山本浩之

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やまもと ひろゆき
山本 浩之
プロフィール
愛称 ヤマヒロ
出身地 日本の旗 日本大阪府泉佐野市
生年月日 1962年3月16日(49歳)
血液型 B型
最終学歴 龍谷大学法学部
勤務局 関西テレビ放送
活動期間 1985年 - 現在
ジャンル 報道情報スポーツバラエティ番組
公式サイト KTV公式ページ
出演番組・活動
現在 スーパーニュースアンカー
過去 アタック600
いつでも笑みを!
プライスバラエティ ナンボDEなんぼ』ほか

山本 浩之(やまもと ひろゆき、1962年(昭和37年)3月16日 - )は、関西テレビ放送所属のアナウンサー。

目次

[編集] 来歴・人物

  • 大阪府泉佐野市生まれ、泉佐野市育ち。血液型はB型[1]愛称ヤマヒロ[2]奈良県奈良市在住。
  • 大阪府立佐野高等学校を経て龍谷大学法学部卒業後、1985年(昭和60年)関西テレビ放送入社。[3]
  • スポーツ実況(プロ野球競馬など)、情報番組バラエティ番組レポーターなどを経て、1991年(平成3年)4月に夕方のローカルワイドニュース番組『FNNアタック600』のメインニュースキャスターに抜擢、関西テレビの看板報道アナとして活躍。後番組『アタック ザ・ヒューマン』のキャスターを勤め、1997年(平成9年)9月に降板し、同年10月深夜番組クロスファイア』の司会に起用される。この番組が、山本の大きなターニングポイントとなる(後述)。
  • その後、FNS系列全国ネット『いつでも笑みを!』などのバラエティ番組に出演し、人気を博した。
  • 2002年(平成14年)には、前年12月に収録・放送された『ほっとカンサイこの1年 NYリポート』に対する評価で、第18回FNSアナウンス大賞の大賞を受賞した。
  • 2006年(平成18年)4月、夕方の報道番組『スーパーニュースANCHOR』のメインキャスター(アンカーマン)に就任。8年6ヶ月ぶりに夕方報道番組を担当する。[4]
  • 2007年(平成19年)1月5日から、関西テレビのポッドキャスト企画第2弾『ヤマヒロのアナ Pod cafe』のパーソナリティを担当している。2007年(平成19年)2月5日にはiTunes StorePodcast総合ランキングで、27位になっている。
  • 家庭では、3人の息子の父である。
  • 趣味は落語ギター演奏、ゴルフなど。ギターに関しては、「クロスファイア」でのかつら告白の時にVTRにおいてではあるが演奏を披露している(歯笛も得意であり、ヤマヒロのアナPod cafeで披露した)。また、三代澤康司朝日放送)、柏木宏之上泉雄一(いずれも毎日放送)、森武史読売テレビ)など、在阪他局に所属する同年代の男性アナウンサーと盛んに交流。その関係で、関西テレビ以外の在阪民放局の番組に何度も出演している(後述)。
  • バラエティ番組『ナンボDEなんぼ』には、『スーパーニュースANCHOR』のメインキャスター就任後も、メッセンジャー黒田とともにスタジオ司会兼リポーターとして出演。普段は黒田へツッコミを入れていたが、自らボケ役に回ることもあった。黒田からのツッコミを受ける際に、ツッコミやすいよう自ら頭を出すなどの挙動を見せたため、共演者のシャンプーハットなどから「もはや芸人」と言われたこともある。『ナンボDEなんぼ』が黒田の不祥事に伴い打ち切られた後は『ANCHOR』一本になったこともあり、テレビで弾ける姿は特番を除いてほとんど見られなくなった。ただし時折『ANCHOR』17時台の一部コーナー(主に木曜の「木曜企画」「スゴいでプロ野球」など)で見せている。前述の『アナPod cafe』が唯一弾ける姿が見聴きすることができる機会となっている。
  • 若手時代には、競馬中継での実況陣にも加わっていた。しかし、中継の主力が杉本清馬場鉄志などのベテランアナウンサーであったことなどから、実際には年間に数レースしか実況の機会がなかった。また中堅となって以降は実況のみならず競馬番組に出演すること自体ほぼなくなった。
  • 関西テレビの地元・大阪が舞台の実写映画『プリンセス・トヨトミ』(2011年(平成23年)5月28日公開、東宝製作、同局が製作に協力)では、村西利恵とともに『スーパーニュースANCHOR』のスタジオから架空のニュースを伝えるシーンで登場。さらに、大阪府庁前で撮影されたシーンにも、一般人(「大阪国民」の1人)に扮してエキストラで出演している。

