岡本敦郎
| 岡本 敦郎 | |
|---|---|
| 基本情報 | |
| 出生名 | 尾加一夫 |
| 出生 | 1924年12月25日(87歳) |
| 学歴 | 武蔵野音楽学校 |
| 出身地 | |
| ジャンル | 抒情歌 歌謡曲 |
| 職業 | 歌手 音楽教師 |
| 活動期間 | 1946年 - |
| レーベル | 日本コロムビア |
岡本 敦郎(おかもと あつお、1924年12月25日 - )は、小樽市出身の歌手。武蔵野音楽学校(現・武蔵野音楽大学)声楽科卒業。日本コロムビア所属。
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[編集] 経歴
1946年にラジオ歌謡のホームソング「朝はどこから」でデビューした。この曲は当時、敗戦直後の日本を励ますため朝日新聞が企画した懸賞応募曲である。明るいその曲調から、広く親しまれ愛唱された曲である。抜群の伸びのある美声と正統派の歌唱で、戦後の歌謡界で活躍した。1949年の「街の艶歌師」の小ヒットを皮切りに流行歌のヒットが増えて行った。ちなみにこの作曲は八洲秀章で岡本敦郎にしては珍しい演歌である。
そして、「白い花の咲く頃」の大ヒットや「チャペルの鐘」「あこがれの郵便馬車」などのヒットを経て、1954年にリリースした「高原列車は行く」は爆発的ヒットとなり現在までの岡本敦郎の代表曲となった。その後も「ピレニエの山の男」「自転車旅行」「若人スキーヤー」などヒットを飛ばした。多くのラジオ歌謡を吹き込んだことから、ミスターラジオ歌謡の異名を持つ。
NHK紅白歌合戦に7回出場している(詳細は下記参照)。
舟木一夫の大ヒット曲「高校三年生」は岡本の吹込みを想定して作られたものである。また歌手業の傍ら、音楽教師としても活躍した。
1995年には戦後50年及び自身のコロムビア専属50年を記念し、同じく専属50年の並木路子・池真理子と共に新曲を発売し、日比谷公会堂でジョイントコンサートを行った。2007年9月18日に脳梗塞のため入院するも早期発見が幸いして投薬治療で回復。翌2008年1月21日放送の「ラジオ深夜便」で仕事復帰した。
80歳を超えた現在でも、「思い出のメロディー」(NHK)やテレビ東京の懐メロ番組へ常連出演し健在振りを見せている。
2008年、第50回日本レコード大賞で功労賞を受賞。2009年4月21日、「NHK歌謡コンサート」に出演。
2009年8月14日、「思い出の歌全58曲 懐かしの昭和メロディ」(テレビ東京)に出演。
2010年3月22日、「家族で選ぶにっぽんの歌」(NHK総合)に出演。
[編集] 代表曲
- 朝はどこから(1946年)共唱:安西愛子
- 街の艶歌師(1948年)
- ビルの窓から(1949年)
- 白い花の咲く頃(1950年)
- あじさいの唄(1950年)共唱:山田陽子
- さよならマルセーユ(1951年)
- リラの花咲く頃(1951年)
- 美しい乙女(1951年)
- 青いガス燈(1951年)
- 時計台の鐘(1951年)
- 草笛の唄(1953年)
- チャペルの鐘(1953年)
- みどりの馬車(1953年)
- 花のいのちは(1953年)共唱:岸恵子
- 高原列車は行く(1954年)作詞:丘灯至夫、作曲:古関裕而
- もぐらこおろぎ(1954年)共唱:伴久美子
- ピレネエの山の男(1955年)
- 秋の匂い(1955年)共唱:伴久美子
- 秋の子(1955年)共唱:伴久美子
- みおつくしの鐘(1955年)
- 自転車旅行(1955年)
- 登山電車で(1957年)
- 人工衛星空を飛ぶ(1957年)
- 今日の日はさようなら(1974年)
- 小諸なる古城のほとり(1977年)
- 元気で行こうよ仲間たち(1997年)
- 狐の花嫁(1997年)
- 四谷大塚進学教室の歌(カセットテープ)
[編集] NHK紅白歌合戦出場歴
- 第2回 (1952年1月3日、NHK東京放送会館第1スタジオ) 『あこがれの郵便馬車』
- 第3回 (1953年1月2日、NHK東京放送会館第1スタジオ) 『青春のファンタジア』
- 第4回 (1953年12月31日、日本劇場(日劇)) 『白い花の咲く頃』
- 第5回 (1954年12月31日、日比谷公会堂) 『高原列車は行く』
- 第6回 (1955年12月31日、産経ホール) 『リラの花咲く頃』
- 第7回 (1956年12月31日、東京宝塚劇場) 『自転車旅行』
- 第9回 (1958年12月31日、新宿コマ劇場) 『若人スキーヤー』