山本清大

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山本清大(やまもと きよと、1983年1月13日 - )は、日本の元レーシングドライバー東京都出身。

略歴[編集]

カートでレースデビュー。2001年にはカナディアン・チャンプカー・ライツに参戦し、9戦中2勝を挙げ、シリーズ2位。

2002年フォーミュラ・ニッポンに「ソフト・オン・デマンド NOVA」からフル参戦。 当初は全日本F3選手権に参戦予定だったが、前年のカナディアン・チャンプカー・ライツの後半の成績から適応性の良さをチーム代表の森脇基恭が高評価し、フォーミュラ・ニッポンへの参戦が決定した。

当時一部ではまだトップフォーミュラに乗せるのは時期尚早ではないか、トップカテゴリーで満足に走れるほどの資質が果たして存在するのかと、彼の資質そのものを疑う声が挙がっていた。本人も「経験不足かもしれないが精一杯頑張る」と当時のインタビューで述べている。

開幕前のフォーミュラ・ニッポン・ルーキーテストでは、無事にルーキーテストに合格。しかし、シーズンを通して上位進出が中々果たせず(最高位は第2戦(富士)の11位)、1年目と言う事もあり、厳しい状態がシーズンを通して続いていた。

その年を最後に本人自身の持病による問題があり、モータースポーツからは遠ざかっている。同時にノバエンジニアリング自体もチームの弱体化が表面化し、翌年限りでフォーミュラ・ニッポンからは姿を消す事になる。

モータースポーツの現場を去って以降永らく彼の動向は不明となっていたが、飲食業等幾つかのビジネスを経て、現在はオイルメーカーのパワークラスター社を実父と経営しながら、カートレースのコーチで後進の育成などを行っている。

ソフト・オン・デマンド[編集]

アダルトビデオメーカーのソフト・オン・デマンドがスポンサーに付いたのは、同社社長(当時)の高橋がなりと面識があり、カート時代からサポートを受けていた。フォーミュラ・ニッポン参戦時の記者発表では、高橋から冗談半分で「優勝できなかったらうちのビデオに出てもらう」との激励を受けた。なお、高橋が考案したマシンのカラーリングは「気持ちだけでも速く」をイメージし、蛍光イエローをベースとしたヒョウ柄と、デザイン的には当時からしてみてはユニーク、一方では「悪趣味」と揶揄されるデザインだった。

また、同チームのレースクイーン(SODレーシングギャルズ)にソフト・オン・デマンドからアダルトビデオをリリースしていたうさみ恭香などの現役AV女優が起用された。(SODレーシングギャルズ)が主演のレースクイーンを題材にしたAV作品SODレーシングギャルズレイプ ~卑猥なる引退セレモニー~ (12月20日、SODクリエイト) を送り出し、モータースポーツファンやメディア等各方面から強い批判やバッシングを受け、賛否両論の激しい議論を巻き起こすこととなった。

レース戦績[編集]

  • 1999年 - 全日本カート選手権FAクラス
  • 2000年 - ヨーロッパカート選手権FAクラス
  • 2001年 - カナディアン・チャンプカー・ライツ(LAレインボーレーシング)(シリーズ2位)
  • 2002年 - 全日本選手権フォーミュラ・ニッポン(#9 ソフト・オン・デマンド NOVA/レイナード99L MF308

フォーミュラ・ニッポン[編集]

チーム 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 順位 ポイント
2002年 ソフト・オン・デマンド NOVA SUZ
15
FSW
11
MIN
12
SUZ
Ret
TRM
Ret
SUG
Ret
FSW
13
MIN
DNS
TRM
15
SUZ
13
21位 0

関連項目[編集]