成田ニュータウン
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成田ニュータウン(なりた-)は、千葉県成田市に計画されたニュータウンである。「成田NT」と略される場合もある。
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[編集] 概要
都心から50km圏内。成田国際空港から西に約8km、JR成田駅から約1.8km西に位置し、標高10~40mの山林を主体とした東西約2.5km、南北約3kmの丘陵地帯に広がる。事業主体は、千葉県北総開発局(現:千葉県企業庁)事業面積は487ha、計画人口は60,000人、住宅約16,000戸、事業費834億6千万円。新住宅市街地開発法に基づき1968年(昭和43年)に事業が着手された。1971年(昭和46年)に中台地区において、運輸省(現:国土交通省)関係の公務員住宅で入居が開始された。また、一般入居は、翌1972年(昭和47年)の同じく中台地区である。1988年(昭和63年)に事業精算を完了した。2007年現在、人口は約33,500人。世帯数は約14,300世帯。印旛沼に近く自然環境に恵まれている。
[編集] 沿革
- 成田ニュータウンは、新東京国際空港(現:成田国際空港)関連就業者や空港建設に伴って流入する人々の為の移住地区として、千葉県北総開発局(現:千葉県企業庁)によって造成された。ここは、門前町とは反対側の鉄道の西側にあたり、畑と山林が混在する地域であった。このモデルはロンドン郊外のニュータウンにあり、近代的街造りを目指して1968年(昭和43年)から造成が始まった。しかし、空港開港の遅れから1975年(昭和50年)時点の人口は8,000人に留まった。1978年(昭和53年)の新東京国際空港開港時点においても、ニュータウンの北東部は建設中であり、旧市街地(門前町)や成田駅東口に接続されておらず、交通の便が悪くニュータウンは孤立していた。同年、成田ニュータウンと郷部、土屋、国道408号を結ぶ全長260m、幅員20m、片側2車線の郷部大橋が開通。茨城県(つくば市・龍ケ崎市)や成田空港方面へのアクセスが容易になる。1985年(昭和60年)には人口は3万人を突破した。現在では、駅とニュータウンの間の囲護台地区も整備され、同時に成田駅西口も同時に整備された。2003年、成田ニュータウンと旧市街地(門前町)を結ぶ踏切が立体交差化され、新旧市街地のアクセス面が改善され、2006年、成田ニュータウンと国道51号を結ぶ都市計画道路郷部線の不動トンネルが14年の歳月を掛けて開通。
[編集] 年表
(事業開始から事業終了まで)
- 1968年(昭和43年)4月 北総地域開発事業に地方公益企業法を適用し、千葉県北総開発局を設置。成田ニュータウン造成開始と共に、用地買収全面的に着手。
- 1969年(昭和44年)11月 1・3住区造成工事開始。地区センター工事着手。
- 1970年(昭和45年)4月 千葉県開発局が発足。
- 9月 1・3住区の一部分譲開始。
- 12月 地区センター工事完了。
- 1971年(昭和46年)2月 2・4・5住区造成開始。
- 3月 建築物の建設開始。
- 11月 6・7・8住区造成開始。
- 1972年(昭和47年)4月 第1次入居開始。
- 1973年(昭和48年)2月 千葉交通バスが運行を開始。千葉県警察成田警察署赤坂派出所(現在、移転し赤坂交番と改称。)が開所。
- 3月 成田ニュータウンセンタービル完成。
- 1974年(昭和49年)4月 千葉県企業庁が発足。
- 1975年(昭和50年)4月 2住区に千葉県立成田西高等学校(現・千葉県立成田国際高等学校)が開校。
- 1976年(昭和51年)2月 新住宅市街地開発事業の事業計画変更許可。(期間延伸)
- 1977年(昭和52年)5月 2住区に千葉県警察成田警察署が転入。開署。
- 1978年(昭和53年)10月 新住宅市街地開発事業の事業計画変更許可。(期間延伸)
- 1979年(昭和54年)4月 センター地区に成田市立中央公民館、2住区に佐倉保健所成田支所の開設。
- 1980年(昭和55年)4月 7住区に千葉県立成田北高等学校が開校。
- 1981年(昭和56年)6月 センター地区に成田郵便局が開局。
