青森県立弘前中央高等学校

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青森県立弘前中央高等学校

2013年5月撮影
地図北緯40度36分33.9秒 東経140度28分11.8秒 / 北緯40.609417度 東経140.469944度 / 40.609417; 140.469944座標: 北緯40度36分33.9秒 東経140度28分11.8秒 / 北緯40.609417度 東経140.469944度 / 40.609417; 140.469944
過去の名称 青森縣第一高等女學校
青森縣立第一高等女學校
青森縣立弘前高等女學校
青森県立弘前女子高等学校
青森県立津軽高等学校
国公私立の別 公立学校
設置者 青森県の旗 青森県
学区 全県学区
秋田県の一部[注釈 1]
併合学校 青森県立岩木高等学校
校訓 自律・誠実・進取
設立年月日 1900年(明治33年)
開校記念日 6月1日
共学・別学 男女共学
課程 全日制課程
単位制・学年制 学年制
設置学科 普通科
学期 前期後期制
学校コード D102210000059 ウィキデータを編集
高校コード 02108D
所在地 036-8345
青森県弘前市大字蔵主町7番地1
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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青森県立弘前中央高等学校の位置(青森県内)
青森県立弘前中央高等学校

青森県立弘前中央高等学校(あおもりけんりつ ひろさきちゅうおうこうとうがっこう, Aomori Prefectural Hirosaki Chuo High School)は、青森県弘前市大字蔵主町に所在する公立高等学校

概要[編集]

歴史
1900年明治33年)に「青森縣第一高等女學校」として創立した伝統校である。その後、何度かの校名の改称を経て、1950年昭和25年)に現校名となった。1949年(昭和24年)に男子生徒を受け入れ男女共学を開始したものの、前身が高等女学校ということもあって男子の入学生は少なく、ついに1957年(昭和32年)4月には男子生徒が卒業して実質女子校となった。それから38年後の1995年平成7年)、人文科の新設を機に男女共学を再開し、1997年(平成9年)からは普通科も男女共学となった。2010年(平成22年)に創立110周年を迎えた。
設置課程・学科
校訓
「自律・誠実・進取」
モットー
文武両道
教育目標
  1. 自律の精神で自己の成長を図る生徒の育成
  2. 誠実、謙虚が身についた品性ある生徒の育成
  3. 進取の気象で高い目標に挑戦する生徒の育成
校章
「高」の文字を図案化し、弘前城の異名「鷹揚城」にちなみ、がはばたく姿を表したものを背景にして校名の「中央」の文字を縦に置いている。
校歌
作詞は谷川俊太郎、作曲は中田喜直による。歌詞は2番まであり、最後に校名の「弘前中央高校」が登場する。
校地
弘前公園の濠に面している。
同窓会
弘前城の異名にちなみ、「鷹揚会」(おうようかい)と称している。

沿革[編集]

