志賀原子力発電所

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志賀原子力発電所(しかげんしりょくはつでんしょ)は石川県羽咋郡志賀町にある北陸電力原子力発電所

目次

[編集] 発電設備

[編集] 1号機

[編集] 2号機

  • 原子炉: 改良型沸騰軽水炉 (ABWR)
  • 運転開始: 2006年(平成18年)3月15日
  • 定格電気出力: 135.8万キロワット
  • 定格熱出力: 392万6千キロワット

[編集] 過去の主なトラブル

  • 2004年6月10日 1号機 廃棄物処理建屋内における水漏れ
  • 2005年4月1日 石川県羽咋市で高さ90メートルの北陸電力能登幹線の鉄塔が、大規模な地滑りの影響を受け倒壊し、送電できなくなったため1号機を午前4時30分に手動停止。6月に運用開始予定であった能越幹線の運用を早め、4月26日、運転再開。その後、能登幹線は2006年6月に復旧したが、倒壊現場を避けるためにルートが変更され、それに伴い鉄塔が二本減らされた。
  • 2006年1月26日 2号機 営業運転に向け試験中、原子炉隔離時冷却系の蒸気供給隔離弁の試験をおこなったところ、2つあるうちの1つが全閉できなかった。その後、全閉することを確認したが、詳細に点検するために原子炉を停止する。
  • 2006年3月24日 耐震性の疑問に対し金沢地方裁判所より2号機に対し運転差し止め命令が命じられる。北陸電力側はただちに控訴、運転を止める予定はないとのこと。しかし後に、タービン関連のトラブルで停止している間に耐震強度を高めるための工事を行う。
  • 2006年7月18日 2号機のタービンにひびが入っている事が確認される。6月15日にトラブルを起こした中部電力浜岡原子力発電所5号機とタービンが同型であった為、7月5日以降、点検が行われていた。応急処置として、問題箇所の羽根を整流板に付け替えた上で2007年4月に運転を再開するという。羽根がなくなった分だけ出力が落ちる為、新しいタービンに入れ替えるまでは120.6万kWで送電する事となる。
  • 2006年11月6日 1号機の発電機コレクタリング冷却ファンに記録用紙が吸い込まれ、周囲の音や振動が変化した為に原子炉を停止する。1週間程で点検を終える予定だったが、中性子計測器の接続ミスが見つかったので運転再開が延期され、点検は22日までかかった。このトラブルが原因で、点検時に現場周辺へ記録用紙を持ち込む事が禁止される。
  • 2007年3月25日 後述の臨界事故隠蔽による運転停止中、能登半島地震により使用済み燃料貯蔵プール周辺に約45リットル(放射能量約750万ベクレル)の放射能を帯びた冷却水が飛散した。その内約8リットル(放射能量130万ベクレル)が飛散したのは養生シートの無い部分だった。
  • 2009年4月13日 2号機の気体廃棄物処理系で通常の約3百倍の放射性物質(キセノン133)が検出されたと発表した。同機の出力を約70万キロワットに落とし、放射性物質の漏洩場所の特定作業を行う。外部への放射能の影響はないとしている。

[編集] 1999年の臨界事故とその隠蔽

1999年6月18日、本施設は定期検査中に「制御棒(核分裂を抑える為の装置)」1本の緊急挿入試験を行なっていたが、操作手順を誤った事から3本の制御棒が炉から引き抜かれた状態となり、炉は15分間臨界となった。しかし北陸電力はこれを直ちに国に報告せず、検査記録を改竄するなどして隠蔽を計り、2007年3月15日になってこの事故の存在が明るみに出た。

経済産業省はこの事故を重大事故と見て、事故の発覚時に北陸電力の社長であった永原功を同日午後4時に呼び出し、志賀原発1号機の運転停止を命令した。北陸電力は同日午後6時から運転停止作業に入った。

2007年4月5日原子力安全委員会鈴木篤之委員長が中央制御室や制御棒駆動機構などを視察し「抽象的な精神論ばかりではなく、現場が仕事をし易くなるように」と注文を付けた。また鈴木委員長は記者団に対し「運転員は色々な外圧に対して弱い立場。現場の運転員にばかり負担がいくやり方は防止策ではない」と指摘。「アラームが鳴れば自動的に記録がコンピューターに取り込まれて鍵がかかり、改ざんできないような仕組みが必要でないか」などと語った[要出典]

[編集] 関連項目

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