- 1983年(昭和58年)8月 新住宅市街地開発事業の事業計画変更許可。(期間延伸)成田税務署が開署。
- 10月 6住区にサブセンターが完成。
- 1984年(昭和59年)10月 センター地区に成田市立成田図書館が開館。
- 1987年(昭和62年)3月 最終工事完了公告(新住宅市街地開発による事業終了)
- 1989年(平成元年)3月 事業終了。
[編集] 都市形態
地区センターを中心として、その周りを8つの住宅地区が取り囲んで、小学校(8校)、中学校(4校)、高校(2校)、公園などを有機的に配置し、造成にあたっては、数多くの古墳や遺跡を残し保存に努めた。
計画当初の計画人口は約6万人。そのうち、成田空港関連企業の従業員とその家族の人口が約2万人、そのうち単身者が約6千人程度。周辺の内陸工業団地に進出する企業の従業員とその家族、周辺地域から流入する人口を約4万人と想定していた。
当初の計画住宅供給戸数は約1万6千戸。独立住宅用地の宅地規模は平均230平方メートル、公社などによる建売用住宅用地は平均200平方メートルと計画。テラス住宅は宅地1戸当り170平方メートル、容積率50%と計画。中層住宅は、公団住宅、公営住宅、空港関連進出企業などの従業員と計画し、日照、通風、プライバシーなどに配慮し、宅地規模1戸当り85平方メートル、容積率100%と計画。高層住宅は主に単身者用住宅及び、独身寮と計画。住宅都市整備公団及び、進出企業などにより建設し、宅地規模は1戸当り60平方メートル、容積率100%と計画し、パーキングスペース、屋外スポーツ用地を確保した。
[編集] 地区
- 中台
成田ニュータウンでは、加良部地区と同じくJR成田駅西口に最も近い地区。駅前大通り沿いには、成田市立中台運動公園や、UR都市機構住宅、国家公務員住宅(主に、財務省税関や国土交通省航空局など、空港関連で働く職員。)、日本航空社宅、分譲マンションなどが建ち並び、奥には、県営住宅や戸建て住宅などが建ち並ぶ地区[1]。
- 加良部
中台地区と同じく、ニュータウンでは、JR成田駅西口に最も近い地区。駅前大通り沿いには、ハローワーク、成田警察署、日本航空社宅、成田税務署、教職員住宅、県警察官舎、UR都市機構住宅などが建ち並び、奥には、全日空社宅、その他空港関連企業社宅や、UR都市機構住宅、戸建て住宅、分譲マンションなどが建ち並び、比較的、官公庁などが多い地区。また、千葉県立成田国際高等学校がある。
- 赤坂
成田ニュータウンでは、中心に位置するのが赤坂地区であり、赤坂公園、市立図書館、公民館、銀行(千葉銀行、千葉興業銀行、京葉銀行)、成田ニュータウンセンタービル[2]、成田郵便局、成田で唯一の百貨店である、ボンベルタ百貨店[3]、カワチ薬品、コンビニエンスストア(セブンイレブン)、千葉トヨペット、フォルクスワーゲン DUO成田、NTT(持ち込み修理サービスセンタ)、保険福祉館、救患診療所、消防署などがある。基本的に、ニュータウンの中心的役割を負う地区であり、住宅などは建てられていない。また、この地区は、1972年12月に首都圏で最初にニュータウン型地域冷暖房を採用した地区である(30ha)。
- 吾妻
成田ニュータウンでは、JR西口方面から直進して、最も西に位置する地区である。吾妻地区には、ショッピングセンターのカスミや、雇用促進住宅、分譲団地、県警察官舎、戸建て住宅などが広がる地区。JR成田駅西口からの大通りの成田ニュータウンの終点であるが、ここから先は隣接する"はなのき台"に接続する。
- 橋賀台
成田ニュータウンでは、西南に位置する。日本航空社宅、全日空社宅、県営住宅、UR都市機構住宅、戸建て住宅などが広がる地区。
- 玉造
成田ニュータウンでは北に位置し、県営住宅、日本航空寮、全日空寮、空港関連企業寮や分譲マンション、給食センター、千葉県立成田北高等学校などが位置する。ニュータウンでは、JR・京成成田駅に最も離れ、アクセス面では今ひとつであったが、2010年、成田新高速鉄道の新駅、「成田ニュータウン北駅(仮称)」が開設される予定であり、今後新しい新駅と街づくりによって、周辺のアクセス面が、大幅に改善される予定。
[編集] 交通
ニュータウンの北東側に千葉県道18号成田安食線、南西に国道464号が走り、それぞれ国道51号に繋がり、千葉、東京、鹿嶋方面へのルートが開かれている。なを、付近には東関東自動車道が通る。鉄道は、ニュータウン東方へ約1.8kmにJR成田駅、京成成田駅があり、千葉、船橋、東京、鹿嶋方面へ連絡している。
