広島赤十字・原爆病院
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| 情報 | |
|---|---|
| 英語名称 | Hiroshima Red Cross Hospital & Atomic-bomb Survivors Hospital |
| 前身 | 日本赤十字社広島支部病院 広島陸軍病院赤十字病院 広島赤十字病院 日本赤十字社広島原爆病院 |
| 標榜診療科 | 内科、消化器科、循環器科、呼吸器科、神経内科、小児科、外科、脳神経外科、整形外科、眼科、耳鼻咽喉科、皮膚科、泌尿器科、産婦人科、放射線科、麻酔科、リウマチ科、歯科口腔外科 |
| 許可病床数 | 651床 一般病床:651床 |
| 機能評価 | 一般500床以上:Ver5.0 |
| 開設者 | 日本赤十字社広島県支部 |
| 管理者 | 土肥博雄(病院長) |
| 開設年月日 | 1939年5月1日 |
| 所在地 |
〒730-8619
|
| 位置 | 北緯34度22分51秒 東経132度27分15秒 |
| 二次医療圏 | 広島 |
| 特記事項 | がん診療連携拠点病院、地域医療支援病院 |
| PJ 医療機関 | |
広島赤十字・原爆病院(ひろしませきじゅうじ・げんばくびょういん)は、日本赤十字社が運営する公的病院である。広島県広島市中区に位置する。原爆に被災し、かつ被爆後の医療拠点の一つとなったという歴史的経緯から原爆医療部門を持ち、原爆症(放射線障害)治療に対してのノウハウを多く持っている。原爆病院と称されてはいるが一般病棟も併設されており、原爆症以外の疾病も診察・治療を行っている。
広島県災害拠点病院、がん診療連携拠点病院、地域医療支援病院、医師・歯科医師の卒後臨床研修指定病院である。
目次 |
[編集] 沿革
- 1939年5月1日 - 日本赤十字社広島支部病院として開院。建物の設計は早稲田大学大隈講堂などを手がけた佐藤功一。
- 1939年5月8日 - 広島陸軍病院赤十字病院へ改称。
- 1943年1月 - 広島赤十字病院へ改称。
- 1945年8月6日 - 原爆に被災。
- 1956年9月 - 広島赤十字病院の構内に日本赤十字社広島原爆病院を開院。
- 1988年4月 - 広島赤十字病院と日本赤十字社広島原爆病院を統合し、広島赤十字・原爆病院へ改称。
- 1993年4月 - 老朽化のため旧建物を取り壊し。新病棟に移行。
[編集] 診療科
- 一般部門
- 原爆医療部門
- 原爆内科
- 原爆外科
- 原爆整形外科
- 原爆放射線科
[編集] 原爆と広島赤十字病院
※注意 ここには広島原爆関連の映像があります。
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1945年8月6日の原爆被災に際し、広島赤十字病院(被爆時には陸軍病院分院を併設)は、爆心地より約1.6kmに位置し、RC構造3階建ての病棟は外郭を残して大破したが、類焼は免れることができた。病院が保管していたレントゲンフィルムが被爆によりすべて感光していたことなどから原子爆弾の使用が立証された。
赤十字病院では、直後から病院に押し寄せてきた被爆者への治療が開始された(当時のスタッフには、のち院長に就任した若手医員の重藤文夫も含まれていた)。爆心地に近い広島第一・第二陸軍病院本院や県立病院が壊滅していたこともあって、かろうじて診療機能を保っていた広島逓信病院と共に、市街中心部における医療拠点の一つとなった。
爆風によりねじ曲がった窓枠や窓ガラスの破片が突き刺さった壁は、被爆当時の状態を示すものとして第二次世界大戦後も長く現場に保存されていた。しかし1993年の病院改築に当たり旧建物が取り壊されることになったため、広島市の被爆建物保存事業の第1号として、当該部分のみが切りとられ病院前・交差点近くの歩道に移設された。
[編集] 交通アクセス
[編集] 外部リンク
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