愛新覚羅氏
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| 愛新覚羅氏 | |||||||
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| 中国語 | |||||||
| 繁体字 | 愛新覺羅 | ||||||
| 簡体字 | 爱新觉罗 | ||||||
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| 満州語 | |||||||
| 満州語 | Aisin Gioro アイシンギョロ |
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| 愛新覚羅家 | |
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| 国 | 清、満州国 |
| 称号 | 清朝の皇帝 満州国皇帝 |
| 創設者 | ヌルハチ |
| 最終当主 | 愛新覚羅溥儀 |
| 創設時期 | 1644年 |
| 断絶 | 1912年: 君主制廃止 |
| 民族 | 満州民族 |
愛新覚羅(あいしんかくら)氏は、満洲(中国東北部)に存在した建州女真族(満洲民族)の姓氏で、中国を統一し清朝を打ち立てた家系。清の国姓である。アイシン(ᠠᡳᠰᡳᠨ)は「金」という意味の部族名、ギョロ(ᡤᡳᠣᡵᠣ)はヌルハチの祖先が最初に定住した土地(現在の黒竜江省依蘭県一帯)の名を戴いた姓氏で、全体で「金の如く高貴かつ神聖なる覚羅一族」を表す。清朝滅亡後、愛新覚羅氏の多くが漢語に翻訳した「金」姓に取り替えた。なお、愛親覚羅は誤字。
清朝ではヌルハチの祖父以上の家系のものは「覚羅(ギョロ)」とし、ヌルハチの父顕祖以下の子孫は「宗室」とされた。清朝皇族の系図は『玉牒』に収められている。
清朝皇族の爵位 [編集]
- 和碩親王(ホショイ・チン・ワン、ホショしんおう)
- 世子(スィズィ、親王の嗣子)
- 多羅郡王(ドロイ・ギュン・ワン、ドロぐんおう)
- 長子(ジャンズィ、郡王の嗣子)
- 多羅貝勒(ドロイ・ベイレ)
- 固山貝子(グサイ・ベイセ)
- 鎮国公(グルン・ベ・ダリレ・グン)
- 輔国公(グルン・デ・アイシララ・グン)
- 不入八分鎮国公(ジャクン・ウブ・デ・ドシムブハク・グルン・ベ・ダリレ・グン)
- 不入八分輔国公(ジャクン・ウブ・デ・ドシムブハク・グルン・デ・アイシララ・グン)
- 鎮国将軍(グルン・ベ・ダリレ・ジャンギン)
- 輔国将軍(グルン・デ・アイシララ・ジャンギン)
- 奉国将軍(グルン・ベ・トゥワキャラ・ジャンギン)
- 奉恩将軍(ヘシ・ベ・トゥワキャラ・ジャンギン)
清朝皇族の爵位は通常一代ごとに降下する。特に功績がなければ親王の子は郡王、郡王の子は貝勒というように爵位が下がっていく。しかし、特に功績が大きかった皇族は世襲が認められ、爵位が降下しないことから鉄帽子王と呼ばれた。
- 礼親王家 - ヌルハチの第2子・代善(ダイシャン)が祖。
- 睿親王家 - ヌルハチの第14子・多爾袞(ドルゴン)が祖。
- 予親王家 - ヌルハチの第15子・多鐸(ドド)が祖。
- 粛親王家 - ホンタイジの長子・豪格(ホーゲ)が祖。清末に善耆、川島芳子父娘が出る。
- 承沢親王家 - ホンタイジの第5子・碩塞(ショセ)が祖。後に荘親王家と改称。
- 鄭親王家 - ヌルハチの弟シュルガチの子・済爾哈朗(ジルガラン)が祖。西太后の政敵粛順、鄭親王端華兄弟が出る。
- 克勤郡王家 - 代善の長子岳託(ヨト)が祖。
- 順承郡王家 - 代善の子薩哈璘(サハリヤン)の第2子勒克徳渾が祖。
これらの八家は建国にあたって特に功績が大きかったために他の皇族とは別格とされ、八大王家と呼ばれた。睿親王家は多爾袞が皇位を簒奪しようとしたとして廃絶されていたが、乾隆年間に多爾袞が名誉回復したために再興された。多爾袞に連座して同母弟多鐸も郡王に落とされていたが、同様に乾隆年間の名誉回復により親王家に戻された。
清の中期、末期には以下の四家も功績があったとして世襲が認められ、最終的には世襲王家は十二家となった。
- 怡親王家 - 康熙帝の第13子・胤祥が祖。
- 恭親王家 - 道光帝の第6子・奕訢が祖。
- 醇親王家 - 道光帝の第7子・奕譞が祖。奕譞の子が光緒帝、孫が宣統帝となる。
- 慶親王家 - 乾隆帝の第17子・永璘が祖。永璘の孫奕劻が清末に軍機大臣として活躍し、世襲王家とされた。
著名人 [編集]
- ヌルハチ
- ホンタイジ
- ドルゴン
- 康熙帝
- 乾隆帝
- 愛新覚羅溥儀
- 愛新覚羅溥傑
- 川島芳子:本名は愛新覺羅 顯㺭(あいしんかくら けんし)
- 愛新覚羅毓嶦
- 愛新覚羅毓峨
- 愛新覚羅連経
- 愛新覚羅恒懿:画家
- 愛新覚羅烏拉熙春:日本名は吉本智慧子,満州語の研究者。