影武者 (映画)

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影武者
Kagemusha
監督 黒澤明
脚本 井手雅人
黒澤明
製作 田中友幸
黒澤明 
出演者 仲代達矢
山崎努
萩原健一
根津甚八
音楽 池辺晋一郎 
撮影 斎藤孝雄
上田正治
編集 吉崎治
配給 東宝
公開 日本の旗 1980年4月26日
上映時間 179分
製作国 日本の旗 日本
言語 日本語
製作費 $6,000,000
興行収入 日本の旗 26億8000万円
(1980年邦画配給収入1位)
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影武者』(かげむしゃ)は、1980年昭和55年)に公開された日本映画である。監督は黒澤明で、カンヌ国際映画祭でグランプリを受賞した。

黒澤作品では唯一、実在の戦国武将にまつわるエピソードを取り上げたスペクタクル巨編であり、黒澤は次回作 『』の撮影準備(リハーサル)としてこの作品を作ったとも語っている。

日本国内では当時の日本映画の歴代映画興行成績配給収入)一位を記録し、1983年蔵原惟繕監督の『南極物語』に抜かれるまで破られなかった[1]

外国版プロデューサーには、黒澤を敬愛するフランシス・フォード・コッポラジョージ・ルーカスらが名を連ねる。また、黒澤とは助監督時代からの盟友である本多猪四郎が、監督部チーフとして製作に加わっている。

目次

[編集] あらすじ

戦国時代、小泥棒が戦国武将・武田信玄影武者として生きる運命を背負わされた悲喜劇。武田信玄が上洛を目指す最中、野田城攻めにおいて何者かに狙撃された[2]

信玄はこの傷が元で死去し、武田家ではこの事実を隠すため、信玄の弟である武田信廉らは信玄の影武者を立てる。この男は盗みの罪で処刑されるところを、信玄と瓜二つだったことから信廉に助けられていた。当初は逃亡を企てた男も、一度対面した信玄の威容に圧倒され、影武者としての人生を受け入れる。だが、一方、歴史の歯車は織田信長の台頭、武田家没落という運命に向かって大きく回り始めていた。

[編集] キャスト・スタッフを巡るトラブル

当初主演だった勝新太郎は撮影開始後に黒澤と衝突し、降板した。直接の原因は、1979年(昭和54年)6月末のクランクイン直後の7月18日、勝が自分の演技を撮影するためのビデオカメラを東宝砧撮影所に持ち込んだことによる。勝はこれを自身の役作りの参考にしようとするつもりであったが、黒澤の許可を得ていなかった。勝が黒澤にビデオカメラの持込を許可するように頼んだところ黒澤は「演技は監督である自分が見ているので信用してほしい」と言ったが、勝はこれに納得せず「それは解っているが、こちらはこちらでビデオを撮りたい」と再度ビデオカメラの持込を頼むも、完璧主義の黒澤は撮影現場に自らの映画のカメラ以外の撮影機材を持ち込む事を許さず「撮影はこっちでやるから大丈夫だ」と断った。このような問答をした後、勝は怒り心頭で撮影現場から出て行ってしまった。出演者の一人の阿藤海がその場に居合わせており、黒澤は怒った様子で「辞めてもらおう」と言った、とテレビなどで証言している。そして勝の降板となった。これにより、『乱』の主演が内定していた仲代達矢が代役として起用されることとなった。仲代は独自の影武者像を作り上げたが、劇場公開の際に映画を観た勝は「(映画は)面白くなかった。」「おれが出ていれば面白かったはずだ。」とコメントした。

勝がビデオカメラを撮影現場に持ち込んだ理由として、勝が単に、いわゆる「メイキング映像」を撮りたがっていただけ、とする関係者の証言もある。

黒澤作品の常連脚本家である井手雅人が語ったところによれば、当初は勝が武田信玄と影武者を、勝の実兄の若山富三郎が信玄の弟信廉役を演じるという、実際の兄弟関係を逆転させた配役の案があったという。しかし、若山は勝と黒澤のトラブルを予期し、それに巻き込まれることを嫌って出演依頼を断ったため、当初から実現しなかった。

音楽では、『どん底』から『赤ひげ』までコンビを組んできた佐藤勝が黒澤と対立して降板し、武満徹の推薦で急遽池辺晋一郎が起用されることになった。武満の映画音楽のアシスタントをしていた池辺は『どですかでん』にも関わっており、その後『乱』を除く全作品を手がけることになる。なお、『乱』を手掛けたのは武満であるが、この作品でも黒澤は武満と激しく対立し、武満は降板こそしなかったものの黒澤と決別に至っている。

その他、撮影の宮川一夫が体調不良により降板している。

[編集] 出演者

ほとんどの出演者がオーディションで選ばれた。油井昌由樹隆大介清水大敬(当時は「清水のぼる」名義)、阿藤海島香裕など、無名の俳優、新人俳優から演技経験の全くない素人までが数々の重要な役で出演した。

無名時代の電撃ネットワーク南部虎弾(出演者クレジットは南部虎太となっている)、柳葉敏郎山田五郎(クレジットなし)が、雑兵や死体役などのエキストラとして出演している。当時大学生だった鴻上尚史はオーディションに合格したが、当日の都合で参加できず、石田純一はオーディションに落とされたという。

[編集] 外国版と国内版

外国版では、上杉謙信が信玄の訃報を聞く場面など、国内版の一部シーンが日本の歴史を知らない外国人には理解しにくいとの理由でカットされた。それだけではなく、公開時の淀川長治との雑誌対談で黒澤は「国内版は時間がなかったため編集が不十分。もっと切りたかった。外国版は時間が許す限り再編集した。」という主旨の発言をしている。

[編集] ドキュメンタリー・関連書籍

  • 1979年昭和54年)11月2日NHKの『NHK特集・黒澤明の世界』で、「影武者」製作の舞台裏が放送された。
  • シナリオ・絵コンテ集 『黒澤明 影武者』 (講談社、1979年)がある。
  • 『全集黒澤明 第6巻』(岩波書店)、台本他が所収。

[編集] スタッフ

[編集] 本編

[編集] 特殊視覚効果

[編集] 協力

[編集] キャスト

[編集] 脚注

  1. ^ 朝日新聞』1983年8月22日付夕刊(東京)、15頁。
  2. ^ 甲斐武田氏は元亀年間に織田氏と敵対し、元亀3年には将軍足利義昭の迎合した信長包囲網に参加し、遠江・三河方面への侵攻を行っている(西上作戦)。西上作戦については上洛の意図を巡って現在に至るまで論争史がある。また、野田城攻めは元亀4年2月に行われていることが確認されているが、作中において信玄の死因とされる狙撃事件については『甲陽軍鑑』では記されず、新井白石『藩翰譜』において逸話として記されている。

[編集] 外部リンク

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