御燈祭

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神倉神社の拝殿と御神体のゴトビキ岩
神倉神社の石段。松明を手にした大勢の男たちがこの荒々しい石段を駆け下りる

御燈祭(おとうまつり)は、和歌山県新宮市神倉神社の例祭。勇壮な火祭りとして知られる。「御祭」とも表記する。和歌山県無形民俗文化財

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[編集] 概要

御燈祭は、毎年2月6日に行われるが、もとは旧暦正月6日に行われていた。民俗学的な解釈では、新春の神を迎える祭りであったと考えられており、冬期の山篭を終えた行者たちの下山に時期を合わせて行われていたと考えられている。

この祭りの期間に限っては、神倉山女人禁制となる。1週間前になると、ゴトビキ岩の注連縄が張り替えられ、当日の朝には、餅をつき、藁で縛って神前に供える。祭りに参加する男性は上り子と呼ばれ、身に付けるものはすべて白でなければならない。また、かつては口にするものも白いもの(白飯、大根、白かまぼこ、白身魚等)に限定され、斎戒沐浴をして祭りにそなえ、さらには女性に触れることも禁じられていた(現在はそこまで厳しくない)。

日が暮れると、男たちは、熊野速玉大社阿須賀神社妙心寺に参拝し、祈願の言葉をしたためた松明を手に山上の境内に集合する。祭典の執行と警備にあたる介釈人(かいしゃくにん)と呼ばれる世話人たちに警護された速玉大社の神職たちがゴトビキ岩の下で火を熾す。松明にうつされた火は、石段の途中にある中ノ地蔵との間を幾度か往復する儀式(迎え火)の後、上り子たちの松明に分け与えられる。上り子たちの松明に火が行き渡ると、境内の門が開かれ、松明を手にした男たちが石段を駆け下りる。その様は、炎の川が流れ落ちるかのようである。

御燈祭で最も有名なのはここまでだが、祭りの儀礼はまだ終わりではない。上り子たちが散会した後、神職たちだけで神事が行われる。奉幣などを行った神職たちは、阿須賀神社に参拝した後、速玉大社に帰参し、ここで祭りは幕を閉じるのである。

[編集] 参考文献

  • 中上 紀、2002、「花の祭り 火の祭り」、別冊太陽編集部編、『熊野 : 異界への旅』平凡社、pp.33-42 ISBN 4582943845
  • ゼンリン編集部編、1997、『和歌山県 : 郷土資料事典30』ゼンリン

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