平清貞

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平清貞
時代 平安時代後期
生誕 不明
死没 寿永3年2月7日1184年3月20日
別名 清定
氏族 中原氏伊勢平氏
父母 父:中原師元、養父:平清盛
兄弟 中原師尚清貞中原師秀、覚元、
公元、藤原尹明室、春日殿
養兄弟:中原祐安重盛基盛宗盛知盛藤原信隆藤原兼雅徳子盛子重衡維俊知度清房
藤原隆房正室完子御子姫君
廊御方清邦
中原師行
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平 清貞(たいら の きよさだ)は、平安時代後期の武将平清盛の養子。実父は大外記を務めた中原師元であり、兄に師尚がある。名は一説に「清定」とも。

略歴[編集]

早くから清盛に養われ、平家の公達として成長。一門の繁栄の中で尾張守に任官する。

寿永3年、一ノ谷の戦いにおいては、義兄知盛の指揮下に入り、生田の森の陣を警備する。しかし源範頼軍に陣を突破されると、従兄弟の経俊、義兄の清房と共に三騎で敵陣に突入し、討ち取られた。

子の師行は後に師尚の養子になり、中原氏に復姓している。

系譜[編集]