御乱心 落語協会分裂と、円生とその弟子たち

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御乱心 落語協会分裂と、円生とその弟子たち(ごらんしん らくごきょうかいぶんれつと、えんしょうとそのでしたち)は、三遊亭圓丈の長編小説1986年4月主婦の友社刊。

目次

[編集] 概要

6代目三遊亭圓生の弟子圓丈が、1978年に圓生が引き起こした落語協会分裂騒動、それによる圓生一門の落語協会離脱、そして翌年の圓生急死までを実録小説の様式を借りて語っている。小説の体裁こそとってはいるが、その実態としては後述の通りいわゆる落語界の『暴露本』的な色合いが濃い。

登場人物の名前は全て実名で、架空の人物は一切出てこず、著者によれば95%は事実(残りの4%は細かい言い回しや構成順序の僅かな違い、そして1%はギャグとの事)。「それをして、自らの兄弟子であり、圓生の惣領弟子・5代目三遊亭圓楽を激しく糾弾しているが、著者自身をも俯瞰している。

[編集] 登場人物

[編集] 落語協会分裂騒動とは何か

1978年5月9日の落語協会理事会で、同協会前会長(当時顧問)圓生は、才能が無くても二つ目昇進から10年以上経過したら誰でも昇進出来る大量真打昇進制度を憂えて、同制度を推し進めていた常任理事5代目春風亭柳朝4代目三遊亭金馬3代目三遊亭圓歌を更迭し代わりに自分と同調する圓楽、談志、志ん朝を常任理事にして同制度を白紙撤回する議案を出すが、賛成は圓生、志ん朝、棄権は圓楽、談志、その他全幹部は反対した為圧倒的大差で否決された。

それを以って新協会設立に本格的に動き始める。当初計画では半数もの落語協会員が新協会側に移る胸算用で、既存の落語協会、落語芸術協会と並ぶ第三勢力の誕生を予期させたが、5月24日赤坂プリンスホテルで行われた新協会=落語三遊協会の設立記者会見時では、かなり規模が縮小されて、圓生一門、志ん朝一門、圓蔵一門のみとなり、行動を共にすると見られていた志ん朝の実兄馬生一門(小さんに慰留された事と年齢の為)、小さん一門の談志一門(狙っていた落語三遊協会次期会長の座を志ん朝に奪われた為)、圓蔵一門の三平一門(師匠圓蔵に誘われたが圓生とは不仲の為)は落語協会側に留まってしまった。

5月25日、都内各寄席の責任者=席亭会議で、それまで新協会設立に一定の理解を見せていた席亭達も、当初と違って小規模となった落語三遊協会に、落語協会と分裂されては困るので落語協会と一本化しなければ寄席を使わせない事を通告。これにより、志ん朝、圓蔵、圓蔵門下の圓鏡は降参し、5月31日にそれぞれ落語協会からの脱退を撤回した。しかし、圓生だけは固辞して一門、そして著者の圓丈も翌6月1日正式に落語協会を脱退した。6月14日、上野本牧亭で旗揚げした。

結局、落語三遊協会は、圓生と弟子(既にさん生、好生は5月17日に破門)、孫弟子(圓楽・圓窓の弟子)の三遊一門だけの小所帯となる。寄席に出る機会が無い彼らは、小ホールなどを利用した首都圏での自主興行や地方公演での余興に活路を求めた。だが、翌1979年9月3日に圓生が急死。その後、圓楽を除く弟子は落語協会に協会預かりの身分で1980年2月1日に復帰して落語三遊協会は解散。著者圓丈もこの時落語協会に復帰した。

しかし、圓楽一門のみはついに復帰する事無く、大日本すみれ会(現:円楽一門会)を立ち上げた。以降、圓楽一門は未だに落語協会に復帰していない。

[編集] 圓丈は何故語ったか

1980年代半ばの出版界は、芸能人や著名人による業界内幕暴露本のブームであった。この本もそれに該(あた)るものではあるが、その手の読者の興味を惹くような身の下話などはなく、当時既にほぼ忘れ去られていた圓生による落語協会分裂騒動を蒸し返して書かれてある。著者に寄れば、それは執念であったという。

著者である圓丈は、1978年の分裂騒動から翌年の圓生死去当時はその渦中にいながらも無名であった。しかし、落語協会復帰後はMANZAIブームを足がかりに色物的新作落語家として頭角を現し、発刊当時の1986年には、雑誌連載やテレビ番組のレギュラーを持つなど落語家としての認知はともかく、芸人としての認知はある程度世間から得ていた。一方、圓丈が本書のなかで激しく糾弾している圓楽は前述の1978年には既に落語界を代表する人物のひとりとして認知されており、この1986年当時も分裂騒動があったにもかかわらず世間からの評価が下がっていたわけではない。

圓生が起こした落語協会分裂騒動から圓生一門の落語協会離脱において、圓楽が自らの野心の為に師匠圓生をその方向に仕向けて担いだのにも関わらず、それを反省する事無く、さらに圓生や圓生一門を見捨てた事、また圓生死後も圓生夫人と確執を起こした事など(これが原因で「圓生」の名跡は一番継げる筈であった圓楽が手に出来ないまま亡くなったのだと言われている)を責めている。

ただ、協会という閉鎖的な組織の中に於いて右往左往しつつも嘘を弄したり泣き出したりする人間達の素顔は、私怨の籠っているだけに迫真の描写がなされている。特に三遊亭圓楽の人物構成、語り口、観察においては微細である。

[編集] 発刊と結果

  • 1986年の発刊当時、この本は世間を賑わせたものの圓楽側は反論や名誉毀損など訴訟などの行動を一切行わなかった。
  • 発刊以降、三遊亭圓丈に対して笑点への出演依頼が無くなり、一度も出演していない。また、圓丈一門の出演に対しても圧力がかかった。(三遊亭圓丈インタビュー 落語ファン倶楽部 白夜書房刊)

[編集] 関連書籍

この1978年の落語協会分裂騒動については、1980年春風亭一柳がこの騒動について『噺の咄の話のはなし』(晩聲社)という本を書いている。

2004年に落語協会所属噺家金原亭伯楽(10代目金原亭馬生の弟子)がやはり小説の体を借りて『小説落語協団騒動記』(本阿弥書店)を書いている。小説と銘打っている為か登場人物は全て実名では無く仮名となっている。

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