悦ちゃん (子役)

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えっちゃん

悦ちゃん
映画『悦ちゃん乗り出す』(1937年日活)より。
生誕 江島 瑠美
1926年6月21日
日本の旗 日本 東京府東京市
失踪 1941年1月21日(14歳)
現況 不明
職業 子役
活動期間 1936年 - 1941年
代表作 悦ちゃん
江島武夫(父)
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悦ちゃん(えっちゃん、1926年6月21日 - )は、日本の子役俳優である。本名江島 瑠美[1]

経歴[編集]

1926年(大正15年)6月21日東京府東京市(現在の東京都)に生まれる。

父は画家の江島武夫である。東京市杉並区立杉並第四小学校の4年生だった1936年(昭和11年)10月、日活多摩川撮影所が映画『悦ちゃん』の主演子役を募集したのに対して応募して選ばれた。この役名から芸名がついた[1]

映画『悦ちゃん乗り出す』(1937年日活)より。左から、中田弘二悦ちゃん星美千子黒田記代

同作は大ヒットし、当時のハリウッドの子役スターであるシャーリー・テンプルになぞらえ、「和製テンプルちゃん」と呼ばれ、人気を博した。

1939年(昭和14年)4月、東宝映画に移籍したが、15歳になる1941年(昭和16年)には映画界から引退した[1]。引退後の消息は不明であるが、書籍『ゴシップ10年史』では1958年のアメリカ・日本の合作映画『黒船英語版』にキャスティング・ディレクターとして参加していたと記載されている[2]

フィルモグラフィ[編集]

1937年 日活多摩川撮影所
1938年 日活多摩川撮影所
  • まごころ万才
  • 忠臣蔵 地の巻 ※日活京都撮影所
  • 忠臣蔵 天の巻 ※日活京都撮影所
  • 悦ちゃん部隊
  • 悦ちゃん万才
  • 弥次㐂夛道中記 ※日活京都撮影所
1939年 東宝映画東京撮影所
  • エノケンの鞍馬天狗
  • ロッパの子守唄
  • まごころ
  • 白蘭の歌 前篇
  • 白蘭の歌 後篇
1940年 東宝映画東京撮影所

脚注[編集]

  1. ^ a b c 『日本映画俳優全集・女優編』(キネマ旬報社、1980年)の「悦ちゃん」の項(122ページ)。同項執筆は吉田智恵男
  2. ^ 内外タイムス文化部 編『ゴシップ10年史』三一書房、1964年、68頁。 

外部リンク[編集]