[編集] エピソード

[編集] かつらに関するエピソード

  • 関西テレビの入社試験の最終面接の際、面接官に「髪の毛を上げて、おでこを見せて」と言われた。その当時は毛はフサフサだった(センター分け)が、見せたところ面接官に「あーね…。」と言われてしまった[5]
  • 『アタック600』のキャスター時代に、桑原からの勧めで、かつらを付け始めた(桑原が『桑原征平粋も甘いも』でたびたび述懐)。
  • 関西テレビの社屋が西天満にあった頃、エレベーターで上岡龍太郎と会う事が多く、「君は男前だけど、髪の毛が少し薄くなってるのがちょっとな…」と言われた事があった。
  • 1998年(平成10年)1月7日、『クロスファイア』の放送の中で、自らがハゲであること、すなわち番組にかつらをつけて出演していたことを告白し、謝罪した[6]
前代未聞の、アナウンサーによるかつら着用のカミングアウトは、週刊誌アサヒ芸能スポーツ新聞、さらには一般紙に掲載されるなどして、大きな反響を呼んだ。更に深夜に放送されていた頃の『トリビアの泉 〜素晴らしきムダ知識〜』でも紹介され、これまで関西しか知られていなかった山本の知名度・人気は急激に上昇し、一躍全国区となった。
  • しかし、実際には、カミングアウト前に視聴者に、髪がかつらであることがわかった事件がある。
    それは1994年(平成6年)9月に開港した関西国際空港でのアタック600の開港記念報道における滑走路中継で、旅客機の風にあおられながら中継していた。アシスタントの女性アナウンサーの髪の毛が乱れているにも関わらず、彼の髪の毛だけは整髪料でガチガチに固めていたためまったくなびかなかった[7]
  • 若手時代もバラエティ番組で活躍していたが、『クロスファイア』での告白による大ブレイク後、「ハゲネタ」を武器にバラエティでさらなる活躍を見せるようになる。
「クラブカンテ~レ」(関西テレビが運営する会員クラブ)の宣伝CMでは、頭上を稲妻(CGによる合成)で光らせて「ハゲハゲビーム」という名の光線を発射している。
プライスバラエティ ナンボDEなんぼ』の「無駄ムダ調査隊」のコーナーでは、ムダブルーというキャラクターを担当していた。「ハゲハゲビーム」の前身「ツルピカフラッシュ」「ツルピカビーム」は、この番組で誕生したと言われる。
  • 他にも、かつらに関するエピソード、自称「ハゲネタ」「ヅラネタ」は数知れず、トミーズ雅をして「そのハゲを売ってくれ」と言わしめた。これらのネタは彼がパーソナリティを務めるポッドキャスト「ヤマヒロのアナ Pod Cafe」などで、本人自身が赤裸々に告白している。
  • 2005年(平成17年)には、自らの体験を元に、同じハゲの芸能人であるフットボールアワー岩尾望に対して、「これはきますね~」と将来を確実視する発言をしている。

