愛染明王

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愛染明王(『図像抄』〈十巻抄〉より)
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時代・地域
初期 中期 後期
インド チベット 中国 日本
主な宗派(日本)
東密
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〈日本〉天台宗
信仰対象
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木造愛染明王坐像 東京国立博物館蔵、鎌倉時代、重要文化財
愛染明王(仏像図彙 1783年)

愛染明王(あいぜんみょうおう)は、仏教の信仰対象であり、密教特有の憤怒相を主とする尊格である明王の一つ。梵名のラーガ・ラージャ(rāgarāja)あるいは、マハー・ラーガ(mahārāga)は、サンスクリット経典にその名は見られないが、チベットの経典や儀軌には散見され、中でもチベット密教の四大宗派に共通する後期密教のテキストである、「プルパ金剛[1] の儀軌や次第、グル・デワ・ダキニの『三根本法解説』[2] [3] 等には、「プルパ金剛十大忿怒尊」の一尊としてこの愛染明王が登場する[4] [5][6] [7]

また、漢訳では真言宗五部秘経に数える『瑜祇経』(大正蔵№867:金剛智三蔵訳)を典拠とするだけではなく、宋代の訳である『仏説瑜伽大教王経』(大正蔵№890:法賢三蔵 訳[8])や、『仏説持明蔵腧伽大教尊那菩薩大明成就儀軌経』(大正蔵№1169)をはじめ、チベット密教では、ニンマ派が伝承する旧訳『大幻化網タントラ』(グヒヤ・ガルバ・タントラ)経典群等の各種の曼荼羅や、サキャ派カギュ派が伝承する新訳『幻化網タントラ』(マーヤ・ジャーラ・タントラ)の曼荼羅にも、尊那仏母(准胝観音)や大日如来の守護尊(yidam:イダム)として、穢跡金剛(大力金剛)[9]や、不動明王らと共に、梵名のタキ・ラージャ(takki raja)の別名でも登場する。

覚禅鈔』には、愛染明王の異名として「口乇枳王」(タキ・ラージャ)を挙げ、『妙吉祥平等秘密最上観門大教王経』(大正蔵№1192)には、このタキ・ラージャが「大愛明王」と訳されており、その真言が「ウン・タキ・ウン・ジャク」とあるので、那須政隆はタキ・ラージャを愛染明王であるとしている。[10] [11] [12] [13]このように数々の経典にも登場するので、愛染明王はインド密教においてもポピュラーな忿怒尊であったことが伺われる。 [14]

なお、この「プルパ金剛」の真言と印は、日本最古の次第書である『寛平法皇の次第書』(別名;小僧次第)にも尊名は無いが梵字で真言が登場し印相も述べられており[15]、古次第に共通の重要な作法ともなっているので、愛染明王は日本密教とチベット密教を結びつける尊挌の一つに挙げることができる。

愛染明王の密号は『離愛金剛』[16]で、『白宝口抄[17]には「離愛金剛は即ち愛染明王なり」としていて、ここで「離」は生死のとなる因子の煩悩や渇愛を離れる意味で、「愛」は菩提(覚り)の妙果を愛する意味であるので[18]、『離愛金剛』は「愛欲(煩悩)を離れ、大欲に変化せしむ」の意味となる[19]

概説[編集]

日本密教の愛染明王は、『金剛頂経』類に属するとされる漢訳密教経典の『瑜祇経』に由来し、この経典は正式名称を『金剛峯楼閣一切瑜伽瑜祇経』[20]といい、同経典の「愛染王品第五」に愛染明王が説かれている。その修法は、息災・増益・敬愛・降伏の『四種法』の利益をもって記述され、その功徳は、「能滅無量罪 能生無量福」(よく無量の罪を滅して、よく無量の福を生じる)とも説かれている。

また、同経典の中で「三世三界中 一切無能越 此名金剛王 頂中最勝名 金剛薩埵定 一切諸佛母」(三世三界の中にあって、他の一切が誰もこの尊を越えることができ無いので、この尊の名前は金剛の王とされ、『金剛頂経』の中で最勝の名前であり、教主である金剛薩埵がこの尊を定めて、一切の諸仏の母とした)とも讃えられていて、これに基づいて金剛界で最高の明王と解釈される場合がある。

これに対して不動明王は胎蔵界で最高の明王と解釈される場合があり、たとえば東京都の金龍山浅草寺や、千葉県の成田山新勝寺等では両界の最高の明王として不動明王(胎蔵界)・愛染明王(金剛界)の両尊が祀られている。この日本密教における大日如来如意輪観音如意宝珠等を中心として、左右に不動明王と愛染明王の二体を祀る形式は非常に古く、他にも京都高野山の古刹の寺院などに現在も少なからず見かけることができる。

歴史的な資料としては、空海と同時代の人物であるインドの密教行者グル・パドマサンバヴァが、国王ティソン・ディツェンの勅命によりチベットに初めて建立した国立の大寺院であるサムイェー寺は、四面二臂の『大日経』系の姿をとる大日如来を中心とする、三層から成る立体曼荼羅を実現させた密教寺院であるが、9世紀当時のバセルチン(dBa gSal snang)が著したチベットの歴史書である『バシェー』(dBa bzhed)によると、寺の入り口の左右には守護者である門神として、不動明王(アチャラ・ナータ)と並んで愛染明王(タキ・ラージャ)[21][22]が祀られていたという。サムイェー寺は歴史の変遷の中で立替がなされ、現在はチベット動乱後にディンゴ・ケンツェ・リンポチェの資金援助で再建されたものが建っているが、チベット仏教で人気のある馬頭観音金剛手菩薩(バジラ・パーニ)に換えられてしまっている。

日本では、この不動明王と愛染明王の両尊を祀る形式が1338年頃に成立した文観の『三尊合行秘次第』[23]に始まるとされている[24]。この説に基づくならば、現在、福山市にある円光寺・明王院[25]は、大同2年(807年)に空海が開基したと伝えているが、この寺の境内にある五重塔(国宝)は貞和4年(1348年)に建立され、初層に大日如来を本尊として左右に不動明王と愛染明王を祀っているので、日本におけるその初期の例として挙げることが出来る。ただ、文観自身はこの書 を書写したとしており、密教の事相上では『三尊合行秘次第』の本尊となる如意宝珠は特殊な形をしていて「密観宝珠[26]と呼ばれ、如意宝珠形の下に五鈷杵を配した舎利塔仏舎利を入れたものであるところから、これを如意輪観音の三昧耶形であるとして、空海の直弟子に当る観心寺の檜尾僧都実恵や、醍醐寺の開祖理源大師聖宝の口伝にまで遡ろうとする考え方もある[27]

ちなみに、高野山には空海の請来になる品物を保管している「瑜祇塔」という建造物がある。この名は、愛染明王と同じく『瑜祇経』を典拠としているが、その正式名称は「金剛峯楼閣瑜祇塔」で、高野山真言宗の総本山である金剛峯寺の呼び名は、この「瑜祇塔」に由来する。[28]

尊容と信仰[編集]

衆生が仏法を信じない原因の一つに「煩悩・愛欲により浮世のかりそめの楽に心惹かれている」ことがあるが、愛染明王は「煩悩と愛欲は人間の本能でありこれを断ずることは出来ない、むしろこの本能そのものを向上心に変換して仏道を歩ませる」とする功徳を持っている。

愛染明王は一面六臂で他の明王と同じく忿怒相であり、頭にはどのような苦難にも挫折しない強さの象徴である獅子の冠をかぶり、叡知を収めた宝瓶の上に咲いたの華の上に結跏趺坐で座るという、大変特徴ある姿をしている。

