張廷玉

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張廷玉(ちょうていぎょく、1672年康熙11年) - 1755年乾隆20年))はが衡臣、号が研齋の安徽桐城出身の政治家。保和殿大学士軍機大臣、太保の位を得て、三等伯に封ぜられ、三朝に渡って五十年仕えた。

張廷玉の在任期間での主な仕事は皇帝の秘書であり、の朝廷の政治へ上奏文の制度と軍機処の運用規則の改善で貢献した。他の直接政務を処理した大臣と違い、歴史上張廷玉の具体的な功績はあまり多く残されていない。

張廷玉の人となりは小心翼々として、「萬言萬當、不如一默」(宋:黄庭堅の言)謹んで守った。そのため雍正帝は彼を「器量純全、抒誠供職」と讃え「大臣中第一宣力者」と称した。

相前後して『康熙字典』、『雍正実録』、そして『明史』、『國史館』、『清会典』を編纂した。

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