[編集] FNNスーパーニュースANCHORでのエピソード

  • 共演している水曜コメンテーター青山繁晴(独立総合研究所社長)と意見が一致する場面が多い。
  • 天皇特例会見[8]における民主党の小沢一郎幹事長の対応について、2009年(平成21年)12月14日放送で「いろんな意味での政治利用にですね、使おうとたかが一政党の一幹事長ごときがですよ、勝手にそんなところにもし手を突っ込んで暗躍してたんだとしたら大変な問題ですよね」と発言。翌15日の冒頭にて「山本アナの身内に不幸があり、同15日と16日は休む」とのお知らせがあり、これが前日の発言の直後だったため一部のネットで憶測を呼んだが、水曜コメンテーターの青山が身内の不幸についてブログで詳細に明かしてこれらの憶測を完全否定[9]している。17日放送分より復帰した。
  • 2011年(平成23年)9月2日 - 4日にかけて紀伊半島が台風12号に端を発した豪雨災害で多大な被害を受けた中で、9月8日の放送では奈良県知事が本部長でもある災害対策本部を不在にして東京での会議に出席していた事実が判明したニュースを伝えた。その事実と知事の記者団への釈明に対し、奈良県在住の山本は「奈良県民の一人として怒りを通り越して呆れる」「残り3年半、この人に県民の生命・安全を委ねなければならないのは情けない」「(知事が『指揮者がいるところが指揮所だ』と発言した事について)典型的な役人上がりの言葉」「(発覚翌日の8日に予定をキャンセルして十津川村へ視察に訪れた事について)会議が重要だったと胸を張ったのならば、なぜ今日(8日)、急遽視察を入れたのか?会議が重要という時点で知事失格、(知事を)辞めて下さい!」と痛烈に批判した。
    • 2日後の10日から12日にかけて山本自ら十津川村や和歌山県那智勝浦町など被災地域を取材・リポートした。その中で全員死亡・行方不明となったとある一家の住む家があった場所を取材した時は言葉にならず絶句し、冥福を祈るように黙礼した。生リポートの際は先だっての奈良県知事だけでなく、関西広域連合(奈良県は不参加だが、和歌山県は参加)の動きが見受けられないことへの苦言も呈した。
  • 大阪市長の橋下徹が打ち出す政策のうち、一部の政策について番組でコメントした際、橋下からツイッターで猛反論されていた。2011年12月15日のアンカー18時台において市長就任直前の橋下との生対談の際、「環状線に乗ったらいろんな人から『あんまり橋下さんのこといじめないで』『ツイッターで叩かれて大変だね』などと声をかけられた」とツイッターを通じての反響の大きさに驚いていた。この生対談の冒頭で橋下は「メディアはあくまで権力チェックですからどんどんして下さい。ただ、これまで反論のツールがなかったからツイッターを使って反論しただけ」と述べている。同様に山本は「別に(橋下市長との)仲が悪くなったわけではない」とあくまで各政策について是々非々のコメントをしただけであることも併せて述べている。実際、対談では教育基本条例について、双方の考え方の違いから白熱した議論を展開していた。

[編集] 関西テレビ以外の番組への出演

『スーパーニュースANCHOR』のメインキャスター就任後には、同番組の生放送を控えているにもかかわらず、在阪ラジオ局の平日生ワイド番組へ何度も登場している。

また、2011年(平成23年)12月25日には、『おとなの駄菓子屋』(MBSラジオ)に出演。パーソナリティーの角淳一とトークを展開した。ちなみに角は、同年9月30日まで、『スーパーニュースANCHOR』の裏番組・『ちちんぷいぷい』(MBSテレビ)で総合司会を務めていた。

[編集] その他のエピソード

  • 機械類の操作が苦手で、ポッドキャストのパーソナリティを務めているにも関わらず、自身の番組がどのように配信されているのか初期の段階ではよくわかっていなかった。また、mixiに「アナ Pod Cafe」や「山本浩之(ヤマヒロ)」のコミュニティが存在していることを、リスナーからの投稿で知った。しかし山本は当時、mixiの仕組みを十分理解していなかった。
    • 後に、iPodは所持しているが、設定などは同僚に頼んでいることを「アナ Pod Cafe」で告白した。
    • また、会社のパソコンは、主にグルメ検索で使用していることも告白した。
  • 自身の初実況は、電話越しでの野球解説であった(ヤマヒロのアナ Pod cafe 第19回配信分より)。
  • アタック600キャスター時代、兵庫県で起こった事件の報道のたびに「どうして兵庫ばかりなんでしょうね」と執拗にコメントしていた。
  • 好きなお色気ヴィデオのシリーズは昼下がりの団地妻系(ヤマヒロのアナ Pod Cafe 2009年(平成21年)12月8日配信分より)。

