急進党

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急進党(きゅうしんとう, Parti radical) はフランス政党。正式名称を共和主義急進派・急進社会党(きょうわしゅぎきゅうしんは・きゅうしんしゃかいとう、Parti républicain, radical et radical-socialiste )といい、短く急進社会党とも呼ばれている。

1901年に「猛虎」とあだ名されたジョルジュ・クレマンソーによって結党され誕生した急進的な共和主義自由主義政党で、党名からは社会主義政党と考えられがちだが、実態は中南部の農民層を支持基盤とする中道の政党である。第三共和政下では中心的な政党として君臨し、1905年政教分離法を成立させローマ・カトリックの影響を政治介入から排除、社会党共産党を中心とした人民戦線内閣に加わるなど、フランスの政治に与えた影響は大きい。

戦後の第四共和政下では勢力が著しく後退するが、他の中道諸政党を糾合し中心指導勢力として国民議会内部での統一会派「共和派左翼戦線」を結成。ピエール・マンデス=フランス政権を誕生させ第四共和政の負の遺産の清算に挑戦するも、保守ド・ゴール派の隆盛とアルジェリア紛争の泥沼化により影響力を失う。第五共和政下ではド・ゴール派を中心とした右派に対抗して社会党・共産党との共闘に進むが、1969年ジャン=ジャック・セルバン=シュレーベル党首が就任すると左右両派と距離を置き中道勢力を結集させる方向へと向かう。このことから社共両党との共闘に熱心な左派が1972年に離党し(この流れが後に左翼急進党につながっていく)、残ったセルバン=シュレーベル派は独立共和派や民主中道派・民主進歩中道派とヴァレリー・ジスカール・デスタン支持に向かう。ジスカール・デスタン政権が成立すると、急進党はフランス民主連合の結成に加わって連合内でも有力な政治勢力となった。

現在も中道より少し右の政治的立場をとっている。国民運動連合が結成される前はフランス民主連合に所属する議員が多かったが、いまでは国民運動連合に近く、2002年フランス大統領選挙第1回投票ではジャック・シラク候補を支持した。急進党は2007年国民議会下院)選挙で国民運動連合から17人の下院議員を当選させ、5人の上院議員が会派「民主社会欧州連合」に所属し、2人の上院議員は国民運動連合に所属している。

党首ジャン=ルイ・ボルロー環境・持続的開発・計画相。なお現在も党の原点である政教分離を尊重している。

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