岸和田中学生虐待事件

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

岸和田中学生虐待事件(きしわだちゅうがくせいぎゃくたいじけん)は、大阪府岸和田市で当時中学3年の長男餓死寸前まで虐待した事件である。

事件の概要[編集]

本事件は2004年1月26日付の朝刊各紙で報道された。保護された長男は身長155センチに対し、体重が24キロBMIは10)と餓死寸前にまで追い込まれており、殺人未遂罪に問われた。大阪地方裁判所にて父、継母の両被告に懲役14年の実刑判決が言い渡された。

事件発覚直後の長男は意識不明の状態が続いていたが、懸命な治療の結果辛うじて意識を取り戻し、簡単な会話が出来る程度には回復した。だが長男の知能は著しく低下しており、また身体にも障害・後遺症が残った。

事件の経緯[編集]

父親は、1988年に被害者である長男の実の母親と結婚する。そして、長男と1歳違いの次男をもうけたが、1995年に離婚。子供2人は父方の祖父母が引き取った。1998年頃、父親は子連れの母と一緒に住むようになり、子供2人も呼び戻し5人での生活を始めたが、やがて呼び戻された子ども2人への児童虐待が始まる。

トラック運転手の父親と、内縁の妻は、2002年6月ごろから長男に暴行を行ったり、食事を数日間とらせないなどの虐待を繰り返した。2002年10月には弟とともに不登校になる。担任は週に2、3回、少年の自宅を訪問するが、内縁の妻は「寝ているので呼び鈴を鳴らさないでほしい」と述べる。

次男は虐待に我慢できずに、2003年の夏に実の母親の元に逃げたが、長男はその時すでに自分一人では歩けなかったと見られている。2003年9月には自力で食事を取ることが出来なくなったことを認識したが、虐待発覚を恐れ放置して死亡させようと共謀した。2003年11月、衰弱死したと誤解し救急車を呼ぶまで長男を放置し、昏睡や脳萎縮などの傷害を負わせた。

長男は6帖の部屋に軟禁されていたが、その窓は頑丈に目張りされていて、外からは何も見えない状態であった。また、長男は自分では歩けないほど衰弱し、ブルーシートの上に寝かされていた。一応、掛け布団は与えられてはいたが、トイレの行き来も制限され排泄物はブルーシートの上に垂れ流しであった。

大阪府警察は、2004年1月25日に殺人未遂罪で、被害者の実父及びその内妻を逮捕。父親は、暴行については「しつけの範囲を超えていた」としながら、食事を与えなかったことについては「長男が食べなかった」と供述する。内縁の母も「長男が学校のいじめに悩んで家に引きこもるようになり、食事を取らなくなった」と、いずれも容疑を否認した。また、早朝から夜遅くまで仕事で家を空けていた父親よりも、家にいる内縁の妻の方が虐待に深く関わっていたと見て調べた。

父親と継母の二人は阪神・淡路大震災の被災地で知り合い、その頃、継母は実子に対しても食べ物を与えないなどの虐待を行っていた、という報道もあった。

関連書籍[編集]

  • 佐藤万作子 『虐待の家 ― 義母は十五歳を餓死寸前まで追いつめた』 (2007年11月・中央公論新社
  • 佐藤万作子 『虐待の家 - 「鬼母」と呼ばれた女たち』 (2011年6月・中公文庫

関連項目[編集]

外部リンク[編集]