[編集] 鉄道
- 東日本旅客鉄道 成田線:(本線)成田駅(西口)
- 京成成田新高速鉄道線 - ニュータウン北駅(仮称)
[編集] バス
JR成田西口
- 1番線
- ボンベルタ・吾妻 経由 北高行 湯川車庫行
- 2番線
- 中台 経由 北高・湯川車庫行
- 3番線
- 加良部・橋賀台 経由 はなのき台行
- 4番線
- 美郷台 経由 大谷津球場・竜角寺台車庫行
[編集] 道路
- 市道 都市計画道路3・3・2 国鉄駅西口線
- 市道 都市計画道路3・3・3 ニュータウン中央線
- 市道 都市計画道路3・3・4 郷部線
- 市道 都市計画道路3・3・5 中台線
- 市道 都市計画道路3・4・9 大蕪新宮線
- 市道 都市計画道路3・4・30 赤坂台方線
[編集] 教育施設
高等学校(2校)
中学校(4校)
- 成田市立西中学校
- 成田市立中台中学校
- 成田市立吾妻中学校
- 成田市立玉造中学校
小学校(8校)
- 成田市立中台小学校
- 成田市立向台小学校
- 成田市立加良部小学校
- 成田市立新山小学校
- 成田市立橋賀台小学校
- 成田市立吾妻小学校
- 成田市立玉造小学校
- 成田市立神宮寺小学校
[編集] 都市計画公園
[編集] 運動公園
- 中台運動公園(19.9ha)
[編集] 地区公園
- 外小代公園(4.7ha)
- 赤坂公園(6.8ha)
[編集] 近隣公園
- 松ノ下公園(2.6ha)
- 加良部台公園(4.4ha)
- 橋賀台公園(5.3ha)
- 引地公園(4.1ha)
- 戸崎公園(2.0ha)
- 神宮寺公園(2.0ha)
- 後谷津公園(3.5ha)
[編集] 街区公園
- 郷部街区公園(0.29ha)
- 石橋台街区公園(0.50ha)
- 池田街区公園(0.23ha)
- 池ノ尻街区公園(0.21ha)
- 大道通街区公園(0.24ha)
- 橋ノ尻街区公園(0.24ha)
- 八ツ又台街区公園(0.26ha)
- 向谷津街区公園(0.35ha)
- 渡り田街区公園(0.13ha)
- 地蔵塚街区公園(0.23ha)
- 多代知街区公園(0.14ha)
- 後原街区公園(0.24ha)
- 大山街区公園(0.22ha)
- 一里塚街区公園(0.13ha)
- 花内街区公園(0.26ha)
- 町山街区公園(0.24ha)
- 船塚台街区公園(0.28ha)
- 谷津崎街区公園(0.18ha)
- さげ戸街区公園(0.26ha)
- 新山街区公園(0.20ha)
- 八代街区公園(0.24ha)
[編集] 近隣のニュータウン
[編集] 関連項目
[編集] その他
- 成田ニュータウン内の古墳は瓢塚古墳群、天王塚・船塚古墳群、八代台古墳群、の3つの古墳群からなり、総称して「公津原古墳群」と呼ばれる。造成前には111基の古墳が存在し、県内では木更津の畑沢でしか発掘されていない埴輪の窯跡など貴重な遺跡が発掘されたが、その大半は消滅し、現在は39基の古墳が保存されている。赤坂地区のボンベルタ百貨店横の7号古墳前に「ニュータウン古墳マップ」が建てられ、ニュータウン内の古墳を巡る事が出来る。
- ニュータウン内には、"緑道"と呼ばれる歩行者(自転車)専用道路が網の目状に張り巡らされており、車道とは立体交差になっており、完全に歩車分離されているため、車に気兼ねなく緑道を通って安全に各地区へ行く事が出来る。また、中台運動公園起点・終点とする、1周3.2㎞の緑道を使ったトリムコースが設置されており、市民のランニング、ウォーキングコースとしても使われている。
- 特に販売初期の戸建て地区では一戸あたりの敷地面積が広く、80坪を超える区画も珍しくない。
[編集] 脚注
- ^ 近年、空港関連企業の社宅や寮が取り壊され、跡地に次々とマンション建設が行われている。JALは大部分の社宅を公津の杜に移転・建設した。
- ^ 成田ニュータウンセンタービルは平成20年度を目途に取り壊しを予定しており、ビルは取り壊して更地で売却される予定。
- ^ 印旛地域で唯一の百貨店である。
- ^ 地区の小中学生は吾妻小学校・中学校に通う。
[編集] 外部リンク
房総の古墳を歩く/成田市の古墳(成田ニュータウン・ 公津ヶ原古墳群)芝山町立芝山古墳・はにわ博物館

