急進左派連合

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ギリシャの旗 ギリシャの政党
急進左派連合
Συνασπισμός Ριζοσπαστικής Αριστεράς
Syriza-logo.jpg
党のロゴ
党首 アレクシス・ツィプラス
ギリシャ議会議席数
71 / 300   (24%)
(2012年6月16日)
政治的思想・立場 左翼
国際組織 欧州統一左派・北方緑の左派同盟
欧州左翼党
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急進左派連合(きゅうしんさはれんごう、ギリシャ語Συνασπισμός Ριζοσπαστικής Αριστεράς、略称:ΣΥΡΙΖΑ, SYRIZA、「スィリザ」)は、ギリシャ左派政党

急進左派連合党首のアレクシス・ツィプラス

歴史[編集]

2004年の議会選挙の前に、SYRIZAの最大勢力「左翼運動・エコロジー連合」(シナスピスモス)を中心に、左派グループの左翼連合(民主社会主義者毛沢東主義トロツキストを含む緑の左翼、ユーロコミュニズム等の30の組織と無所属の政治家の広範な布陣)として結成された。その構成に結びついたプロセスのルーツは、「左派の統一と共同行動に関する会議の広場」にまでさかのぼることができる。 「広場」は、ギリシャの様々な組織で構成され、異なるイデオロギーや歴史的背景にもかかわらず、1990年代の終わりにギリシアで発生した、コソボ戦争民営化社会権などのようないくつかの重要な問題について、一般的な政治的活動を共有した。2001年の「広場」では、参加団体が次のもののような問題にともに取り組むことができる共通基盤を提供した。

※(G8サミットでは、反グローバリズム、行き過ぎた資本主義に反対する市民の示威運動が起こった。)

「広場」は政治的な組織ではなかったにも関わらず、むしろ参加した政党や組織を互いに結びつけ、2002年の地方選挙では、いくつかの選挙同盟をもたらした。その最も成功したものに、マノリス・グレゾスManolis Glezos)によって、アテネ・ピレネウス広域自治体のために導かれたものがある。「広場」はまた、構成するいくつかの政党や組織を大きなヨーロッパ社会フォーラムThe European Social Forum)の一部として、ギリシャ社会フォーラム(the Greek Social Forum)を成立させる共通の地盤を準備した。

2004年の議会選挙の時に、正式にSYRIZAという名称の政治組織となった。最も多い「広場」の参加者は、選挙同盟を導く共通のプラットフォームの発展を求めた。このことは、2004年1月に急進左派連合の結成を最終的に導くこととなった。

2004年1月に急進左派連合を形成した政党は、以下のとおりである。

2008年に、シナスピスモスの議長が、急進左派連合結成の立役者アレコス・アラヴァノスから若手の33歳のアレクシス・ツィプラス英語版に交代すると、翌2009年に急進左派連合の党首もツィプラスへ交代した。

2012年5月6日に実施されたギリシャ総選挙では、ギリシャ政府による緊縮財政策に反対する国民の支持を受けて52議席を獲得し、全ギリシャ社会主義運動を抑えて第2党に躍進した。総選挙後の政権交渉が失敗に終わった結果、6月に行われた再選挙でも得票と議席を伸ばしたが、第2党に留まった[1]

脚注[編集]

参考文献[編集]