もともと密教における蓮華部の敬愛を表現した仏であるためその身色は真紅であり、後背に日輪を背負って表現されることが多い。

また、『瑜祇経』第五品に記される偈頌(げしゅ)である「衆星の光を射るが如し」の部分を再現した天に向かってを引く容姿で描かれた姿の高野山金剛峯寺に伝えられる「天弓愛染明王像」や、京都神童寺像、山梨県甲州市放光寺像などがあり、更には、日蓮筆と伝える「愛染不動感見記」の馬に乘る八臂像や、両頭など異形の容姿で描かれた図像も現存する。

愛染明王信仰はその名が示すとおり「恋愛・縁結び・家庭円満」などをつかさどる仏として古くから行われており、また「愛染=藍染」と解釈し、染物・織物職人の守護仏としても信仰されている。さらに愛欲を否定しないことから、古くは遊女、現在では水商売の女性の信仰対象にもなっている。

日蓮系各派の本尊曼荼羅)にも不動明王と相対して愛染明王が書かれているが、空海によって伝えられた密教の尊格であることから日蓮以来代々梵字で書かれている。なお日蓮の曼荼羅における不動明王は生死即涅槃を表し、これに対し愛染明王は煩悩即菩提を表しているとされる。

軍神としての愛染明王への信仰から直江兼続は兜に愛の文字をあしらったとも考えられている[29]

愛染明王の功徳[編集]

本誓と功徳[編集]

愛染明王の姿は『瑜祇経』に説かれる一面六臂が一般的で、密教の仏であるからその姿には様々な象徴的な意味があり、それを愛染明王の「本誓(ほんぜい)と功徳」としてここに明らかにしておき、愛染明王の仏教的な働きの意味の理解を深める一助とする。いわゆる愛染明王の姿の特徴は、一面三目・六臂で、頭上には獅子の冠を頂き、冠の上には五鈷鉤が突き出ていて、その身は赤色で宝瓶の上にある紅蓮の蓮華座に、日輪を背にして座っている。これらの相が示すその象徴的な意味は以下のようになる。[30]

  • 燃え盛る日輪を「織盛日輪」と言い、日輪は仏のもつ無上の浄菩提心を表し、燃え盛る炎は智火煩悩に基づく執着や愛欲を悉く焼き尽くし、その「愛染三昧」の禅定が不退転となる仏の勇猛心であることを表している。
  • 頭上に獅子の冠を頂き、髪の毛を逆立てて怒髪天を突くさまを表すのは、百獣の王である獅子が吼えるとあらゆる猛獣もすぐに静かになる譬えのように、憤怒の怒りの相と獅子吼によって諸々の怨敵を降伏して、一切衆生を救済することを表している。
  • 冠の上に五鈷鉤が突き出ているのは、衆生の本有(ほんぬ)の五智を呼び覚まして、邪欲を捨てさせて正しい方向へと導くことを意味し、愛染明王の大愛[31]が衆生の心に染み入り、仏法の真実を体得せしめることを表している。[32]
  • 一面三目で身体が赤色であり、その身を五色の華鬘で荘厳する点は、三つの眼は法身と般若と解脱を意味し、世俗面においては仁愛と知恵と勇気の三つの徳を表す。身体が赤く輝いているのは、愛染明王の大愛と大慈悲とがその身体からあふれ出ていることを意味し、五色の華鬘でその身を荘厳するのは、五智如来の持つ大悲の徳を愛染明王もまたその身に兼ね備えていることを意味し、両耳の横から伸びる天帯[33]は、「王三昧」に安住して如来の大法である真理の教えを聞くことを表している。
  • 六臂として手が六本あるのは、六道輪廻の衆生を救う意味をもつ。また、左右の第一手は二つで「息災」を表していて、左手の五鈷鈴は、般若の智恵の音と響きにより衆生を驚愕させて、夢の如きこの世の迷いから覚醒させることを表し、右手の五鈷杵は、衆生に本有の五智を理解し体得させて、愛染明王の覚りへと到達せしめることを表している。
  • 左右の第二手は二つで「敬愛」と「融和」とを表していて、左手の弓と右手の矢(箭)は、二つで一つの働きをするので、この世の人々が互いに協力して敬愛と和合の精神を重んじ、仏の教えを実践する菩薩としての円満な境地に至ることを意味している。また、愛染明王の弓矢は、大悲の矢によって衆生の心にある差別や憎しみの種を射落とし、菩提心に安住せしめることを意味し、いわゆる矢は放たれるとすぐに目標に到達することから、愛染明王への降魔や除災、縁結び等の祈念の効果が早く現れることをも表している。
  • 左右の第三手は二つで人生の迷いや煩悩による苦しみの世界を打ち払う「増益」と「降伏」とを表していて、左手に拳を握るのは、その手の中に摩尼宝珠を隠し持っていて、これは衆生が求めるあらゆる宝と財産や、生命を育むことを意味していて、右手の赤い未敷蓮華(みふれんげ)は、それらの衆生の財産や生命を奪おうとする「四魔[34]に対して、大悲の鞭を打ち振るい、魔を調伏することを表している。
  • 愛染明王が座っている紅蓮の蓮華座は、「愛染三昧」の瞑想から生じる大愛の境地を実現させた密教的な極楽浄土を意味していて、その下にある宝瓶は、仏法の無限の宝である三宝を醸し、経と律と論の三蔵を蔵することを表している。また、その周囲に宝珠や花弁が乱舞するのは、愛染明王が三宝の無尽蔵の福徳を有することを意味している。

愛染明王十二大願[編集]

更に、愛染明王は仏としての誓願に基づき、一切衆生を諸々の苦悩から救うために十二の広大な誓願を発しているとされ、その内容は以下のようになる。[35]

  1. 智慧の弓と方便の矢を以って、衆生に愛と尊敬の心を与えて、幸運を授ける。
  2. 悪しき心を加持して善因へと転換し、衆生に善果を得せしめる。
  3. 貪り・怒り・愚かさの三毒の煩悩を打ち砕いて、心を浄化し、浄信(菩提心)を起こさしめる。
  4. 衆生の諸々の邪まな心や、驕慢の心を離れさせて、「正見」へと向かわせる。
  5. 他人との争いごとの悪縁を断じて、安穏に暮らせるようにする。
  6. 諸々の病苦や、天災の苦難を取り除いて、信心する人の天寿を全うさせる。
  7. 貧困や飢餓の苦悩を取り除いて、無量の福徳を与える。
  8. 悪魔や鬼神・邪神による苦しみや、厄(やく)を払って、安楽に暮らせるようにする。
  9. 子孫の繁栄と、家運の上昇、信心する人の一家を守って、幸福の縁をもたらす。
  10. 前世の悪業(カルマ)の報いを浄化するだけでなく、信心する人を死後に極楽へ往生させる。
  11. 女性に善き愛を与えて良い縁を結び、結婚後は善根となる子供を授ける。
  12. 女性の出産の苦しみを和らげ、その子のために信心すれば、子供には福徳と愛嬌を授ける。

真言・印・三昧耶形[編集]

真言[編集]

瑜祇経』 一切如来金剛最勝王義利堅固染愛王心品第二
  • Om maha raga vajro snisa vajra satva jah hum bam hoh
    オン マカ ラギャ バゾロ シュウニシャ バザラ サトバ ジャク ウン バン コク
瑜祇経』 愛染王品第五
  • Hum takki hum jah
    ウン タキ ウン ジャク
その他
  • Hum siddhi
    ウン シッチ

(なお、真言を唱える際には個別の灌頂[36][37]を必要とし[38][39]、正しく潅頂をえていない場合には唱えることは相応しくなく、[40]その功徳を失う[41][42]。また未灌頂者に真言法を教えた者は 密教三昧耶戒に違反となる。[43][44]。[未潅頂者 請勿誦呪][45][46]

種子[編集]

  • 瑜祇経』 一切如来大勝金剛心瑜伽成就品第七、「ウン」字。
  • 瑜祇経』 愛染王品第五、「コク」字。

手印[編集]

