川崎ローム斜面崩壊実験事故
| 日付 | 1971年11月11日 |
|---|---|
| 時間 | 15時34分 |
| 場所 | 神奈川県川崎市 |
| 死者・負傷者 | |
| 15人死亡 | |
| 重軽傷者10人 | |
川崎ローム斜面崩壊実験事故(かわさきロームしゃめんほうかいじっけんじこ)は、1971年(昭和46)11月11日、科学技術庁国立防災科学技術センターなどが川崎市生田緑地公園で行った斜面崩壊実験の失敗により発生した事故である。実験関係者・報道関係者ら15名が生き埋めとなって死亡した。現在は生田緑地内、川崎市岡本太郎美術館そばに慰霊碑が建っている。
当時の科学技術庁長官・平泉渉が11月15日に引責辞任している。
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[編集] 実験の概要
この実験は四省庁の研究機関(科学技術庁国立防災科学技術センター、通商産業省工業技術院地質調査所、自治省消防庁消防研究所、建設省土木研究所)による合同実験で、斜面崩壊の発生機構を解明すべく、科学技術庁が昭和44年度から三カ年計画で進めてきた関東ローム層で構成された台地における斜面崩壊に関する総合研究の一環として行なわれたもの。
生田緑地公園内に設定された試験地において、実際に斜面に散水し降雨を再現することで、人工的に斜面崩壊を発生させ、基礎データを収集しようとするものであった。
この実験と試験地の選定については、昭和42年度から準備が開始され、横浜市磯子地区、南多摩の造成地、川崎市周辺などが候補にのぼっていたが、昭和45年2月18日付で正式に川崎市長から許可を取得して現場が定められた。また、昭和46年6月9日にこの実験計画の承認が行なわれている(決裁は研究調整局長)。
試験地の斜面角度は30度、崩壊予定部の底辺は幅100m、観測計器・観測用ビデオカメラの設置場所は斜面最下部から約50m離れた箇所、丸太の防護柵の高さは1mであった。試験地の両側は木立が茂っており、計測班や報道陣は試験地の側面ではなく、崩落面の正面(流れてくる下側)で計測・記録を行っていた。
現地における予備実験(予備散水)は、4月27-28日、7月8-9日、11月4-6日の合計7日間行なわれ、さらに11月7日は雨が降っていた。
[編集] 実験の開始と事故の発生
9日午後3時半から散水を開始し、11日午後3時34分、総雨量(総散水量)が470mmに達したとき、轟音とともに斜面に爆発的な崩壊が発生。崖上部から捨土、ローム層本体、さらに砂礫層の一部が崩落し、土砂は防護柵をなぎ倒して崖下55mの池にまで到達した。
その崩壊の速度及び規模が予想外に大きかったため、実験関係者、報道関係者を含む25名が生き埋めになり、15名(実験関係者11名、報道関係者4名)が死亡、10名が負傷した。
事故の瞬間は死亡したフジテレビのカメラマン佐武正によってカメラが土砂に埋没する最後の一瞬まで撮影されており、同局で放送された。また、日本テレビのカメラマンによっても撮影されており、昭和46年11月12日付の読売新聞夕刊に連続写真として掲載されている。
[編集] 原因
この実験に際して、安全対策上の不備、特に
- 報道関係者に対する事前の連絡(警報、退避場所などの指示)が十分でなかった、
- 当日は地元の警察・消防に連絡をしておらず、立ち入り制限等の趣旨が十分徹底していなかった、
- 見学場所の17m後方、唯一退避できる方向に池があった、
- 崖崩れの流速について、およそ5-6秒程度で一番下のところまで流れてくるという予想が実際には2-3秒だった。
- 事前調査として行われたボーリングが深さ3mのものを3本行っただけであった、
- ローム層と粘土層との分かれ目(深さ約2.3-2.7m)に亀裂が起こっていることが前日にはわかっていた。
などの点が挙げられている。
[編集] 関連事項
[編集] 外部リンク
- 慰霊碑について
- 予測できない自然現象(浅井恒雄) - 日本記者クラブ(Internet Archive Cache)
- 応用地質ニュース : ローム斜面崩壊実験事故発生までの経過概要