急進左派連合

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ギリシャの旗 ギリシャの政党
急進左派連合
Συνασπισμός Ριζοσπαστικής Αριστεράς
SYRIZA logo 2014.svg
党のロゴ
党首 アレクシス・ツィプラス
ギリシャ議会議席数
149 / 300   (50%)
(2015年1月25日)
政治的思想・立場 左翼
国際組織 欧州統一左派・北方緑の左派同盟
欧州左翼党
Alexis Tsipras Komotini cropped.jpg
急進左派連合党首のアレクシス・ツィプラス
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急進左派連合(きゅうしんさはれんごう、ギリシャ語Συνασπισμός Ριζοσπαστικής Αριστεράς、略称:ΣΥΡΙΖΑ, SYRIZA、「スィリザ」)は、ギリシャ左派政党

歴史[編集]

2004年の議会選挙の前に、SYRIZAの最大勢力である「左翼運動・エコロジー連合」(シナスピスモス)を中心に、左派グループの左翼連合(比較的穏健な民主社会主義者から従来は極左とされてきた毛沢東主義トロツキストを含み、環境主義と結びついたいわゆる「緑の左翼Green left」や、対EU姿勢ではユーロコミュニズムから欧州懐疑主義に至る、30の組織と無所属の政治家からなる広範な布陣)として結成された。その構成に結びついたプロセスのルーツは、「左派の統一と共同行動に関する会議の広場」にまでさかのぼることができる。 「広場」は、ギリシャの様々な組織で構成され、異なるイデオロギーや歴史的背景にもかかわらず、1990年代の終わりにギリシアで発生した、コソボ戦争民営化社会権などのようないくつかの重要な問題について、一般的な政治的活動を共有した。2001年の「広場」では、参加団体が次のもののような問題にともに取り組むことができる共通基盤を提供した。

※(G8サミットでは、反グローバリズム、行き過ぎた資本主義に反対する市民の示威運動が起こった。)

「広場」は政治的な組織ではなかったにも関わらず、むしろ参加した政党や組織を互いに結びつけ、2002年の地方選挙では、いくつかの選挙同盟をもたらした。その最も成功したものに、マノリス・グレゾスManolis Glezos)によって、アテネ・ピレネウス広域自治体のために導かれたものがある。「広場」はまた、構成するいくつかの政党や組織を大きなヨーロッパ社会フォーラムThe European Social Forum)の一部として、ギリシャ社会フォーラム(the Greek Social Forum)を成立させる共通の地盤を準備した。

2004年の議会選挙の時に各組織は発展解消し、正式にSYRIZAという名称の政治組織となった。最も多い「広場」の参加者は、選挙同盟を導く共通のプラットフォームの発展を求めた。このことは、2004年1月に急進左派連合の結成を最終的に導くこととなった。

2004年1月に急進左派連合を形成した政党は、以下のとおりである。

2008年に、シナスピスモスの議長が、急進左派連合結成の立役者アレコス・アラヴァノスから若手の33歳のアレクシス・ツィプラス英語版(ツィプラスはチプラスとも)に交代すると、翌2009年に急進左派連合の党首もツィプラスへ交代した。

2012年5月6日に実施されたギリシャ総選挙では、ギリシャ政府による緊縮財政策に反対する国民の支持を受けて52議席を獲得し、二大政党の一翼を担ってきた全ギリシャ社会主義運動を抑えて第2党に躍進した。総選挙後の政権交渉が失敗に終わった結果、6月に行われた再選挙でも得票と議席を伸ばしたが、第2党に留まった[1]

2015年1月25日に実施された議会総選挙では、単独過半数には至らなかったものの149議席(定数300)を獲得した。これにより中道右派の新民主主義党や中道左派の全ギリシャ社会主義運動といった、従来の二大政党とされてきた勢力を抜いて、ついに第一党に躍り出た[2]。翌26日、急進左派連合と同じく反緊縮財政を掲げる右派系の少数政党である独立ギリシャ人と協議を行い連立政権樹立に合意、党首のツィプラスが首相に就任した[3]

脚注[編集]

参考文献[編集]