明王はその称号に「明呪の王」とあるように、真言(マントラ)から派生した手印が少なからずあり、愛染明王も流派や師伝、その系統によって手印にはいくつかのバリエーションが見られる。

  • 愛染明王根本印
  • 五股印(五鈷印:五種類)
  • 五種印(敬愛)
  • 橛印 1 (金剛橛印)
  • 橛印 2
  • 橛印 3
  • 大三昧印
  • 金剛印

三昧形[編集]

  • 種子が「ウン」字の場合には、「五鈷杵」あるいは、「五鈷鉤」。
  • 種子が「コク」字の場合には、「箭」(矢)。
  • その他として、息災は「輪」、増益は「珠」、調伏は「一鈷」(独鈷)、敬愛は「蓮」、鉤召は「鉤」、延命は「甲冑」。[47]

愛染明王の起源[編集]

『降三世儀軌』(trailokyavijayakalpa)には、金剛手菩薩(バジラ・パーニ)が世尊(大日如来)の教えを授かった上で、「タキ・フン・ジャク」(takki hun jah)の心真言を述べていて、これを四臂の金剛手菩薩となる「具徳金剛手」であるとしている。平岡龍人は『密教経軌の説く 金剛薩埵の研究』の中で、これを「タキ = 欲(欲の自性)」と、「フン = 憤怒」と、「ジャク = (欲と憤怒の)両者を鈎招し」と訳し、「タキ・フン・ジャク」の真言を「一切世間の全ての有情を欲と憤怒で清める」と訳した上で、この「具徳金剛手」を金剛薩埵の「愛染三昧」の化身で、愛染明王と同様の姿であるとしているが [48] 、このことから、愛染明王の起源を金剛薩埵に求めることも考えられ得る。また、同様の理由から栂尾祥雲は『理趣の研究』の中で、『理趣経』の主題である五秘密について触れ、「欲・触・愛・慢」における金剛薩埵の「五秘密の三昧」は愛染明王の姿であるとし、『理趣経』の本尊は愛染明王に他ならないとしている[49]

現行のテキスト[編集]

日本密教では、愛染明王とその諸尊を説く大法の『愛染明王私記』や、諸明王の別法や大法を集めた『明王法集』、愛染明王法と同じく『瑜祇経』を典拠とする五重秘伝の智火を燃やす『内護摩次第』等が知られていたが、作法や実修の内容が難しくて時間もかかるため今では行なわれてない。かわって、短い「一尊法」形式のものや、一段から三段の外護摩の『護摩次第』が中心となっている。中国密教では、愛染明王は「唐密」において有名であるが、その法や潅頂を伝えている人は少なく、そのため次第やテキストは非常に稀である。チベット密教では愛染明王の単尊の潅頂や、「プルパ金剛法」やタントラの原典に付随する大法における部分的な灌頂を伝えているが、愛染明王の単独での修法や法要等の現行のテキストは知られていない。

また、「唐密」やチベット密教では愛染明王法には特別な法具を用いており、その一つとして金剛橛(プルパ杵)を挙げることができる。『秘抄』[50]の作法中によると、空海が弘仁4年(813年)に興福寺南円堂を建立の際に『八大明王鎮壇法』を修して[51][52]、その典拠となる『大妙金剛経』(大正蔵:№965)[53]入唐八家安祥寺僧都恵運が伝え、後に小野派随心院僧都成尊がこれを再び修したとされている。この古密教に属すると見られる『八大明王鎮壇法』では、いずれも金属製の法具として、八葉の蓮華座[54]の上に八幅輪の「輪宝」を載せ、その上に「橛」(金剛橛)を載せたものを八個並べて修法を行なうとあるので、日本でも明王の修法には金剛橛が用いられたことが分かる。日本の「八大明王法」は、主に愛染明王と同じく獅子の宝冠を被る仏眼仏母を本尊としており、醍醐寺にはこの八大明王[55] を配する『仏眼曼荼羅』[56]を秘蔵しているが、現在、金剛橛を用いる修法は伝えられておらず、この「八大明王法」が修されることはない。なお、「八大明王法」と類似の法としては、同時代に伝えられたチベット密教における『八大ヘールカ法[57][58]を挙げることができる。

日本密教

  • 『中院三十三尊』
  • 『三憲聖教』
  • 『薄双紙』
  • 『諸尊通用次第』

中国密教

  • 『愛染明王成就儀軌』
  • 『愛染明王曼荼羅法』

チベット密教

  • 『三根本 プルパ金剛成就法』
  • 『天鉄プルパ金剛曼荼羅法要次第』

愛染明王法の特徴[編集]

愛染明王の曼荼羅[編集]

心曼荼羅[編集]

『心曼荼羅』とは、その尊格の心真言による「字輪観」より生じた、説会の曼荼羅のことを言う。中国密教の「唐密」やチベット密教等では、各々の尊格が個別の異なる「字輪観」を説くが、日本密教では口伝の残る「阿弥陀如来法」や「如意輪観音法」と、「不動明王法」の一部に各尊の「字輪観」を伝えるのみで、他は「大日如来法」の五仏の真言をもって代用し、全て同じ「字輪観」としている[59]。それ故、ここでは中国密教の「唐密」が伝える『愛染明王成就儀軌』[60]に説かれる『心曼荼羅』を紹介する。なお、日本密教では『理趣経』に説かれる「初会の曼荼羅」が、説会の曼荼羅に相当する。

  • 「愛染明王法」は心真言(短呪)の「ウン・タ・キ・ウン・ジャク」の五文字を月輪上に順に配置して字輪とし、次に説会の曼荼羅を生じる。まず、「ウン」字を中心に置き、南方(正面・上方)に「タ」字を配して、そこから時計回りに西方に「キ」字を配し、北方(手前・下方)に「ウン」字を配し、東方に「ジャク」字を配して字輪とし、この字輪からそのまま「愛染明王法」を説く説会の曼荼羅を生じる。中央に「金剛薩埵」を配し、南方に「咕羅咕里佛母」(クルクリフゥムゥ)[61]を配し、西方に「伊迦惹托」(イケイジャット)[62]を配し、北方に受者としての「愛染明王」を配し、東方に「不空絹索観音」を配した曼荼羅を生じて、これを『心曼荼羅』とする。
  • 『心曼荼羅』では、中央の真言の「ウン」字が「金剛薩埵」へと変じ、「金剛薩埵」はこの法の説法者となる。次の「タ・キ」の真言は「愛欲」を意味していて、「咕羅咕里佛母」は愛から生じた執着である「愛縛」[63]を司り、それを敬愛へと変化させる。「伊迦惹托」は愛から生じた執着である「嫉妬」を司り、その根本となる「無明」と「悪見」を打ち砕く。受者である「愛染明王」は智火を表す怒りの炎によって「愛欲」を昇華する。「不空絹索観音」は結果として「愛欲」を仏の「慈悲」へと転じ、一切衆生を残らず救うことを表している。また、『心曼荼羅』で向かい合う「愛染明王」と「咕羅咕里佛母」、「不空絹索観音」と「伊迦惹托」は、男尊と女尊で一対の関係にある。中央の「金剛薩埵」は中国密教の「唐密」では単尊であるが、チベット密教ではこういう場合「ヤブユム」で描かれることになる。
  • この『心曼荼羅』は、日常の修法において「密教の三原則」である法身説法を体感するための重要な観法であり、日本密教では既に失伝したが、チベット密教や中国密教の唐密では今も残されている教えの一つである。

本尊曼荼羅[編集]

