御坂町
| 御坂町 | |
|---|---|
| 廃止日 | 2004年10月12日 |
| 廃止理由 | 新設合併 東八代郡御坂町、一宮町、八代町、境川村 石和町、東山梨郡春日居町 → 笛吹市 |
| 現在の自治体 | 笛吹市 |
| 廃止時点のデータ | |
| 国 | |
| 地方 | 中部地方、甲信越地方 関東地方 |
| 都道府県 | 山梨県 |
| 郡 | 東八代郡 |
| 面積 | 58.37km². |
| 総人口 | 12,151人 (推計人口、2004年10月1日) |
| 隣接自治体 | 山梨市、東八代郡一宮町、石和町、芦川村 東山梨郡春日居町、勝沼町、大和村 |
| 御坂町役場 | |
| 所在地 | 〒406-8501 山梨県東八代郡御坂町栗合87 |
| ウィキプロジェクト | |
御坂町(みさかちょう)は、山梨県中部、東八代郡に属した町である。
目次 |
歴史 [編集]
町域では旧石器時代の遺跡は確認されていないが、縄文時代の遺跡は御坂山地山麓や浅川・金川扇状地を中心に数多く分布している。御坂山麓の花鳥山遺跡は県内で代表的な前期集落で、獣骨や魚骨、堅果やエゴマなど多様な動植物遺体が出土した遺跡として注目されている。扇状地域では、金川扇状地に中後期を中心とし特徴的な渦巻文土器などが出土している桂野遺跡があり、浅川扇状地には後晩期集落を中心とし配石遺構などが確認されヒスト大殊の出土した三光遺跡や、三本指の土偶が出土している中丸遺跡がある。
扇状地域には弥生時代の遺跡も分布し、古墳時代後期には横穴式石室を持つ姥塚古墳の存在があり、古墳後期から古代に至る甲府盆地における勢力の一角であったと考えられている。町域には「国衙」地名もあり、古代甲斐国においては後期国府の所在地に比定され、南北に東海道支路である官道の甲斐路(御坂路)の道筋が比定されている。
近世には16か村が成立し、八代郡大石和筋に5か村、同郡小石和筋に11か村が属する。全村が幕府直轄領で、一部に旗本領も含まれる。甲府藩を経て、享保9年(1724年)に甲斐一円が幕府直轄領化になると在方は三分代官支配となり、町域は石和代官支配となる。また、町域には国中に分散していた御三卿領のうち田安家領も含まれる。
寛延3年(1750年)には東郡地域を中心とした米倉騒動が発生し、町域からは首謀者も出している。夏目原村出身の杉本茂十郎は甲州財閥の先駆者として知られ、同村出身の河野徳兵衛は農書「農事弁略」を著す。町域は盆地底部であるため水害の常襲地で、水論や水利刊行、雨乞など利水・治水に関する文書や伝承が数多く残されている。
近世後期の天保年間には町域をはじめ東国各地で農村の荒廃が起こるが、成田村出身の竹本屋幸右衛門は二宮尊徳に入門し、報徳仕法を導入し農村復興に務めた。幕末には甲州博徒の代表格である黒駒勝蔵が草奔隊に参加している。
近代には米麦栽培、養蚕に加え製糸業も行われる。大正期には小作組合が結成され、地主層と小作層の対立も発生する。昭和2年には農民組合を支持母体とした大鷹貴祐が県会議員となる。
戦後は養蚕から果樹栽培へ転換する。
沿革 [編集]
- 1955年(昭和30年)4月29日 - 錦生村・黒駒村が合併して発足。
- 1957年(昭和32年)3月20日 - 石和町の一部(大字国衙・成田)を編入。
- 1958年(昭和33年)8月1日 - 花鳥村の一部(大字大野寺および竹居の一部)を編入。
- 花鳥村の残部(大字奈良原および竹居の残部)は八代町に編入。
- 2004年(平成16年)10月12日 - 石和町・一宮町・八代町・境川村・東山梨郡春日居町と合併して笛吹市が発足。同日御坂町廃止。
交通 [編集]
鉄道 [編集]
町内には通っていなかった。中央本線石和温泉駅が最寄りであった。