岩村通世

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内, 検索

岩村 通世(いわむら みちよ、明治16年(1883年8月21日 - 昭和40年(1965年3月13日)は、太平洋戦争開戦時の日本司法大臣A級戦犯として逮捕されたが無罪で釈放された。

祖父は土佐藩陪臣岩村英俊。父は男爵元農商務大臣岩村通俊、兄の岩村俊武海軍中将、従弟の林譲治衆議院議長

目次

[編集] 経歴

岩村通俊の五男として、東京市神田区神保町で生れた[1]。父通俊は当時司法大輔(現在の司法次官)であったが、4才の時北海道初代長官に任せられて赴任したので、幼時を札幌幼稚園児として過ごした[1]

明治22年(1889年)には父は農商務大臣となり、引き続いて貴族院議員に勅選され東京の地に住んだが、彼は父母のもとを離れて郷里宿毛に帰され、宿毛小学校で勉学にいそしんだ[1]。そうして明治26年(1893年)3月同校を卒業すると、高知市の高知県立第一中学校(現在の県立追手前高校の前身)に入学、明治35年(1902年)3月に同校を卒業[1]

岡山の第六高等学校を経て、明治43年(1910年)3月東京帝国大学独法科を卒業とともに司法官試補に任ぜられ、甲府地方裁判所に赴任[1]

昭和15年(1940年検事総長、16年(1941年)7月に第三次近衛内閣の成立に当って、司法大臣の大命を拝受、東條英機内閣でも留任した[1]。19年(1944年)7月東条内閣瓦壊と共に引退[1]

昭和20年(1945年)9月、A級戦犯として連合国最高司令官の指令により、突然逮捕せられ横浜刑務所に収容された[1]。そうして大森収容所に転送され、最後は巣鴨刑務所に移された[1]

国際裁判は厳正に容謝なく行なわれた[1]。すべての容疑は完全に晴れて昭和23年(1948年)の暮、無罪で釈放された[1]

巣鴨を出てわずか1週間、昭和24年(1949年)年1月1日付で東京家庭裁判所調停委員に任命された[1]

そうしてその後家庭裁判所参与員となり、あるいは戦争受刑者世話会常務理事、日本調停協会連合会理事長等、又東京弁護士会に加盟して恵まれない被告の援護をする等社会事業に一生を捧げている[1]

昭和40年(1965年3月13日、83才の天寿をまっとうして静かにこの世を去った[1]

[編集] その他

NHKスペシャル終戦特集ドラマ『気骨の判決』(平成21年(2009年8月16日放送)に、山本圭演じる「竹下正弘」という架空の司法大臣が登場するが、時系列的に見てモデルとなっている人物は岩村である。

[編集] 脚注

[ヘルプ]

[編集] 外部リンク


先代:
近衛文麿
司法大臣
第46代:1941年 - 1944年
次代:
松阪広政
個人用ツール
名前空間
変種
操作
案内
ヘルプ
ツールボックス