愛新覚羅胤ジョウ
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愛新覚羅 胤礽(あいしんかくら いんじょう、1674年 - 1725年)は、中国清朝の皇族。康熙帝の第2皇子。理密親王。
康熙帝皇后の孝誠仁皇后を生母として誕生し、わずか2歳にして皇太子となる。母方の大叔父に当たるソンゴトが権勢を得ていたこともあり、周囲の期待の下、英才教育を受け成長した。しかし、康煕帝が病気でもその容態を心配せず、また帝位の奪取を謀ったり謀反人を庇護しているなどといった風評から、次第に父帝の信頼を失い、警戒心を持たれていった。1703年にソンゴトが失脚すると政治的にも後ろ盾を失い、孤立の度を深めていった。
1708年、規範に背き暴虐や淫乱を尽くしているとの罪状により、遂に皇太子の地位を剥奪され投獄される。翌1709年に一度復権したが、行状が改まらず、更に狂疾の疑いも持たれ、1712年に再び廃立・幽閉された。それから13年を経た1725年、獄中にて死去した。