後藤忠政
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ごとう ただまさ
後藤 忠政 |
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| 生誕 | 1942年9月16日(69歳) |
後藤 忠政(ごとう ただまさ、本名: 後藤 忠正=読み同じ、1942年9月16日 - )は、日本の元暴力団員である。
暴力団・川内組若頭補佐兼静岡支部長を経て、暴力団・後藤組を結成、後に伊堂組舎弟となった。指定暴力団・山口組の幹部構成員として、五代目山口組若頭補佐、六代目山口組舎弟などを歴任したが、2008年(平成20年)を以って引退した。
目次 |
[編集] 人物
1942年(昭和17年)、東京府東京市荏原区(現・東京都品川区)に4人兄弟の末っ子として生まれた[1]。祖父は、富士川発電[2]や伊豆箱根鉄道を興した実業家・後藤幸正。戦争の激化により、2歳の時に父の実家がある静岡県富士宮市に疎開して以降、同地で育った[1]。
[編集] 経歴
暴力団・川内組の組員だった1969年(昭和44年)、富士宮市に暴力団・後藤組を結成して組長となった。川内組組長・川内弘は、菅谷組組長であり三代目山口組若頭補佐であった菅谷政雄の舎弟であった。後藤組はその後、静岡県における山口組勢力拡大の嚆矢となったが、1977年(昭和52年)、川内の破門・殺害によって川内組が事実上消滅したため[3]、浜松市を拠点とする山口組 伊堂組(組長・伊堂敏雄)に舎弟として移籍した。1984年(昭和59年)7月、竹中正久を組長とする四代目山口組が発足すると伊堂は引退、後藤は山口組直参に昇格した。
後藤は武闘派として、同年に勃発した一和会との山一抗争で積極的に働いた他、渡辺芳則を組長とする五代目山口組の東京進出に際しては、その先駆けとなって勢力の拡大に寄与した。また、1992年(平成4年)5月には、後藤組組員5人が、暴力団を描いた映画 『ミンボーの女』の監督伊丹十三を襲撃した[4]。
2002年(平成14年)7月、山口組若頭補佐に就任した。2005年(平成17年)8月、六代目山口組(組長・司忍)の発足に伴い、同組舎弟に直った。
日本航空(JAL)の個人筆頭株主でもあった[5]。2008年(平成20年)10月、山口組から除籍処分を受けた。山口組の会合への欠席などが問題視されたためと見られている。これを機に引退した[6]。
[編集] アメリカでの肝臓移植
2001年4月、肝臓が悪化したため、アメリカで肝臓移植を受けさせてもらうかわりに、連邦捜査局に山口組内部情報を米当局に教えると約束をし、弘道会の幹部らのリストや山口組の米国でのご用達の金融機関などを教えた[7][5]。2003年11月ごろ、アメリカの捜査当局は、後藤からの情報を元に、五菱会の実質№2だった梶山進の資金2億ドルを発見し、警察庁に連絡した。資金2億ドルは、全額没収された[8]。アメリカの捜査当局がスイスの捜査当局とも情報交換し、さらに50億円を没収した。山口組の損失が54億円。後藤組の損失は0であった。
[編集] 真珠宮ビル事件
詳細は「後藤組」を参照
2006年(平成18年)5月8日、東京都渋谷区のビル所有権を菱和ライフクリエイト(現:クレアスライフ)社長西岡進らと共謀し不正変更した、電磁的公正証書原本不実記録の容疑で、組関係者などとともに警視庁に逮捕、勾留された[9]。容疑は否認した。翌2007年(平成19年)6月14日、病気を理由に弁護人が勾留の執行停止を申し立て、保釈金7000万円を払い保釈された。
[編集] 警視庁からの捜査情報漏出
2007年(平成19年)6月12日までに警視庁北沢署巡査長のパソコンから情報が流出し、警察がグラビアアイドル出身の女優、レースクイーン出身のタレント、声優で歌手の女性の3人を、捜査・監視の対象である後藤の愛人として把握していることが発覚した[10][11]。
[編集] 引退
2008年(平成20年)10月、前月の後藤の誕生日を祝って開いたゴルフコンペに細川たかし、小林旭、角川博、松原のぶえ、中条きよし、須之内美帆子、益子梨恵らが参加していたことが報じられた[12]。これを受けNHKが細川、小林、角川、松原、中条の5人について、数カ月間番組への出演を見合わせた。事態を重く見た山口組執行部は、病気を理由に本部の定例会を欠席しながらゴルフコンペを開いたとして、後藤を山口組から除籍し引退させた[13]。
[編集] 引退後
2009年(平成21年)4月8日、神奈川県伊勢原市の天台宗の寺院・無常山浄発願寺で得度、法名・忠叡を名乗る。
2010年(平成22年)、袴田事件を扱った映画『BOX 袴田事件 命とは』を企画。自叙伝『憚りながら』(宝島社)を出版、後藤組と創価学会の関係について明らかにした。
[編集] 著書
- 憚りながら(宝島社、2010)ISBN 9784796675475
[編集] 脚注
- ^ a b 後藤忠政 『憚りながら』 2010年5月29日、宝島社、ISBN 978-4-7966-7547-5、17頁
- ^ 後に東京電灯(後の東京電力)に合併される
- ^ 川内組は その後、若頭だった根本辰男が数年の懲役の後に2代目を継承して再建し、1989年(平成元年)12月には五代目山口組の2次団体となった
- ^ 『憚りながら』
- ^ a b FBI、米国で日本の暴力団幹部の移植手術を幇助 インデペンデント 2008年5月31日
- ^ 『憚りながら』、266-268頁
- ^ ワシントンポスト 2008年5月11日、ロサンゼルスタイムズ 2008年5月11日、12日、29日
- ^ 『別冊宝島Real 76 平成日本タブー大全2008』 宝島社
- ^ 「後藤組不正登記のビル 権利移転20回、暴力団むらがる」 朝日新聞 2006年5月8日
- ^ 捜査資料に暴力団員「愛人」? 女優ブログが「炎上」 J-CASTニュース 2007年6月15日
- ^ 警視庁流出資料にあった暴力団と芸能プロの名前 サイゾー 2007年8月号
- ^ 『大物「暴力団組長」誕生日コンペ&パーティーに「細川たかし」「小林旭」「角川博」「松原のぶえ」』 週刊新潮 2008年10月9日号
- ^ 溝口敦 『切っても切れない「暴力団と芸能界」裏面史』 週刊新潮 2011年9月8日号
[編集] 参考文献
- 木村勝美 『さらば山口組 後藤組・後藤忠政組長の半生』 メディアックス 2010年5月26日