夫・中村五雄訳『戦争を考える クラウゼヴィッツ』(政治広報センター、1978年)
  • ハンス・ロートフェルス著、新庄宗雅訳『クラウゼヴィッツ論 政治と戦争 思想史的研究』(鹿島出版会、1982年)
  • シュミット著、新田邦夫訳『パルチザンの理論』(福村出版、1972年)
  • ゲルハルト・リッター著、新庄宗雅訳『政治と軍事』(私家版、1985年)
  • クラウゼヴィッツ協会編、クラウゼヴィッツ研究会訳『戦争なき自由とは 現代における政治と戦略の使命 クラウゼヴィッツ生誕200周年記念論文集』(日本工業新聞社、1982年)
  • 清水多吉石津朋之編 『クラウゼヴィッツと「戦争論」』(彩流社、2008年)
クラウゼヴィッツと『戦争論』に関する最新研究。清水多吉、三宅正樹川村康之石津朋之といった日本の研究者のほかにも、マーチン・ファン・クレフェルトウィリアムソン・マーレーヴィレム・ホーニヒなど国際的に有名な研究者が論文を寄稿している。
第Ⅱ部 クラウゼヴィッツ『戦争論』に学ぶがある。10篇
  • 井門満明『クラウゼヴィッツ「戦争論」入門』(原書房、1982年)
  • 郷田豊・川村康之ほか著 『戦争論の読み方 クラウゼヴィッツの現代的意義』(芙蓉書房出版、2001年)
防衛大学校関係者などによる研究書
  • 戦略研究学会編、川村康之編著『クラウゼヴィッツ 戦争論大系3』(芙蓉書房出版、2001年)
  • 本郷健『戦争の哲学』(原書房、1978年)
  • Kondylis, Theorie des Krieges: Clausewitz-Marx-Engels-Lenin(Stuttgart: Klett-Cotta, 1988).
  • Andreas Herberg-Rothe, Das Ratsel Clausewitz(Munchen: Wilhelm Fink, 2001).

[編集] 脚注

  1. ^ 両極性の法則についてクラウゼヴィッツは例を挙げて説明している。まず青軍と赤軍が戦場において対峙していると想定し、青軍は戦闘力から比較して劣勢である。つまり赤軍は攻撃を行えば青軍を撃破するという利益が得られることは現状において自明である。もしも戦場に単一の両極性があるだけならば赤軍は直ちに青軍に対する攻撃を開始すると考えられる。しかし現実ではそうではなく、優劣が明らかになっている戦況でも軍事行動はしばしば停止される。クラウゼヴィッツはこの事象を攻撃と防御の概念を導入して次のように考える。戦闘行動には攻撃と防御があり、防御は攻撃よりも強力な戦闘法であると言える。つまり交戦する両軍は攻撃によって得られる利益とは別の防御の利益も求めようとする。劣勢な青軍に対して優勢な赤軍が攻撃を実施するためには戦闘行動の基本的な二択、つまり防御の利益と攻撃の利益を比較して攻撃の利益が防御の利益に勝ると赤軍が確信しなければならない。この攻撃と防御の性質の相違が戦場における二種類の両極性の法則に現れている。
  2. ^ クラウゼヴィッツは戦略的成功の条件として、兵力、地形の優位性、奇襲、多面的攻撃、陣地の構築、人民の協力、精神力の利用を列挙している。防御においてはこの中でも特に地形の優位性が利用できることを強調している。つまり陣地や要塞の活用などは戦場において防者にのみ優位をもたらすものという議論である。ここでクラウゼヴィッツが想定している防御とは理論上において攻撃と比較される防御であり、あらゆる個別的状況において一般化できるものではない。

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク