岩手日報

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株式会社岩手日報社
THE IWATE NIPPO CO., LTD.
種類 株式会社
市場情報 非上場
本社所在地 Flag of Japan.svg 日本
〒020-8622
岩手県盛岡市内丸3番7号
設立 1876年7月
業種 情報・通信業
事業内容 新聞業
代表者 村田源一朗(代表取締役会長)
資本金 2億円
売上高 148億9000万円(2007年3月期連結)
総資産 40億7100万円(2007年3月期連結)
従業員数 288人(2007年3月末連結、臨時従業員除く)
決算期 3月
主要株主 IBC岩手放送(7.48%)
みちのくコカ・コーラ(5.00%)
岩手日報労友会奨学基金(3.87%)
村田源一朗(2.88%)
三浦宏(2.74%)
久慈吉野右衛門(2.60%)
後藤百合子(2.42%)
岩手銀行(2.27%)(2007年3月31日現在)
主要子会社 岩手日報広告社(100%子会社)、岩手日報アド・ブランチ、岩手日報こずかたセンター
外部リンク http://www.iwate-np.co.jp/
  
岩手日報社本社

岩手日報(いわてにっぽう)は、岩手日報社(岩手県盛岡市)発行の日刊新聞。発行部数は23万部。岩手県ではシェア1位の新聞紙である。本稿では、岩手日報の発行母体である岩手日報社についても併記する。

目次

[編集] 概要

盛岡市に本社を置く。また、支局が岩手郡岩手町紫波郡紫波町花巻市北上市奥州市水沢区、江刺区、一関市陸前高田市大船渡市釜石市遠野市宮古市久慈市九戸郡洋野町二戸市八幡平市に所在する。

県内で加盟する記者クラブは、岩手県政記者クラブ、岩手県警記者クラブ、岩手県教育記者クラブ、岩手県経済記者クラブ、盛岡市政記者クラブほか。


[編集] 本社・支社

本社
岩手県盛岡市内丸3-7
東京支社
東京都中央区銀座7丁目12-14 大栄会館
大阪支社
大阪府大阪市中央区高麗橋2丁目4-6 大拓ビル11
仙台支社
宮城県仙台市青葉区一番町2丁目3-20 第三日本オフィスビル
八戸支社
青森県八戸市類家1丁目8-3 ホワイトレジデンス八戸
一関支社
岩手県一関市大手町3-40

[編集] 販売エリア

岩手県内を主要販売エリアとするほか、東京都中央区、宮城県気仙沼市、秋田県大舘市、青森県八戸市の一部では直接配達を行う。

[編集] 紙面構成

トップニュースを紹介する一面、県内主要記事(一部国内外)の「県内政経」面、国内・国際記事や「論説」を掲載する「中央政経」面、「国際」面、「経済」面、「商況」面、「スポーツ」面、「生活」面、「社会」面のほか、県内を数ブロック(日によって異なる)に分けて話題を紹介する「地域」面、その中でも主要な記事をより抜いた「県内総合」面がある。

主要なコーナーとしては、一面コラム「風土計」、いわゆる社説の「論説」、話題の中心人物のコメントを紹介する「日報アンテナ」、自治体のイベントを紹介する「町から村から」などがある。岩手日報本支社を訪れた来客の氏名・社名を紹介する「本社来訪」は同紙独特のコーナーである。

題字や紙面レイアウト、デザインについては細かな部分をのぞけば旧来から変わっていない。

[編集] テレビ・ラジオ欄

岩手県内各局のテレビ番組表は、朝・夕刊共に一番左端からIBCテレビ・テレビ岩手岩手めんこいテレビ岩手朝日テレビNHK盛岡総合・NHK盛岡教育の順でフルサイズ掲載。県内民放でもっとも関係の深いIBC岩手放送が先頭となるため、NHKは右に寄せられている。NHK衛星第1・第2、WOWOWの番組表は柱状の広告を挟んでその右側にハーフサイズで掲載される。

