常盤光長

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《伴大納言絵詞》(部分、応天門炎上)
常盤光長筆と推定されている。

常盤 光長(ときわ みつなが、生没年不詳)は、平安時代後期の宮廷絵師。後世、藤原 光長とも、また土佐派成立後にその祖先の一人として土佐 光長とも呼ばれた。出自は明らかではないが、一説に藤原北家良門流中務大輔藤原経隆、あるいは豊前藤原邦隆の子[1]とする。従四位下・刑部大輔

承安3年(1173年)藤原隆信と協同で最勝光院御所の障子会を描く[2]。また、後白河法皇の命により『年中行事絵巻』を描いたとされている。さらに、絵巻中の描写の共通点から『伴大納言絵詞』と『吉備大臣入唐絵巻』を描いたとも見做されている。

脚注[編集]

  1. ^ 富士川游『醫史叢談』書物展望社、1942年、127頁。 
  2. ^ 玉葉』承安3年条

参考文献[編集]

常盤光長』 - コトバンク