戒厳

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戒厳(かいげん)とは、戦時において兵力をもって一地域あるいは全国を警備する場合において、国民の権利を保障した法律の一部の効力を停止し、行政権司法権の一部ないし全部を軍隊の権力下に移行することをいう。また、戒厳について規定した法令を戒厳令(英語:martial law)という。

本来は極端な治安悪化や暴動を中止させるために行われる。しかししばしば、非常事態宣言と共に、軍部によるクーデターで活用される。

戒厳の種類[編集]

戒厳を宣告するには、その地域が定められなければならない(全国の場合も理論的にはありうる)。日本の戒厳令においては、以下の2種類の戒厳地域区分が存在した。

臨戦地境
戦時にあって警備を要する地域。軍事に関する事件に限り、地方行政・司法事務が当該地域司令官の管掌となる。
合囲地境
敵に包囲されている、または攻撃を受けている地域。一切の地方行政・司法事務が当該地域軍司令官の管掌となる。

日本における戒厳[編集]

天皇が主権者であった大日本帝国憲法下の法体系においてこの戒厳の態様を規定していたのが1882年(明治15年)8月5日太政官布告第36号「戒厳令」であったことより、戒厳の宣告を行うこと自体をしばしば「戒厳令をしく」「戒厳令下に置く」というが、この表現は誤りである。「戒厳令」は「戒厳」を規定した法令の名称であり、「戒厳の布告」により、「戒厳令」に規定された非常事態措置が適用されることになる。また、東京周辺が騒乱状態に陥った際、例えば二・二六事件時にとられた行政措置(後述)を「戒厳」ということもあるが、これも正しい表現ではない。なお日本の現行の法体系にあっては、戒厳に関する規定、戒厳令に相当する法令は存在しない。

戒厳の実例[編集]

臨戦地境戒厳は、日清戦争中の広島市宇品地区、日露戦争中の長崎市佐世保市対馬函館市台湾全域、澎湖島馬公要港に布かれた。

勅令による行政戒厳[編集]

以上、「戒厳令」で規定された戒厳の他に、東京周辺にて緊急勅令に基づくいわゆる「行政戒厳」が宣告された例が3例ある(日付は勅令の公布日)。

いずれの場合も、戒厳令で想定する臨戦・合囲の地域には該当しない。そこで緊急勅令では「一定ノ地域ニ戒厳令中必要ノ規定ヲ適用スル」として戒厳令の規定を準用したのである(「必要ノ規定」に該当する条文はあらためて後続する緊急勅令で限定的に列挙されている)。つまり、これらの戒厳措置は戒厳令に根拠を有するのでなく、あくまで緊急勅令による騒乱鎮圧を目的とした行政措置だったと考えられる。

現行法制下における「戒厳」類似の規定[編集]

日本国憲法下の現行の法体系には「戒厳」に関する規定はないが、武力攻撃事態対処関連三法(いわゆる有事法制)中の武力攻撃事態等における我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全の確保に関する法律(以下有事関連法)がこれに近似した効力を持つとされる。但し、同法に見られる「戒厳」類似の規定はあくまで国会の事前承認に基づく「非常事態権」に類するものであると考えられ、現行の法制下においては日本国憲法との整合性等の問題もあり、本格的な国家緊急権は認められていない。

また大規模地震対策特別措置法を根拠とする「地震災害に関する警戒宣言」が発されると、強化地域内で鉄道の運行が停止、高速道路の一般車両通行が禁止され、多くの官庁・企業・教育施設等も日常の業務を停止するため、一部マスコミ等において同法および同宣言を比喩的に「戒厳令」と称することがある。

中国における戒厳[編集]

中華人民共和国では1989年5月19日に、六四天安門事件に伴い戒厳が布告された。戒厳の布告を受けて厳しい報道管制が敷かれ、日本やイギリス、西ドイツなどの西側諸国のテレビ局による生中継のための回線は中国共産党によって次々と遮断されていたものの、アメリカのCNNは依然として世界各国へ向けた生中継を続けていた。

台湾における戒厳[編集]

台湾では1947年2月28日に勃発した二・二八事件以降、蒋介石率いる台湾国民政府によって言論弾圧が強化され、1948年に動員戡乱時期臨時条款が施行されて、1949年に台湾に戒厳が布告された。蒋経国五一九緑色運動の高まりを受けて1987年に解除するまで38年間もの長期に亘って施行され続けた。

韓国における戒厳[編集]

韓国では戒厳が布告された例は下記の通り。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]