『本尊曼荼羅』とは、愛染明王を曼荼羅の本尊として中心に配置し、その周りを多数の尊格が取り囲む形式で描かれるもので、日本密教では通常『別尊曼荼羅』と呼ばれる曼荼羅を指している。愛染明王の曼荼羅は多岐にわたり、その種類や登場する尊格も様々であるので、ここでは日本密教のものに限定し、具体的な例を挙げて解説を加える。いわゆる日本の愛染明王の『本尊曼荼羅』は、次の3種類に分けることが出来る。愛染明王を本尊とし、その周囲に眷属聖衆や護法尊等を配置する形式の中国密教やチベット密教とも共通する『本尊曼荼羅』、愛染明王を「金剛王菩薩」であるとする一般的な『愛染曼荼羅』、異形の「両頭愛染明王」(りょうずあいぜんみょうおう)を本尊とする『両頭愛染曼荼羅』である。この他には、神仏混交を背景とした『本地曼荼羅』も知られているが、ここでは割愛する。

本尊曼荼羅

  • 愛染明王の『本尊曼荼羅』として最も完成されたものは、本尊の愛染明王を中央に描き、四方に「四童子」を描き、周囲に「八大明王」を配し、外周に「十二天」と「二十八宿」を描くものであるが、この形式を踏襲する秀作が日本にも残されており、それが太山寺の絹本著色「愛染曼荼羅図」(重文)である。兵庫県神戸市にある三身山太山寺は天台宗の名刹で、霊亀2年(716年)に藤原鎌足の長男である入唐僧定恵が開山となって、孫の藤原宇合が建立したと伝える。この太山寺の絹本著色「愛染曼荼羅図」[64]は中央に愛染明王を描いて、その左右に「四童子」[65]を描き、時計回りに、四隅に当る右上には「無能勝明王」、右下に「馬頭明王」、左下に「降三世明王」、左上に「大威徳明王」を配し、その外周を「十二天」が取り囲んでいる。同様の図柄が『覚禅鈔[66]の「八十一」にも『愛染曼荼羅』として納められていて、そのモチーフを伝えている。
  • また、『本尊曼荼羅』の系列上にあるものとしては、江戸時代の作となる大阪神宮寺感応院にある絹本著色「愛染曼荼羅図」は日本的な図柄となっている。この絹本著色「愛染曼荼羅図」[67]は中央に愛染明王を描いて、時計回りに、四隅に当る右上には「三宝荒神」、右下に「大黒天」、左下に「毘沙門天」、左上に「大威徳明王」を描いている。愛染明王の周囲に護法善神を配しながらも「三宝荒神」を描く点は、江戸時代における当時の信仰を反映していると見られる。

愛染曼荼羅

  • 愛染明王は平安時代に既に祀られてはいたが、民間には不動明王に遅れて信仰され始め、本格的に崇拝の対象とされるのは鎌倉時代になってからである。その際に、日本ではまだ『大蔵経』も編纂されておらず、今日のような中国密教やチベット密教との交流もなかったために、愛染明王の典拠とされるのは『瑜祇経』だけであった。それゆえ、本格的な修法を整えるために『瑜祇経』の本文である先の「此名金剛王」の文章に「菩薩」の二字を補って「此の名を金剛王菩薩という」のように固有名詞として読むことによって、愛染明王の典拠を「金剛王菩薩」や『理趣経』に説く「金剛薩埵」と同尊とし、広くインド密教に繋がる存在とした。特に『理趣経』を典拠とする必要性があったのは、『理趣経』が僧侶の読む専門的なお経であることと、大師筆(空海筆)本とする『理趣経曼荼羅図像』[68][69]の最後に、十七段の諸尊と、諸曼荼羅をまとめる存在として愛染明王が描かれているからである。今日、日本密教で一般に『愛染曼荼羅』と言われるものはこの系統であり、『理趣経』に基づきながらも『大楽金剛薩埵修行成就儀軌』を参考にして『愛染曼荼羅』とするものと、『金剛王菩薩秘密念誦儀軌』に基づき『愛染曼荼羅』とするものとの二系統があるが、いずれも十七尊からなり専門的な知識が無ければ見分けはつかない。[70]また、この『愛染曼荼羅』に関する限り、「金剛王菩薩」は先に『胎蔵界曼荼羅』に登場し、本尊の「大日如来」と同じ大きさで描かれているが、愛染明王の姿との共通点も乏しく、「金剛薩埵」は諸経に説かれる別個の尊挌であるから、根立研介の研究や、柴田賢龍の指摘にもあるように曼荼羅における本尊の差し替えと見てもよい。
  • 理趣経』に基づき、『大楽金剛薩埵修行成就儀軌』と『金剛界曼荼羅』の「理趣会」を底本とする『愛染曼荼羅』の秀作として挙げられるものは、根津美術館蔵の絹本著色「愛染曼荼羅図」(鎌倉時代前期)[71]である。この根津美術館蔵の絹本著色「愛染曼荼羅図」は、中央に愛染明王を置き、『金剛界曼荼羅』に従って東を下として、東方(下方)に「欲金剛菩薩」を配し、時計回りに南東に「焼香金剛女」、南方に「触金剛菩薩」、南西に「華金剛女」、西方(上方)に「愛金剛菩薩」、北西に「燈金剛女」、北方に「慢金剛菩薩」、北東に「塗香金剛女」を配する。これは、「欲・触・愛・慢」の四金剛と、「焼香・華・燈明・塗香」の外四供養からなる構成である。更に、その外側の四正方向には、東方に「鉤菩薩」、南方に「索菩薩」、西方に「鏁菩薩」、北方に「鈴菩薩」の四摂菩薩を配し、四隅方向の南東には「嬉菩薩」、南西には「鬘菩薩」、北西には「歌菩薩」、北東には「舞菩薩」の四供養菩薩を配して『愛染曼荼羅』とする。この曼荼羅と同系統のものには、醍醐寺の絹本著色「愛染曼荼羅図」(南北朝時代[72]がある。図像の構成が四重院から成り広がりがあるが、諸尊とその配置は変わらない。
  • 金剛王菩薩秘密念誦儀軌』に基づく『愛染曼荼羅』の秀作として挙げられるのは、随心院の絹本著色「愛染曼荼羅図」(平安時代末期-鎌倉時代初期)[73]である。この随心院の絹本著色「愛染曼荼羅図」は、中央に愛染明王を置き、金剛王菩薩が胎蔵界に属するため『胎蔵界曼荼羅』に従って東を上として、東(上方)に「愛楽金剛」を配し、時計回りに南東に「愛楽金剛女」、南方に「意気金剛」、南西に「意気金剛女」、西方(下方)に「意生金剛」、北西に「意生金剛女」、北方に「計里枳羅金剛」、北東に「計里枳黎金剛女」を配する。更に、その外側の四正方向には、東方に「色菩薩」、南方に「声菩薩」、西方に「香菩薩」、北方に「味菩薩」の四菩薩を配して、真言の「弱・吽・鑁・斛」(ジャク・ウン・バン・コク)の四文字を具象化させて、四隅方向の南東には「焼香金剛女」、南西には「華金剛女」、北西には「燈金剛女」、北東には「塗香金剛女」の外四供養をその明妃として配して『愛染曼荼羅』とする。

両頭愛染曼荼羅

立体曼荼羅[編集]

寺院[編集]

愛染明王は守護尊(明王などの力のある尊挌を脇持や念持仏とすること)として祀られることが多いが、以下のように本尊としている例も存在する。

愛染明王を本尊とする寺院
その他、愛染明王を祀る代表的な寺院

美術館等[編集]

  • 細見美術財団 - 絹本著色「愛染明王像」(図像として日本最古のもの:12世紀)、平安時代。
  • 五島美術館 - 木造「愛染明王像」(伝、鶴岡八幡宮寺旧蔵:1265年以前の作)、鎌倉時代。
  • 奈良国立博物館 - 木造「愛染明王像」(重要文化財:1276年、仏師快成作)、鎌倉時代。
  • 東京国立博物館 - 木造厨子入「愛染明王坐像」(13世紀-14世紀)&厨子絵、鎌倉時代。
  • 根津美術館 - 絹本著色「愛染曼荼羅図」。絹本著色「愛染明王像」(図像:13世紀-14世紀)、後醍醐天皇の宸筆あり。
  • MOA美術館 - 絹本著色「愛染明王像」(図像、京都の愛染院に伝来:1327年頃の作)。
  • ボストン美術館 - 絹本著色「如来荒神曼荼羅図」。

