平野政吉美術館

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Japanese Map symbol (Museum) w.svg 平野政吉美術館
Masakichi Hirano Museum of Fine Art,Akita
平野政吉美術館(2008年5月)
施設情報
正式名称 秋田県立美術館
専門分野 美術
事業主体 秋田県・財団法人平野政吉美術館
管理運営 財団法人平野政吉美術館
開館 1967年5月5日
所在地 010-0875
秋田県秋田市千秋明徳町3番7号
位置 北緯39度43分9.4秒 東経140度7分22秒 / 北緯39.719278度 東経140.12278度 / 39.719278; 140.12278
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平野政吉美術館(ひらのまさきちびじゅつかん)は秋田県秋田市にある美術館である。博物館法上の登録博物館としての正式名称は秋田県立美術館である。(秋田県立美術館との関係は概要節を参照のこと。)

千秋公園内に設置され西洋画、特に藤田嗣治(フランスで最も有名な日本人画家)の作品を多く所蔵する。中でも藤田作の『秋田の行事』は美術館の壁一面分もある巨大なキャンバス(高さ3.65m・幅20.5m)に秋田の春夏秋冬の行事を描いた大作であり、美術館の見所のひとつとなっている。

『秋田の行事』については、関連図書の渡部琴子『平野政吉 世界のフジタに世界一巨大な絵を描かせた男』新潮社 に詳しく書かれている。

平野政吉は、秋田藩主 佐竹公と共に水戸から秋田に移住した家来の子孫で秋田一の破天荒な大富豪であるが、彼の残した藤田嗣治の多数のコレクション遺産は世界に誇るものである。

目次

概要[編集]

美術館は、1967年5月5日財団法人平野政吉美術館によって公開された。そのうち601点は平野政吉個人による蒐集品から寄贈されたものであり、交友のあった藤田嗣治の作品を多く含んでいた。現在では藤田のコレクションとして最も充実している美術館のひとつである。

3F展示室には『聖母子像』(作者不詳)など中世スペインの宗教画をはじめ、ゴヤの『闘牛図』(1914-1916年)、レンブラントゴッホセザンヌロートレックなどの油彩、版画、素描やvの不透明水彩などがあり西洋絵画を鑑賞することができる。

建物は、日本神殿型の屋根をもち多曲線を描く。

なお正式には、上述のとおり当美術館の登録名称は秋田県立美術館であり平野政吉美術館というのは上記財団法人の名称であるが、同財団の寄附行為においては秋田県立美術館において同財団の美術品を展示することが明記されており、実際上も当該財団が秋田県立美術館の指定管理者として管理をしているため、一般には秋田県民の創作発表のギャラリーとして使用されている美術ホールが秋田県立美術館で、展示室部分が平野政吉美術館と認識されている[1]

藤田嗣治コレクション[編集]

2F「大展示室」には大壁画『秋田の行事』(1937年)があり、タタミ26畳分に相当するギネス級の大作である。これは平野の米蔵内で完成されたものであるが、経緯は渡部琴子の著作『平野政吉-世界のフジタに世界一巨大な絵を描かせた男』(2002年)に詳細に記されている。その他、大展示室には『眠れる女』(1931年)、『チンドンヤ』(1934年)、『自画像』(1936年)が展示されている。ことに『チンドンヤ』は日本画の手法で描かれ、藤田の傑作とされる。「小展示室」には主に藤田の素描が、「西展示室」には油絵の小品や版画が展示されている。

美術館移転問題[編集]

秋田市中心市街地再開発事業で建設される新県立美術館として、本美術館を移転する計画[1]について、マスコミの報道がなされている[2][3][4]ほか、計画見直しについての請願書が秋田県議会に提出され議会でも質疑される[5]など議論になっている。 移転反対の署名運動も開始[6]された。

アクセス[編集]

脚注[編集]

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関連項目[編集]

関連図書[編集]

外部リンク[編集]