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山辺皇女(やまのべのひめみこ、663年(天智天皇2年)? - 686年10月25日(朱鳥元年10月3日))とは天智天皇皇女。母は蘇我赤兄の娘、常陸娘。天武天皇皇子の大津皇子の正妃。
幼い頃に外祖父の赤兄が壬申の乱で流罪に処される。その後、大津皇子の正妃となったが、皇子が謀反の意ありとして捕えられて磐余の自邸で死を賜ったのに殉死。その様子は『日本書紀』に「被髪徒跣、奔赴殉焉、見者皆歔欷(髪を振り乱して裸足で走り、殉死した。それを見た者は皆嘆き悲しんだ。)」と記されている。
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