引接寺 (京都市)
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| 引接寺 | |
|---|---|
千本ゑんま堂 |
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| 所在地 | 京都府京都市上京区千本通鞍馬口下ル閻魔前町34 |
| 位置 | 北緯35度2分6.12秒 東経135度44分25.3秒 |
| 山号 | 光明山 |
| 宗派 | 高野山真言宗 |
| 本尊 | 閻魔法王 |
| 創建年 | 寛仁元年(1017年) |
| 開基 | 定覚(小野篁とも) |
| 正式名 | 光明山 歓喜院 引接寺 |
| 別称 | 千本閻魔堂 |
| 札所等 | 通称寺の会 |
| 文化財 | 十重石塔(国の重要文化財) |
引接寺(いんじょうじ)は、京都市上京区にある高野山真言宗に属する寺院である。一般には千本閻魔堂(せんぼん えんまどう)の通称で知られている。春の念仏狂言で知られる。
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[編集] 歴史
寛仁年間(1017 - 1021年)、源信の弟弟子の定覚により開山されたと伝える。現世と冥土を行き来して閻魔王とも交流したという伝承のある小野篁(802年 - 853年)を開基に仮託する説もある。文永10年(1273年)、明善律師によって中興された。
安土桃山時代、京都に来た宣教師ルイス・フロイスの『日本史』(Historia de Iapan)中に、1565年当時の本寺の境内の様子が記されている。
昭和39年(1964年)に後継者不足が原因で念仏狂言が途絶える。昭和49年(1974年)、不審火によって本堂・狂言堂が焼け、狂言衣装も焼失する。しかし、翌年には千本えんま堂狂言保存会が結成され、本堂は一般の寄進を募って修復が進められ、狂言堂も仮建築ながら再建されて、以前の西陣講中を中心としたメンバーから一般から募集したメンバーも含めた編成に推移し、復活した狂言が毎年続けられる。
[編集] 境内
- 本堂には、閻魔王坐像(長享2年・1488年、仏師定勢作)を本尊とし、脇侍を左に司命、右に司録を安置している。
- 狂言堂
- 観音堂
- 普賢象桜
- 遅咲きの八重桜で散るときは花冠ごと落ちる。
[編集] 行事
- 2月 節分会 こんにゃく煮きが授与される。
- 5月1日-5月4日 京都で三大念仏狂言の一つに数えられる千本えんま堂狂言(京都市・無形民俗文化財)が有声で行なわれる。
- 8月 六斎念仏 盂蘭盆会 お精霊さんをお迎えする迎え鐘が終日鳴り続ける。
- 8月24日 地蔵盆の盆踊り。
[編集] 文化財
- 重要文化財
- 引接寺塔婆(十重石塔)