脚注[編集]

  1. ^ 「プルパ金剛」は梵名を「キラヤ」または、「ヴァジラ・キラヤ」といい、金剛は漢訳の際には称号であり、日本密教の明王に相当する尊挌である守護尊(イダム)あるいはヘールカであることを意味する。
  2. ^ ここでは例として、『ドゥジョム・テルサル』の灌頂儀軌・次第や、『ドゥジョム・リンポチェ全集』におけるグル・デワ・ダキニの『三根本法解説』を指す。
  3. ^ チベット密教特有の呼び名であるグル・デワ・ダキニの三尊について、「グル」は導師を意味し、「上師」と漢訳する。チベット密教において直接的には「グル・リンポチェ」、つまりはグル・パドマ・サンバヴァ(蓮華生大師)や、その成就相であるツォチィ・トゥディを指している。「デワ」はデーヴァ、つまりは「天部の神」を意味し、チベット密教では「護法尊」や「守護尊」と呼ばれるヘールカ明王、各宗派における護法などの諸天の尊挌を指していて、ニンマ派ではグル・タポ(憤怒相蓮華生大師)やプルパ金剛のことを言う。「ダキニ」は「空行母」と訳される後期密教に特有の女尊を意味し、ニンマ派では獅子面空行母(シンハ・ムカ)や菩薩としてのイェシェ・ツォギャル仏母を指している。
  4. ^ 『ドゥジョム・テルサル』はドゥジョム・リンパ(1835 - 1904)のテルマ(埋蔵経)で、ネパール版の『ドゥジョム・リンポチェ全集』にも収められている。この版は、ドゥジョム・リンポチェ(1904 - 1987)の校訂本であるが、原本はドゥジョム・リンパの発見によるサテル(地下の埋蔵経)の写本であり、伝承によるとグル・パドマサンバヴァ(漢名:蓮華生大師、8 - 9世紀)の直弟子であった女性の瑜伽行者イェシェ・ツォギャルの手になるものとされている。密教では、不空三蔵の伝えた金剛頂経の十八会にわたる経典の説話のように伝承の事項であっても、それが考古学や文献学によって考証や否定の証明がなされない間は、伝承を重んじ、一応それを目安としておくことになっているので、ここでは伝承上の資料とする。チベット密教では、インド伝来のニンマ派サキャ派カギュ派の三宗派が、いずれもこの「プルパ金剛法」を歴史上のグル・パドマサンバヴァの伝授によるとし、後のインド密教の資料も伝来している。ただ、プルパ金剛という尊格は、その梵名を「キラヤ」と言い、チベット密教での通常の呼び名を「プルパ」と言う様に、一般にテントを張る際の四隅に打ち込む「杭」に相当する密教の法具である「金剛橛」(こんごうけつ;プルパ杵、漢訳:普巴杵)と呼ばれる法具に起因することは、尊格の三昧形が「金剛橛」であることや、この尊格が中央の左右の第一手に「金剛橛」を手にして描かれることからも明らかである。現在の日本密教の事相鎌倉時代に復興してできたものであるため、この「金剛橛」に馴染みがないが、グル・パドマサンバヴァと同時代の弘法大師空海の『御請来目録』によると、五鈷鈴・五鈷杵・三鈷杵・独鈷杵等の法具と共に「橛」(けつ:金剛橛のこと)の名が書かれている。現在は主に真鍮製が多いが当時は調伏を目的とするため鉄製であることが『御請来目録』の原本には但し書きとして記入されており、この空海の請来になる現物の「橛」は存在しないが、鎌倉時代初期の写しである「橛」が東京国立博物館に所蔵されていて、チベット密教の伝承する法具に近い形をしていることからも、プルパ金剛と「プルパ金剛法」の発生の古さが伺われる。
  5. ^ この項は、『秘宝 第6巻 東寺』・『秘宝 第8巻 醍醐寺』を参照。
  6. ^ サキャ・パンディタ・クンガ・ギャルツェン(1182-1251)は、西蔵大蔵経の『金剛橛根本本続一分』(北京版no.78、チベット語:rdo rje phurpa rtsa bahi ygyud kyi dum bu、梵語:vajrakilaya-mulatantra-khanda)の奥書に、パドマ・サンバヴァの梵本原典と対校したと記している。また、プトン(bu-ston:1290-1364)は、サムイェー寺でインドの原典(梵本)が発見され、当時のネパールでも金剛橛(vajirakila:プルパ金剛)のタントラが発見されたとしている。
  7. ^ 『古タントラ全集解題目録』(国書刊行会)、「4、古タントラの原典」、p24。
  8. ^ 『仏説瑜伽大教王経』は、『幻化網タントラ』の抄訳とされている。
  9. ^ 日本密教では、異名の「烏枢沙摩明王」の名がよく知られていて、穢跡金剛と「烏枢沙摩明王」が異名同尊の同じ尊挌とされるが、中国密教の「唐密」(タンミィ)では異名異尊の別々の尊挌とされ、チベット密教でもその働きや色によって名前や尊挌が異なるとする。また、穢跡金剛の別名である「大力金剛」(マハ・バーラ:maha bala)は、後期密教における穢跡金剛の通名であるが、清代の中国密教の「西密」(シーミィ;西蔵密宗)においてもよく信仰されており、縁あってそれが戦前の日本にも請来されて、一面二臂の尊像が愛染明王の一番札所でもある『勝鬘院』(愛染堂)の境内にある祠に祀られている。
  10. ^ 「大愛明王」をあえて梵語に還元すると、「大 = マハー」と「愛 = ラーガ」で、「大愛明王 = マハー・ラーガ」(maha lagar)とすることもできる。更に、木村秀明も『幻化網タントラの諸尊』の中で「タキ・ラージャ」を愛染明王であるとしている。なお、その持ち物から、図像学的には「タキ・ラージャ」を降三世明王とする説もある。
  11. ^ 『瑜伽大教王経所説の曼荼羅について』(智山学報)、pp.49-50。
  12. ^ 「『幻化網タントラの諸尊』曼荼羅の構成尊」、pp.121-122。
  13. ^ 『大理国時代の密教における八大明王の信仰』(密教図像 第26号)、pp.55-56。
  14. ^ ネパールにもインドから直接伝わった「ネパール密教」があり、後期密教の教えの一つとしてクク・ラージャ(西蔵名:ククリパ)の系統の『幻化網タントラ』が伝えられている。「ネパール密教」は学問的な調査が進んでいないので未知の部分が多いが、この『幻化網タントラ』の大タンカである曼荼羅には三面十二臂のタキ・ラージャである愛染明王が「持明院」に登場する。その身は赤色で十二臂で二足、顔の三面のうち中央が赤色の顔、尊挌の右側が緑色の顔、尊挌の左側が青黒い色の顔をしていて、それぞれに五智の宝冠を被っている。中央の左右の第一手で大日如来の「転法輪印」を結び、右の第二手には「金剛杵」、左の第二手には「金剛鈴」を持ち、右の第三手には「蓮華」、左の第三手には「牽索」を持ち、右の第四手には「矢」、左の第四手には「弓」を持ち、右の第五手には「金剛鉤」、左の第五手には甘露である不死のアムリタを満たし如意宝珠を浮かべた「髑髏杯」(カパラ)を持ち、左右の第六手で「大三昧印」を結んでいる。持物が日本の愛染明王と完全に一致するので、今後の図像学的な研究対象となると考えられる。
  15. ^ 『寛平法王御作次第集成』を参照のこと。現在の次第では短い真言が伝えられ、通称を「キリ呪」とも言う。
  16. ^ 『密教大辞典』、「愛染明王」、p5。
  17. ^ 『白宝口抄』(びやくほうくしょう)は『白宝口鈔』とも表記し、13世紀に東寺の観智院亮禅宝蓮華寺亮尊による共著として、真言密教における事相と図像の百科事典であり、167巻からなる。亮禅は西院流の能禅より伝法潅頂を受け、後に東寺の二長者(にのちょうじゃ)をつとめ、1279年には東寺の菩提院の開山となった人物。
