平家長

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平 家長(たいら の いえなが、生年不詳 - 元暦2年(寿永4年)3月24日1185年4月25日頃)は、平安時代末期の伊賀国(現三重県)服部の武将桓武平氏庶流。左衛門尉。平左衛門家長。伊賀家長とも。平家貞[1]の子。服部時定の父?。

平家物語』で平知盛の乳兄弟とされ、水島の戦いにその名が見られる。壇ノ浦の戦いで平家が敗れると、知盛と共に入水した。

服部氏は家長を開祖と称している。

系譜[編集]

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脚注[編集]

  1. ^ 伊勢盛光の子の貞光の子にあたる。

関連項目[編集]