山本栄彦

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日本の旗 日本の政治家
山本栄彦
やまもと たかひこ
生年月日 1935年9月6日(78歳)
出生地 山梨県甲府市
出身校 明治大学
所属政党 無所属

Flag of Yamanashi Prefecture.svg 公選第15代 山梨県知事
当選回数 1回
任期 2003年2月17日 - 2007年2月16日

Flag of Kofu, Yamanashi.svg 第33-35代 山梨県甲府市長
当選回数 3回
任期 1991年4月27日 - 2002年12月19日
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山本 栄彦(やまもと たかひこ、1935年9月6日 - )は、日本政治家。第58代山梨県知事(平成15年2月~平成19年2月)、第33-35代山梨県甲府市(平成3年4月~平成14年12月)。

経歴[編集]

甲府市積翠寺温泉の旅館「要害」の跡継ぎに生まれる(伯父は元甲府市長の山本達雄)。山梨県立甲府第一高等学校から明治大学経営学部を卒業。県経営者協会勤務の後、家業の旅館業を継ぐ。

甲府市長時代[編集]

1991年4月に市民グループの公募に応じる形で甲府市長選挙に立候補、自民党の支援も得て初当選を果たし3期11年務める。この間、山梨県市長会長(1994年11月~1996年6月、2002年6月~2002年12月)・全国市長会副会長(1995年1月~1995年6月)・全国首長連携交流会会長(1997年4月~1999年5月)を歴任した。

就任後バブル景気の崩壊と重なり、また交通網の整備によるストロー現象と郊外化によるドーナツ化現象に悩まされることとなる。さらにアジア通貨危機を前後して甲府西武トポス甲府店が相次いで撤退。甲府中央商店街シャッター通りとなるなどこの時期の甲府市は負のイメージばかりが目立つようになり、2000年にはPHP研究所が発行する「THE21」の特集「全国自治体ランキング」において最下位の評価を受けてしまった(但しこれらは当時の天野建知事の経済に対する失政もある)。一方で苦しい財政状況でも市職員削減を行なわず、商店街活性化策のための補助を次々と打ち出したことから、自治労や地元商店街からは一定の評価を受けていた。

2003年山梨県知事選挙[編集]

2002年に天野建知事が次期選挙不出馬を表明し、山梨県知事選挙に出馬を表明。天野前知事をはじめ堀内光雄衆議院議員中島真人参議院議員といった自民党の国会議員や民主党輿石東参議院議員などの支援を受け、民主党と自由党から公認を得た山本は、前衆議院議員で元法務副大臣の横内正明や元警視総監井上幸彦など4人による選挙戦となった。現職知事や有力国会議員などの支援を受けた山本は開票率85%まで山梨県第3区を強固な地盤とし、元国会議員の強みを持っていた横内にリードを許す苦しい状況となったが、山本の地盤である甲府市の票が開くと伸び悩んだ横内に対して一気に逆転し、最終的に8,969票差の167,196票を得て当選した。当時市制を敷いていた7市のうち韮崎市を除く6市で山本が勝利し、特に甲府市では横内に対して18,316票(旧中道町上九一色村北部を含めると約2万票の差がついた)、甲府市に隣接している現在の笛吹市[1]では8,809票もの差をつけ、この2つの現市域が実質上山本当選をサポートしたといえる[2]

山梨県知事時代[編集]

2003年2月17日にに公選6人目の山梨県知事に就任すると早速天野県政時代に停滞していた事業の早期実現に尽力。まず賛否両論があった山梨県立博物館の建設については推進の立場であったため、当選後すぐに予算を取り付け、その後は事業が急ピッチで進展し2005年に開館。また、またバブル崩壊後事業が停滞していた甲府駅北口再開発事業についても山梨県立図書館NHK甲府放送局の北口移転を推進し、基本合意にこぎつけた。さらに中部横断自動車道について施行命令が出ていたものの着工の目途すら立たなかった増穂IC以南について一部区間を新直轄方式に移行することを国に陳情し続けた結果六郷ICから富沢IC間を新直轄方式に転換することで話が進み、2009年に双葉JCT以南の早期着工を果たしている。そのほか有料道路として建設したものの赤字で償還がおぼつかなかった清里高原有料道路を無料開放し、同様にに赤字体質かつ県内随一の天下り先として批判のあった県立フラワーセンターを民間委託化するなど率先した赤字対策や事業推進を行っている。