  18. ^ 『密教大辞典』、「愛染明王」、p5。
  19. ^ 『図説真言密教のほとけ』、「愛染明王」、p137、p140、pp.145-146。
  20. ^ サンスクリットの原典は発見されていない。
  21. ^ ここで愛染明王とする「タキ・ラージャ」(takki raja)は、チベット語では「hDod pahi rgyalPo」とする。これを図像学的には降三世明王とする研究があることは先に述べた通りである。
  22. ^ 『中央チベットにおける八大菩薩と併置される仏と守門神』(密教図像 第26号)、pp.19-23。
  23. ^ 『三尊合行秘次第』は、別名『一二寸合行秘次第』ともいう。
  24. ^ 「『文観著作聖教の再発見』三尊合行法のテクスト布置とその位相」(名古屋大学文学研究科)、p120。
  25. ^ 円光寺は、開基の時の名称は「常福寺」という。
  26. ^ 「『密教工芸』神秘のかたち」(奈良国立博物館)、p17-図版10、p62-図版10、p63-図版11。
  27. ^ 『両頭愛染曼荼羅の成立に関する一考察』(印度學佛教學研究:第六十巻第二号)、pp.615-618。
  28. ^ 『高野山』(総本山 金剛峯寺)、p21。
  29. ^ 【イチから分かる】直江兼続 「信義ある智将」に残る謎 (3/4ページ) 産経ニュース 2009.5.6
  30. ^ 『愛染明王(国宝)御由来記・御縁記・御霊験記』(駒形山妙高寺)、pp.3-6。
  31. ^ 一口に「愛欲」と言うが、世俗における愛や欲を密教の智慧の炎である智火によって浄化し、それらが昇華されて仏智に基づく働きとなったものを「大愛」または「大欲」という。なお、ここで言う「大欲」とは、大楽思想で知られる『理趣経』等に説かれるものを指している。
  32. ^ 冠の上に突き出ているのは、「五鈷鉤」ではなく「五鈷杵」とする説もある。
  33. ^ 両耳の脇から前方に伸びるケープ状の装飾。一般に、身体に掛かる羽衣を天衣と呼び、こちらは天帯という。
  34. ^ 四魔」(梵:catvara marah)とは、人間を内と外から苦しめる事象を魔物に譬えたもので、煩悩魔・五蘊魔・死魔・天魔の四つをいう。密教的には、この「四魔」を調伏することが出来れば、六道輪廻の苦しみを離れ、法身が姿を現し、解脱に至ることになるとされる。
  35. ^ 『西国愛染十七霊場巡礼』(朱鷺書房)、序文pp.3-4。
  36. ^ 潅頂というと、日本では高野山で毎年5月に行われる『胎蔵界結縁潅頂』と、10月に行われる『金剛界結縁潅頂』が有名であるが、これらは『大日経』や『金剛頂経』などの「経典に基づく潅頂」であって、チベット密教では「タントラの潅頂」と呼ばれるものを指し、五大タントラにも数えられる『カーラチャクラの潅頂』(時輪タントラ)が世界的に知られている。ここでいう個別の潅頂とはこれとは違い、チベット密教では「ジェナン」と言い「許可潅頂」と和訳される。この潅頂は正式な阿闍梨の資格をもつ者であれば、基本的に誰でも行うことができ、チベット密教や中国密教では日常的に行われている「諸尊の潅頂」である。日本では、空海の直筆の資料である『請来上表』の中には、「許可潅頂」と「授明潅頂」を授かること再三にわたると述べていて、一般には知られていないがそれほど特殊な潅頂ではない。現在の日本で知られる「諸尊の潅頂」としては、信貴山真言宗朝護孫子寺で12年に一度の寅年に行われる「毘沙門天王結縁潅頂」、天台宗では黄不動で知られる園城寺(三井寺)で行われる「不動明王結縁潅頂」、真言宗では智山派成田山新勝寺で行われる「不動明王結縁潅頂」等がある。なお、愛染明王に関係するものとしては、高野山真言宗金剛峯寺で行われる『瑜祇潅頂』がある。
  37. ^ 幻化網タントラにおける潅頂』(印度學佛教學研究)、pp.859-861。
  38. ^ いわゆる密教の実習の際には、まず先に「ワン」(潅頂)と「ルン」(口誦・口伝)と「ティ」(講義・伝授)を必要とする。潅頂を最初とするのは、小乗戒・大乗戒・三昧耶戒の三つの戒律を儀式の中で授かるからである。小乗戒を授からなければ正式な「仏教徒」ではないし、大乗戒を授からなければ菩提心を備えた「菩薩」ではない。さらには、三昧耶戒を授からなければ密教を修する資格を得た「瑜伽行者」とはいえない。これら三乗の戒を得ていなければ仏教の瞑想にはならず、かりに密教のテキストに基づいたとしてもそれは外道の聖者の瞑想であり、結果的に外道の覚りを得るばかりで、六道輪廻の苦しみを離れることはない。それゆえ、潅頂の中で授かる戒律は、その教えの道を方向づける羅針盤の役目をする。また、その上で「潅頂の種類」と、その儀式の各所作の意味と、『三昧耶戒』の口伝について師僧から教えを受けて知っておく必要がある。なお、潅頂を授からずに真言を唱えることは、潅頂や戒律とは別に密教における真理を表す口密としての「真言」そのものの意義を失い、加えて『三昧耶戒』における「十四根本堕」の四重禁戒の項目「未熟な者には密教の教えを説いてはならない」に違反し、密教における「波羅夷罪」が適用される。ここで、一般の人の場合になぜ授かってもいない戒律の適用を受けるかというと、三昧耶戒はあらゆる存在を通じて真理をその身に体現することを象徴するからである。それゆえ解説を加えると、この戒律の例として、正式な潅頂を授かっていない人に対しては、諸仏や諸尊の真言(マントラ)を教えてはいけないし、唱えさせてもいけないし、唱えることを許してもいけない。それを教えたり許可した際にはこの戒律に違反することになり、「波羅夷罪」が適用されて、たとえば僧侶の場合には「僧籍に加え全ての資格を失うと共に、2年間一切の宗教活動を禁止し、二度と僧侶となることは出来ない」ことになってしまう。
  39. ^ 『講説理趣経』(四季社)、pp.220-226。『新出・空海書 請来上表』(墨美社)、p14、p42、pp.59-60。『皈依灌頂儀規』(總持出版社)、p10、p15。『中院流諸尊通用次第撮要』(親王院)、pp.4-7。『金剛乗殊勝心要宝蔵解説』(蓮華堂出版部)、pp.75-79。『いのちつながる』(高野山真言宗総本山金剛峯寺)、pp.202-204。
  40. ^ 一行 著 『大日経疏』巻三(大正大蔵経39巻、p609)。「摩訶衍(マハヤーナ:大乘教。ここでは密教を含む)の中には、また真言を以って秘密の教えとする。未だ曼荼羅に入らざる者、即ち、灌頂を授かっていない者には、読誦せしめず。(中略)このゆえに、真言を修し学ぼうとする者は、先ず曼荼羅に入らしめて、灌頂を授けることを要するなり(摩訶衍中亦以持明為秘蔵。未入漫荼羅者不合読誦受持。(…)所以修学真言者。要令先入漫茶羅也。)」。
  41. ^ 『ダライ・ラマの密教入門』(光文社)、pp.48-53。
  42. ^ 『【図説】曼荼羅大全』(東洋書林)、pp.37-40。
  43. ^ 不空訳『蕤呬耶経』巻下(大正大蔵経18巻、p772)。「もし、愚人あって、曼荼羅に入らずして(潅頂を授かっていないのに)真言を唱えたならば、遍数を満ずるといえども、ついに成就せず。復た、(真言を唱えたために)邪見を起こしたならば、その人は命が尽きてから地獄に堕ちる。もし、人あって彼に真言の法を教えたならば、その人もまた、三昧耶戒に違反することとなり、命を終えた後に、叫喚地獄(raurava)に堕ちる」(若有愚人不入曼荼羅持誦真言。雖満遍数終不成就。復起邪見。彼人命終堕於地獄。若有人与彼真言法者。彼亦堕三摩耶戒。命終之後堕於嚕羅婆地獄。)。
