少帝弁
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| 少帝弁 | |
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| 後漢 | |
| 第13代皇帝 | |
| 王朝 | 後漢 |
| 在位期間 | 189年 |
| 都城 | 雒陽(洛陽) |
| 姓・諱 | 劉弁 |
| 諡号 | 弘農懐王 |
| 生年 | 熹平2年(173年) |
| 没年 | 初平元年(190年) |
| 父 | 霊帝(長子) |
| 母 | 何皇后 |
| 年号 | 光熹(189年) 昭寧(189年) |
少帝弁(しょうていべん)は、後漢の第13代皇帝。姓名は劉弁。
霊帝の崩御に伴い、生母何太后とその兄である大将軍の何進により擁立された。しかし何進が宦官によって暗殺され、さらに宦官も袁紹によって皆殺しにされ、その時期に洛陽に入ってきた董卓によって、異母弟の劉協(献帝)が擁立されたために廃位となり、弘農王に封じられた。
その後、董卓による専制に反発した諸侯による董卓討伐戦が起こった時、反乱軍に擁立されることを恐れた董卓に命じられた李儒によって、長安遷都前に毒殺された。後に懐王と諡されたため、実質的に皇帝とは認められなかったことになる。
在位わずか5ヶ月に過ぎないが、地方豪族の一人に過ぎなかった董卓に帝位を廃されたことは、事実上後漢王朝の滅亡を意味していた。
『三国志演義』では、劉協よりも若干年上の少年であったが、劉協の方が聡明さがあり、逆に劉弁は暗愚であったために、廃位されたのち何太后と共に李儒により高所から突き落とされ殺害される。
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