[編集] 現在の出演番組

[編集] 過去の出演番組

[編集] 関連人物

芸能人

アナウンサー・DJ

  • 桑原征平 現・フリーアナでかつての先輩。山本アナがカツラをつけるにあたって相談を受け、その仲介をした相手でもある。2011年9月には、『桑原征平粋も甘いも』へゲストで出演(前述)。
  • 杉本清 現・フリーアナでかつての先輩。
  • 馬場鉄志 現・フリーアナでかつての先輩。山本アナに競馬実況を指導した。
  • 若田部克彦 山本アナの後輩。『ANCHOR』内でカツラ着用をカミングアウトし、2009年12月25日放送の同番組では、山本アナに「仲間が増えた」「でも、彼も相当悩んできたワケで」と言われた。
  • 藤本景子 山本アナの後輩。関テレのアナウンサーの中では「ヤマヒロのアナ Pod cafe」に最も多く出演している。
  • 柏木宏之 毎日放送アナウンサー。山本アナとともに落語講演会を行った。
  • 三代澤康司 朝日放送アナウンサー。山本アナとともに落語講演会を行った。
  • 森武史 読売テレビアナウンサー。山本アナとともに落語講演会を行った。その他には局の垣根を越えて「ヤマヒロのアナ Pod Cafe」にも出演した。
  • 上泉雄一 毎日放送アナウンサー。2009年6月には、『上泉雄一のええなぁ!』へ電話出演(前述)。
  • 佐藤啓 中京テレビ放送アナウンサー。山本アナ同様髪が薄く、当初カツラをつけて出演していたことがある(現在はカツラを取って出演)。放送エリア・系列ともに異なるため、お互い面識はない。
  • サニー・フランシス ニュースアンカー金曜日のコメンテーター。

[編集] 脚注

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  1. ^ 山本が1985年(昭和60年)に関西テレビに入社してから2006年(平成18年)に堀田篤が入社するまでの21年間、関西テレビに関西出身の男性アナウンサーが入社することはなかった(大半が関東出身)。
  2. ^ やしきたかじんなどのように、彼のことを本人のいない所でただ単にハゲと呼ぶ者もいる。
  3. ^ 「一発合格」であり、他局を受験していない。
  4. ^ この番組を引き受けるための条件として、『ナンボDEなんぼ』の続投を前提としていた(本人曰く、「報道だけじゃ息が詰まる。精神的なガス抜きの場(=ナンボDEなんぼ)は失いたくない」と言った)。
  5. ^ この最終面接には、三宅正治(現・フジテレビアナウンサー)も残っていた。
  6. ^ 山本は、「アナ Pod Cafe」にて、かつらをもっと早い時期にとりたかった、「自分には合わない」と感じていたが、「アタック600」担当中はとれなかったので、このタイミングになったと告白している。
  7. ^ 「(山本の)カツラが飛ぶか?それともディレクターの首が飛ぶか」「関空であわや頭が離陸!?」などと揶揄されたことがある。さらに、「ヤマヒロのアナ Pod Cafe」において、このエピソードに触れた際、本社に残った上司が部下に対して、「万一、山本のかつらが飛んだ場合、問い合わせの電話が殺到する可能性があるため、(番組を)もれなくウォッチしておくように。」と指示していた、と話している。
  8. ^ 「天皇陛下会見:小沢幹事長発言、さらに波紋」 毎日jp 2009年12月15日 [リンク切れ]
  9. ^ 実父の不幸のため、急きょ休みを取った最後に決めるのは誰か - ON THE ROAD 青山繁晴の道すがらエッセイ

[編集] 外部リンク

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