  44. ^ 『秘密三昧耶佛戒儀』(總持寺出版社)、p28。『外内密戒律金剛乗十四根本堕講義解』(總持寺出版社社)、pp.9-10。『外内密戒律手冊』(總持寺出版社)、pp.41-44。『普通真言蔵』第二巻・付(東方出版社)、稲谷裕宣 著 「浄厳覚彦の『普通真言蔵』」、pp.50-52。『普通真言蔵』第二巻・付(東方出版社)、上田霊城 著 「浄厳和尚と真言陀羅尼」、pp.65-67。『中院流諸尊通用次第撮要』(親王院)、pp.261-272。『仏教タントリズムにおける言葉の問題』(日本密教学会)、pp.5-15。『金剛乗殊勝心要宝蔵解説』(蓮華堂出版部)、pp.51-53。『潅頂のための次第書』(蓮華堂出版部)、pp.9-13。『ダライ・ラマの密教入門』(光文社)、pp.137-141。
  45. ^ 江戸時代の「戒律復興運動」に功績があり、如法真言律を提唱し、生涯において三十数万人の僧俗に対して正しい戒律潅頂を授けた浄厳覚彦の『普通真言蔵』によると、真言について書かれた書物を売買してもいけないとして、真言の大切さと三昧耶戒の厳しさを説いている。
  46. ^ 『普通真言蔵』第一巻(東方出版社)、p1。
  47. ^ 三宝院大僧正定海(1074-1149)の口伝を、松橋大僧正元海(1093-1156)が記した『厚造紙』愛染法による。
  48. ^ 『密教経軌の説く 金剛薩埵の研究』(永田文昌堂)、「3、『降三世儀軌における金剛薩埵』」、pp.271-281。
  49. ^ 『理趣経の研究』(密教文化研究所)、「別冊」、pp.5-11。
  50. ^ 『秘抄』は、勝賢僧正(1138-1196)の原作を仁和寺守覚法親王が編集したもので、真言密教における諸尊の修法の次第を伝える資料集。
  51. ^ 空海が「八大明王法」を知っていたかについては、唐代の密教の貴重な資料とされる1987年に出土した法門寺の地下宮殿の遺跡の中でも仏舎利を祀った純金「真身宝函」に八大明王がレリーフで彫られている。そして、法門寺博物館の館長が来日した際に奈良国立博物館で行なった講演では、中国の資料には「開元の三大師」として不空三蔵・恵果阿闍梨・空海の三人がこの仏舎利を祀った法門寺仏塔で法要を行なったとのことである。このうち空海をはずしたとしても、不空と恵果の嫡流である空海が「八大明王法」に関する知識を得ていたと考えてもよい。詳しい資料としては『法門寺地宮出土の真身宝函に表わされる八大明王ついて』(名古屋大学博物館)があり、一般的な資料としては拡大写真を掲載した『弘法大師空海と唐代密教』(法蔵館)が参考になる。
  52. ^ 越智淳仁 著 「中国・法門寺所出金剛界曼荼羅の八大明王」、『弘法大師空海と唐代密教』、pp.192-234。
  53. ^ 『大妙金剛経』の正式名称は、『大妙金剛大甘露軍孥利焔鬘熾盛金剛経』という。
  54. ^ 法具としての名称は「華座」という。
  55. ^ 『大妙金剛経』に説く八大明王は、降三世明王大威徳明王大笑明王(だいしょうみょうおう)、大輪明王馬頭明王無能勝明王不動明王歩擲明王(ぶちゃくみょうおう)の八尊からなる。一般に真言宗では、「五大明王」に烏枢沙摩明王無能勝明王馬頭明王の三尊を足して八大明王とするが、天台宗の「五大明王」には烏枢沙摩明王が入っているので、この三尊では八尊にはならない。
  56. ^ 白描の断片的なものを除けば、日本で唯一『大妙金剛経』に基づく八大明王を配置する曼荼羅の図像であり、日本密教と後期密教との関係を考察する上での重要な資料となる。なお、白描の図像には、同じく醍醐寺蔵の「八大明王図」(重要文化財)がある。『秘宝 第8巻 醍醐寺』(講談社)を参照。
  57. ^ 八大ヘールカ法』は『修部の八教説』(ドゥパ・カギェー:sgrup pa bkah bragyad)、または『八大守護尊の大系』(イダム・ドゥパ・カギェー:yidam sgub pa bkah bragyad)と呼ばれる。持明金剛(rig hdzin slopdponlha:金剛王菩薩に相当)の総集ヘールカ(チェチョク:che mchog)を中心に、妙吉祥ヘールカ(大威徳明王)・蓮華ヘールカ(馬頭明王)・真実ヘールカ・甘露ヘールカ・金剛橛ヘールカ(プルパ金剛)・殊勝ヘールカ・呪語ヘールカ・世神ヘールカの八体の守護尊を加えて、全部で九尊の憤怒尊を祀り修法を行なうもので、歴史上のグル・パドマサンバヴァによってチベットに直接伝えられた教えと言われ、主にニンマ派において重要な法とされている。
  58. ^ 「西蔵仏教宗義研究 第三巻 トゥカン『一切宗義』ニンマ派の章」(東洋文庫)、pp.108-109、p161。゜
  59. ^ 『薄双紙』と、『諸尊通用次第』の各尊の次第を参照のこと。
  60. ^ 『愛染法大全』(蓮華堂出版部)を参照。
  61. ^ 「咕羅咕里佛母」は中国密教の呼称。梵名の「クルックレー」のことを指していて、チベット密教では「敬愛法」の代表的な尊挌とされており、日本密教では『理趣経』の曼荼羅には「愛金剛女」の名前で、『金剛王菩薩秘密念誦儀軌』には「計里枳黎金剛女」の名前で登場する。
  62. ^ 「伊迦惹托」は中国密教の呼称。梵名は「エカジャティ」または「エーカジャターラークシャーヤャ」といい、日本では「一髻羅刹」(いちけいらせつ)と訳される。チベット密教のニンマ派では、「ガクスンマ」とも呼ばれ、女尊の護法尊の筆頭とされている。なお、憤怒相の十一面観音の明妃として日本の胎蔵界曼荼羅にも登場し、後期密教では重要な尊挌である。
  63. ^ 相手に執着し、離れがたいと思うこと。また、そこから生じた独占欲。
  64. ^ 『愛染明王像』(至文堂)、p14-第18図、p68-第119図。
  65. ^ 真言律宗総本山の西大寺にある愛染明王坐像(重要文化財)の厨子絵では、愛染明王の両脇持として、陽光童子(左)と雨宝童子(右)の二体が描かれている。
  66. ^ 真言宗小野派・金胎房覚禅(1143-1213頃)が編纂した事相の作法と図像集。当時、高野山や醍醐寺・勧修寺に伝わる資料に加え、「図像抄」や「別尊雑記」等を調べて、別尊法の次第や図録を書き記したもの。当初は、百巻あったともされ「百巻抄」とも呼ばれるが、原本は失われて写本のみが伝わり、写本ごとに巻数や内容が異なる。その中で有名なものには「勧修寺本」がある。
  67. ^ 『愛染明王像』(至文堂)、p77-第131図。
  68. ^ この本は、入唐八家の宗叡の請来本と一致し、宗叡の請来本を空海が筆写したものと伝えられている。
  69. ^ 『愛染明王画像二題』(佛教藝術268号)、「註8」、p30。
  70. ^ 理趣経』を一つの図像で表す曼荼羅には『金剛界曼荼羅』の「理趣会」を切り取った形の『理趣曼荼羅』と、四印曼荼羅の『理趣曼荼羅』の二つがあり、『愛染曼荼羅』に関係するのは『理趣曼荼羅』の方である。現在、一般に「理趣経曼荼羅」と呼ばれているものは、同じく前者の『理趣曼荼羅』指しているので、注意を要する。
  71. ^ 『愛染明王像』(至文堂)、p13、第16-114図。
  72. ^ 『愛染明王像』(至文堂)、p67、116図。
  73. ^ 『愛染明王像』(至文堂)、p17、第17-115図。

