峨山韶磧

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峨山韶碩(がざんじょうせき、建治元年(1275年) - 正平21年/貞治5年10月20日1366年11月23日))は、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての曹洞宗の僧。能登国の出身。總持寺第2世。

16歳の時比叡山で出家し、円宗に師事して天台教学を学んだ。一説には白山修験道行者であったともいう。永仁5年(1297年)、上洛途中の瑩山紹瑾に出会う。

正安元年(1299年)、加賀国大乗寺の瑩山のもとを訪れ、徳治元年(1306年)瑩山から印可を受けた。

元亨元年(1321年)瑩山から嗣法し、正中元年(1324年)總持寺2世となり曹洞宗発展の基礎を築いた。

峨山は永光寺輪住制を置いた先師瑩山にならい總持寺を輪住寺と定めた。門下には「峨山二十五哲」と呼ばれた多くの優れた弟子がいたが、特に太源宗真通幻寂霊無端祖環大徹宗令実峰良秀にそれぞれ塔頭寺院を開かせ、總持寺住職はこの五院住職の輪番とした。

暦応3年(1340年)、永光寺住職を兼任し、入寂するまで20余年にわたって両寺を往還しながら全国に教線を拡大した。

峨山は毎日未明に永光寺の朝課をすますと、13里(約52㎞)の山道を通って總持寺に向かい朝課を勤めたという伝説がある。この山道を「峨山道」と呼ぶ。總持寺では大悲心陀羅尼を一音ずつ長く引いて読む「大真読」と呼ぶ諷経法があるが、これは永光寺からやってくる峨山を待つために始められたともいう。

貞治5年(1366年)、92歳で入寂。

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