旧制・高等女学校時代
  • 1900年(明治33年)7月31日 - 弘前市に「青森縣高等女學校」の設置が告示される。生徒定員を200名とする。
  • 1901年(明治34年)
    • 4月1日 - 「青森縣第一高等女學校」として現在地に開校。
    • 5月15日 - 「青森縣立第一高等女學校」と改称(縣の後に「立」が加えられる)。
    • 6月1日 - 開校式を挙行。以来この日を開校記念日とする。
  • 1909年(明治42年)4月1日 - 「青森縣立弘前高等女學校」と改称。
  • 1942年(昭和17年)
    • 3月8日 - 同窓会から記念館が寄贈される。
    • 4月1日 - 補習科を設置。
  • 1943年(昭和18年)4月 - 高等女学校令が廃止され、中等学校令が施行される。
  • 1944年(昭和19年)
    • 4月1日 - 青森県指定看護婦養成所、臨時青森県国民学校教員養成講習会を設置。
    • この年 - 勤労動員が開始。
  • 1945年(昭和20年)
    • 4月1日 - 学校での授業が停止される。
    • 8月 - 終戦。
    • 9月 - 授業を再開。
  • 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革六・三制の実施)が行われる。
    • 高等女学校の募集を停止。
    • 新制中学校を併設し(名称:青森県立弘前高等女学校併設中学校、以下・併設中学校)、高等女学校1・2年修了者を新制中学2・3年生として収容。
    • 併設中学校は経過措置としてあくまで暫定的に設置されたため、新たに生徒募集は行われず、在校生が2・3年生のみの中学校であった。
    • 高等女学校3・4年修了者はそのまま在籍し、4・5年生となった。ただし、4年修了時点で卒業することもできた。
新制高等学校
  • 1948年(昭和23年)
    • 4月1日 - 学制改革(六・三・三制の実施)により、高等女学校は廃止され、新制高等学校青森県立弘前女子高等学校」が発足。通常制普通課程を設置。
      • 高等女学校卒業者(5年修了者)を新制高校3年生、高等女学校4年修了者を新制高校2年生、併設中学校卒業者(3年修了者)を新制高校1年生として収容。
      • 併設中学校を継承し(名称:青森県立弘前女子高等学校併設中学校)、在校生が1946年(昭和21年)に高等女学校へ最後に入学した3年生のみとなる。
    • 5月1日 - 定時制を設置。
  • 1949年(昭和24年)
    • 3月31日 - 併設中学校を廃止(経過措置を修了)。
    • 4月1日 - 高校三原則に基づき、男子生徒の受け入れを開始。男女共学を開始。
  • 1950年(昭和25年)
    • 4月1日 - 「青森県立津軽高等学校」と改称。
    • 5月16日 - 「青森県立弘前中央高等学校」(現校名)と改称。
  • 1954年(昭和29年)
  • 1957年(昭和32年)4月 - 男子生徒が卒業し、男子の入学生がなかったため、実質的に女子校となる。
  • 1960年(昭和35年)10月1日 - 管理棟が完成。
  • 1961年(昭和36年)12月1日 - 図書館が完成。
  • 1962年(昭和37年)
    • 4月1日 - 通常制普通課程を全日制課程普通科に、定時制普通課程を定時制課程普通科に改称。
    • 6月6日 - 特別教室棟が完成。
  • 1963年(昭和38年)7月16日 - 体育館が完成。
  • 1966年(昭和41年)9月17日 - プールが完成。
  • 1973年(昭和48年)1月20日 - 第2体育館が完成。
  • 1974年(昭和49年)
  • 1982年(昭和57年)10月5日 - 生徒会館付属館(運動部室)が完成。
  • 1987年(昭和62年)10月5日 - 情報処理室を設置。
  • 1989年(平成元年)10月2日 - 第1体育館と第2体育館を結ぶ連絡廊下が完成。
  • 1991年(平成3年)11月26日 - 運動場を整備。
  • 1995年(平成7年)4月1日 - 全日制課程に人文科を1学級新設し、38年ぶりに男女共学を再開
  • 1997年(平成9年)4月1日 - 全日制課程の普通科でも男女共学を開始。
  • 2000年(平成12年)
    • 4月1日 - 創立100周年を記念して新校歌を制定。
    • 9月20日 - 弘中央会館(同窓会館)が完成。
    • 10月1日 - 創立100周年記念式典を挙行。
  • 2005年(平成17年)1月5日 - 第2運動場が完成。
  • 2010年(平成22年)
    • 3月31日 - 旧図書館・プールを解体。
    • 4月1日 - 人文科の募集を停止。
    • 12月20日 - 第二体育館の耐震補強工事が完成。
  • 2012年(平成24年)3月31日 - 講堂の耐震補強工事が完成。経過措置として人文科を廃止。
  • 2013年(平成25年)4月1日 - 定時制課程 普通科の募集を停止。
  • 2014年(平成26年)- 新校舎が完成。
  • 2016年(平成28年)3月31日 - 定時制課程 普通科を廃止。
  • 2017年(平成29年)4月 - 青森県立岩木高等学校を統合する。

部活動[編集]

運動部[1]

文化部[1]

特別部[1]

愛好会[1]

交通アクセス[編集]

著名な出身者[編集]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 大館鹿角北秋田能代各市および小坂藤里八峰の各町

出典[編集]

  1. ^ a b c d 部活動一覧 - 弘前中央高校公式サイト
  2. ^ NHKラジオ第一2019年12月28日放送、ラジオ深夜便 謎解きうたことば ゲスト:三浦徳子さん(作詞家)

関連項目[編集]

外部リンク[編集]