参考文献[編集]

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  • 『小僧次第』、古写本。
  • 『秘抄』(巻子本)、三宝院憲深方 古写本。
  • 那須政隆 著 『瑜伽大教王教所説の曼荼羅について』、智山学報(新第11巻)、昭和12年(1937年)刊。
  • 木村秀明 著 「『幻化網タントラの諸尊』曼荼羅の構成尊」、密教学研究(第21号)、1989年刊。
  • 中条裕康 著 『幻化網タントラにおける曼荼羅』、豊山教学大会紀要(通号16)、1988年刊。
  • 川崎一洋 著 『大理国時代の密教における八大明王の信仰』、密教図像(第26号)、平成19年(2007年)刊。
  • 密教大辞典編纂会 遍 「『密教大辞典』 - 縮刷版 - 」、法蔵館、昭和62年(1987年)刊。
  • 田村隆照 著 『図説真言密教のほとけ』、朱鷺書房、1990年刊。
  • 大羽恵美 著 『中央チベットにおける八大菩薩と併設される仏と守門神』、密教図像(第26号)、平成19年(2007年)刊。
  • 栂尾祥雲 著 『理趣経の研究』(非売品)、密教文化研究所、昭和45年(1970年)刊。
    • 栂尾祥雲 著 『理趣経の研究』(栂尾祥雲全集5)、臨川書店、昭和60年(1985年)刊。[上記の再版本]
  • 平岡龍人 著 『密教経軌の説く 金剛薩埵の研究』、永田文昌堂、平成24年(2012年)刊。
  • 佐和隆研 著 『秘宝 第6巻 東寺』、講談社、昭和42年(1967年)刊。
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  • 阿部泰郎 著 「『文観著作聖教の再発見』三尊合行法のテクスト布置とその位相」、名古屋大学文学研究科、2008年刊。
  • 見田隆鑑 著 『法門寺地宮出土の真身宝函に表される八大明王について』、名古屋大学博物館報告第21号、2005年刊。
  • 静慈園 編 『弘法大師空海と唐代密教』、法蔵館、2005年刊。
  • 頼富本宏 著 『日中を結んだ仏教僧』 - 波濤を超えて決死の渡海 - 、(社)農山漁村文化協会、2009年刊。
  • 木村秀明 著 『幻化網タントラにおける潅頂』、印度學佛教學研究第39巻第2號、平成3年刊。
  • 宮坂宥勝 著 『講説 理趣経』 -『理趣釈』併録- 、四季社、平成17年刊。
  • 飯島太千雄 写真・文 『新出・空海書 請来上表』(墨美№286)、墨美社、1978年刊。
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  • 普方金剛大阿闍梨 著 『皈依灌頂儀規』、總持寺出版社、民国70年(1981年)刊。
  • 普方金剛大阿闍梨 口述 『外内密戒律金剛乗十四根本堕講解』、總持寺出版社、民国69年(1980年)刊。
  • 普方金剛大阿闍梨 編著 『外内密戒律手冊』、總持寺出版社、民国69年(1980年)刊。
  • ダライ・ラマ十四世 著 『ダライ・ラマの密教入門』(文庫版)、石濱裕美子 訳、光文社、2001年刊。
  • マルティン・ブラウエン 著 『【図説】曼荼羅大全』、森雅秀 訳、東洋書林、2002年刊。
  • 岡坂勝芳 訳 『潅頂のための次第書』、ナムカ・キュンゾン・ダルマ・ソサイェティ 監修、蓮華堂出版部、2006年刊。
  • 岡坂勝芳 編著 『金剛乗殊勝心要宝蔵解説』、ギェーパ・ドルジェ・リンポチェ 伝戒・許可、蓮華堂出版部、2003年刊。
  • 梶山雄一 著 『仏教タントリズムにおける言葉の問題』(密教学研究 第11号)、日本密教学会、昭和54年(1979年)刊。
  • 金剛峯寺 編 『いのちつながる』 -松長有慶 講演集- 、高野山真言宗総本山金剛峯寺開創法会事務局、平成24年刊。
  • 中川善教 著 『中院流諸尊通用次第撮要』、親王院、昭和63年(1988年)刊。
  • 稲谷祐宣 編著 『普通真言蔵』全2冊、浄厳原著、東方出版社、1981年刊。
  • 高野山大学 編 『中院三十三尊』、珠数屋四郎兵衛 発売、平成4年(1992年)刊。
  • 『薄双紙』、総本山智積院内・智山講伝所 発行、藤井佐兵衛 印刷、昭和59年(1984年)刊。
  • 岡坂勝芳 編・校訂 『愛染法大全』(非売品)、蓮華堂出版部、平成20年(2008年)刊。
  • 平松敏雄 著 「西蔵仏教宗義研究 第三巻 トゥカン『一切宗義』ニンマ派の章」、東洋文庫、1982年刊。
  • 石田尚豊 著 『曼荼羅の研究』全2巻、東京美術、昭和50年(1975年)刊。
  • 文化庁・ボストン美術館 監修 『ボストン美術館日本絵画名品展特別図録』、日本テレビ放送網、昭和59年(1984年)刊。
  • 奈良国立博物館 編集 「『密教工芸』神秘のかたち」、奈良国立博物館、平成4年(1992年)刊。
  • 内田啓一 著 「『愛染明王画像二題』根津美術館蔵とMOA美術館蔵を中心に」、佛教藝術(268号)、2003年刊。
  • 根立研介 著 『愛染明王像』、日本の美術9(№376)、至文堂、1997年刊。
  • 鍵和田聖子 著 「『両頭愛染明王の成立に関する一考察』金胎不二の図像的表現を中心に」、印度學佛教學研究第六十巻第二号、平成24年(2012年)刊。
  • 第十九世沙門域淳 著 『愛染明王(国宝)御由来記・御縁起記・御霊験記』、駒形山妙高寺、昭和10年(1935年)刊。
  • 柴田賢龍 著 『愛染明王を説く教典儀軌の事』、柴田賢龍文庫、平成21年(2009年)。
  • 日野西眞定 監修 『高野山』、総本山 金剛峯寺 編集・発行、平成8年(1996年)刊。
  • 西国愛染霊場会 編 『西国愛染十七霊場巡礼』、朱鷺書房、1994年刊。
  • 南月 著 『愛染明王』 -祈福懐愛行法- 、徳童 描画、全佛文化事業有限公司、民国88年(1999年)刊。

関連項目[編集]