平林泰三

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平林 泰三(ひらばやし たいぞう、1975年4月24日[1] - )は、宮崎県出身の元ラグビー選手・レフリー(審判員)。アジア人初のフルタイムラグビーレフリーとして従事していた[1]。2003年に、日本ラグビー史上初のプロレフリー(兼テクニカルコーチ)として日本IBMと契約。選手時代のポジションはスクラムハーフ

フルネーム 平林泰三
生年月日 1975年4月24日
出身地 宮崎県
大学 宮崎産業経営大学
職業 宮崎県スポーツ推進アンバサダー
ラグビーユニオンでの経歴
ポジション スクラムハーフ ウイング
シニア経歴
チーム 出場 (得点)
1996〜1999 GPS rugby union club ()
代表
チーム 出場 (得点)
2007-2015 日本代表バックルームコーチスタッフ
コーチ歴
チーム
2003〜2006 日本IBM Big Blue

経歴[編集]

5歳の時、宮崎県高鍋高校ラグビー部出身の父の影響で宮崎少年ラグビースクールでラグビーを始め、宮崎大宮高校から宮崎産業経営大学に進学。19歳で宮崎県協会C級、21歳で九州協会B級、クイーンズランド州公認審判員資格も取得。

卒業後の1996年から3シーズン、オーストラリアのクイーンズランドに渡豪。クイーンズランド・プレミアシップのGPSクラブでプレーし、ベン・チューン、ダニエル・ハーバート、マット・コーベインらオーストラリア代表選手とともに7人制クイーンズランド州選抜メンバーにも選ばれ国際大会にも出場した。

7人制クイーンズランド州選抜チーム(ポトルーズ)では、複数のワラビーズ代表選手と共にNSWで開催された国内大会優勝、ダーウィン国際大会優勝、シンガポール国際大会ベスト8、バンコク国際大会優勝/準優勝し、2000年に現役を引退した。

GPSクラブまたはポトルーズ出身で日本でプレーした選手は、ダニエル・ヒーナン、ラディケ・サモ、ティム・アトキンソン、トム・マグベリー、エリア・トゥキリ、ピーター・ヒューワット、ウィル・ゲニア、サム・ケレビ、マット・コーベイン 

1999年に帰国し、関東協会に所属。2005年には当時最年少の28歳で日本協会公認A1級審判員となる[1]。また、同年に株式会社フォーシーズと所属契約し、日本初のフルタイムレフリー宣言を行う[1]2006年よりA級に当時最年少で昇格[1]

2005年にU19ワールドカップ南アフリカ大会に参加、2006年にU21ワールドカップフランス大会で3位決定戦にてレフリーを務め、その後ワールドラグビーのパネルレフリー入りを果たす。アジア人としては初めて世界のトップ15人レフリーパネルに入り、その後には誰も続いて入っていない。

2007年には北半球最高峰のシックスネイションズで日本人初[注釈 1]のアシスタントレフリーを務める[1]

2009年には、南半球伝統の対抗戦ブレディスローカップでアシスタントレフリーを務める。

2006年から2014年シーズンまでワールドセブンズシリーズに参戦。4度のメジャー大会にてカップ決勝のレフリーを務める。

2007年、レフリーとして史上初めて日本ラグビーフットボール協会と契約を結ぶ[1]。また、レフリー業務と平行して2015年までラグビー日本代表バックルームスタッフとしてレフリールール対策、ゲーム分析、規律の文化作り等のプログラム提供の担当業務に従事する。

2017年4月、日本フットサルリーグ(Fリーグ)に所属するバルドラール浦安のコーチングコーディネーターに就任[2]。同年7月に日本ラグビー協会との契約終了に伴い、日本協会公認レフリーから外れることとなった[3]

現在はレフリーコーチングプログラムや各国でのラグビー、並びに他スポーツ普及のための活動に携わっている。

2016年より宮崎県と業務委託関係にあり、宮崎県内における国際レベルの様々なスポーツ代表チームのキャンプ誘致やプロチームのキャンプ環境整備を推進する「スポーツランドみやざき推進アンバサダー」としてスポーツ産業化事業を提案し成功している。有名なところでは、ラグビー日本代表、ラグビーイングランド代表、イギリストライアスロン代表、ノルウェートライアスロン代表、トライアスロン日本代表などをフェニックスリゾートシーガイアと連携する仕組みを作り日本屈指のスポーツリゾートに創り上げた事が海外からも高い評価を受けている。

2019年宮崎市木崎浜ビーチにワールドサーフィンゲームスを誘致し、サーフィンの宮崎のイメージを格段に良いものにし世界へ強烈なPRを仕掛けた。

2019年より宮崎ライフセービングクラブ顧問、青島渚の交番プロジェクトアドバイザー、行政認可総合型地域スポーツクラブ青島サーフクラブ代表として、青島・内海地区のマリンスポーツ強化に従事している。

陸上自衛隊レンジャー部隊との親交が強く、長期に渡り外部支援として訪問や講和を通じて活動が認められ、自衛隊より感謝状を受ける。

ニューズウィーク日本版にて「世界が尊敬する日本人100人」に選出された。

関連項目[編集]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ アスポタのプロフィールによると、ラグビーの強豪10ヶ国 (イングランド、ウェールズ、スコットランド、アイルランド、イタリア、フランス、南アフリカ、ニュージーランド、オーストラリア、アルゼンチン) 以外で初である。

出典[編集]

  1. ^ a b c d e f g aspota (初出年不明). “アスポタ -アスリートプロフィール/平林 泰三-”. 2008年11月23日閲覧。
  2. ^ 平林泰三氏、クラブコーチングコーディネーター就任のお知らせ - バルドラール浦安公式HP 2017年4月28日付
  3. ^ 2017年度日本ラグビー協会公認レフリー決定 - 日本ラグビーフットボール協会 2017年7月21日付

外部リンク[編集]