川口宗重

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川口 宗重(かわぐち むねしげ、天正15年(1587年) - 承応3年6月17日1654年7月30日))は、江戸時代初期の旗本川口宗勝の三男、母は福富平左衛門直貞の娘。兄弟に宗信、宗之、宗利、宗澄、宗政。

慶長17年(1612年)、父の宗勝が没すると遺領のうち葛飾郡臼井500石を相続した[1]。その後、上総甲斐国内に加増され、合わせて2000石となる[1]。承応3年(1654年)没する[1]。墓は佐倉市八幡台にある[1]。家督は長男宗徳が継ぎ、宗憲、宗建と臼井を領した。

出典[編集]

  1. ^ a b c d 佐倉市の文化財-史跡(2)「墓・碑 など」”. 佐倉市. 2020年3月15日閲覧。