張裕

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張 裕(ちょう ゆう、? - 章武元年(221年)?)は、後漢末期から三国時代の従事。字は南和。蜀郡の人。

彼は予言に長けていた。無名の若年だった鄧芝の人相を見て「彼は70歳を過ぎて大将軍となり侯に封ぜられる」と予言したという。歳月は流れ、予言通りに鄧芝は70歳を越える高齢で車騎将軍・江州都督にまで昇進した。

また、劉璋配下だったときに、劉璋と面談した劉備に人相を見て「潞涿君」(ひげの薄い人物の意)と発言し、劉備の恨みを買った[1]

劉備が益州を占領すると、その家臣となった。

しかし、章武元年(221年)、劉備が蜀漢皇帝にとなると、上記の失言を執拗に問い質され、劉備の即位に猛反対した雍茂とともに処刑された[2]

[編集] 脚注

  1. ^ 蜀書』「周羣伝」より。
  2. ^ 同じく「周羣伝」には彼は天文による自然現象の予言術にもすぐれ、その能力は周羣よりも上とされた。それゆえ、人相術も長けていた。あるとき、張裕はで自分の顔相を診断すると「刑死」と出ていたため、ついに鏡を叩き割ったという。
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