TV面における岩手県内各局の局名掲載方法
  • IBC岩手放送:IBC(以前は「IBCテレビ」という表記だったが、地デジ本放送が始まった2006年12月以降は略称のみで表記。)
  • テレビ岩手:正式局名をそのまま掲載。
  • 岩手めんこいテレビ:岩手めんこい(以前は正式局名をそのまま掲載していたが、地デジ本放送開始以後は「テレビ」を省いて掲載。)
  • 岩手朝日テレビ:岩手朝日(以前は正式局名をそのまま掲載していたが、地デジ本放送開始以後は「テレビ」を省いて掲載。)

隣県の宮城県青森県のテレビ番組は朝刊中面にハーフサイズで掲載(TBCテレビ仙台放送ミヤギテレビ東日本放送青森放送青森テレビ青森朝日放送)。その下にはBSデジタル7局の番組表が掲載される。岩手県内各局の番組解説(自社制作含め)も全てこちらに掲載(以前はTV番組解説のみ朝刊最終面への掲載だった)。

夕刊はテレビ・ラジオが一緒に掲載され、当日分は18時台から深夜帯までフルサイズで、翌日・翌々日分はハーフサイズでそれぞれ掲載。ラジオ欄は朝・夕刊とも岩手県内ラジオ局のみ(IBCラジオ、FM岩手、NHK盛岡第1・第2・FM)をハーフサイズで掲載し、近県のラジオ局は非掲載である(ラジオNIKKEIは掲載)。また岩手県内各地の主要ラジオ周波数が各局の上段に掲載されている。また今まで非掲載だったコミュニティFM各局の番組表も朝刊地域面に極小サイズで掲載(ラヂオもりおかは盛岡広域面、カシオペアFMは県北・八戸面、奥州FMは県南面に各々掲載。但し夕刊の場合、コミュニティーFM番組は従前通り非掲載)。

なお、深夜放送欄には在京民放AM局(TBSラジオ文化放送ニッポン放送)の深夜番組を朝・夕刊ラジオ欄(朝刊は第2TV面)に極小サイズで掲載。

[編集] 沿革

「岩(巌)手日報」という名前の新聞は1897年にまでさかのぼるが、昭和初期にそれまで新聞社を支配していた金融機関が破綻したことで、主として編集サイドから「新聞人による新聞」を望む声が上がり、社内対立から解雇された彼らが1938年に新たに起こした会社が今日につながる岩手日報社となった。このため、1937年以前の岩(巌)手日報社は資本上は今の会社とはつながりがない。

  • 1876年7月21日 岩手県で初の新聞巖手新聞誌創刊。
  • 1897年3月2日  経営者の交代などを経て巖手日報創刊。
  • 1937年12月 1931年の県下金融機関破綻に端を発した社内対立から解雇された社員が「岩手日報従業員組合」を組織[1]
  • 1938年1月1日 従業員組合による新岩手日報を創刊。旧「巌手日報」と競合する形になる[1]
  • 1938年6月29日 岩手日報従業員組合を母体に新岩手社を創立。
  • 1938年9月 旧「巌手日報」が資金難から刊行を停止[1]
  • 1945年4月21日 岩手県内の新聞が新岩手日報のみとなる。
  • 1948年11月3日 第1回岩手日報文化賞・体育賞を贈呈。
  • 1951年9月8日 新岩手日報は5000号を記念して岩手日報に改題[2]
  • 1961年3月31日 新岩手社と同居の旧県物産館から出火、社屋を全焼。全社員の努力で一日も休まず新聞発行が続けられた。
  • 1962年1月28日 社名を新岩手社から岩手日報社に改称。
  • 1962年10月15日 盛岡市内丸に新社屋完成。
  • 1969年12月9日 社屋を地上5階建てに増築。
  • 1981年9月7日 3カ年で進めてきた電算写植システムが完成。組版が鉛活字からコンピューター写植システムに完全移行。
  • 1994年12月9日 盛岡市みたけに制作センター完成。1995年新年号の印刷から稼動開始。
  • 1997年7月21日 ホームページを開設。

[編集] 主な出版物

[編集] 新聞紙

  • 岩手日報

[編集] 刊行物

[編集] 脚注

  1. ^ a b c 小川功「機関銀行と機関新聞」、『彦根論叢』No.326(滋賀大学経済学会、2000年)[1]。旧巌手日報社は金田一国士の率いる盛岡銀行の支配下にあった。
  2. ^ 新聞総合目録所蔵一覧画面

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

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