しかし、自民党系議員の多い山梨県議会において対立する民主党の支援を受けていた山本は実質少数与党であり、かつ官公庁からの出向組を排除して部長職以上の人事を県庁職員に統一したことが次第に裏目に出るようになる。まず山梨県立博物館同様に天野県政から受け継いだ峡北地区の最終処分場については規模を縮小したものの事業を推し進めようとして環境団体からオオタカの営巣地であることなどを理由に、また法定外目的税として推進したミネラルウォーター税についてもサントリーをはじめとする事業者や消費者から抗議が起こり、前者については明野最終処分場として事業が進められたものの後者については結局任期中に採決できなかった。また、富士山世界遺産暫定リスト入りの際も富士五湖を含めようとしたが、当初は開発規制の厳しい自然遺産であったことから周辺の観光業者や漁業関係者に影響が出ることが懸念されてしまう[3]。さらに膨大な県債発行残高があるのにもかかわらず多額の事業推進を行ったことを県議会から追及され、次第に窮地に陥いるようになる。

就任からわずか1年半の2004年7月読売新聞が発表した都道府県知事の支持率調査では支持率は36%と全国ワースト3位、不支持率も23%と全国ワースト6位になるなど県民からの支持が薄れる中で県知事選挙時に支援を行っていた山梨県教職員組合(山教組)による政治資金規正法違反が発覚し、この問題を大々的に取り扱っていた産経新聞から支援を受けた一人として紹介される一方で、山本は支援団体である山教組に対しての調査に慎重な姿勢をとらざるを得なかった。

2007年山梨県知事選挙[編集]

この状況で次の山梨県知事選挙の時期が迫り、2期目を目指し始動した山本であったが、この頃前の選挙に出馬した井上幸彦とその支援者有志により山本県政を検証する組織「ふるさと山梨を考える会」が発足。建設費120億円、維持費年5億円をかけながら有料入場者が低迷している山梨県立博物館や30年間の維持管理を含め230億円にものぼる山梨県立図書館、新直轄区間化により320億円[4]の県民負担が新たに発生した中部横断自動車道など主に財政面について問題視し、これらについて山本に回答を迫った[5]。これに対し山本は回答を行ったが「考える会」は明確な回答がなかったと判断し、次回県知事選挙は出馬しない意向を見せていた横内正明に出馬を要請する。横内は最初否定的態度をとったが、井上をはじめとする「考える会」の説得に加え前回も横内を支援した保坂武や赤池誠章小野次郎といった当時「小泉チルドレン」と呼ばれた国会議員が相次いで横内を支持したことから態度を一変し出馬を表明。前回同様実質横内との一騎撃ちとなった。

急遽出馬した横内に比べ準備期間に余裕があった山本であるが、前回の選挙で一定の票を得ていた井上が横内についたことから苦戦が予想され、さらに前回公認を受けた民主党からは上述の山教組の件を理由に党本部としての公認を見送られ[6]、前知事の天野は2005年に逝去、堀内も2005年の郵政国会で造反し一時期下野していたためかつての影響力を失なってしまうなど、頼みの支援が限られたことも山本にとってマイナスになってしまった。

県知事選挙の前哨戦と囁かれた2006年11月の韮崎市長選挙で山本が支援した現職の小野修一が横内の弟である横内公明に敗れ、焦りの色が見え始めた山本は選挙戦で1期4年における実績を強調する一方で不出馬を反故にした横内を批判したが、横内の「ほっとけない運動」により実績の諸問題が露呈し、横内批判もこれまでの甲州選挙よりマニフェストを重視するようになった有権者からは敬遠された。山本は新たな政策を提言するも態度を二転三転させるなど[7]陣営が混乱するうちに投票日を迎え、即日開票の結果187,955票と前回より2万票以上上積みしたものの横内に47,428票差をつけられて落選となった。とりわけ前回当選の要因となった地元・甲府市ではわずか1,685票しか差がつかず、さらに前回は山本が優勢であった富士吉田市山梨市などでも形勢が逆転。逆に前回横内が有利であった市町村のうち今回山本が有利であった所は当時の町長・小沢介三が鞍替えで支持を表明した南巨摩郡南部町のみであった[8]。なお、山梨県の公選知事は3期以上続けることが多く、現職知事が1期のみで落選したのは初代公選知事の吉江勝保以来である。

2月16日の任期満了により山梨県知事を退任し、現在は政治からは一定の距離を置き隠居生活を送っている。

脚注[編集]

  1. ^ 当時は石和町御坂町八代町一宮町境川村芦川村の旧東八代郡6町村と東山梨郡春日居町
  2. ^ 2003年山梨県知事選挙 得票表 - 山梨県選挙管理委員会
  3. ^ その後富士山は自然遺産よりは規制の緩い文化遺産として2013年富士山-信仰の対象と芸術の源泉の名称で富士五湖を含め登録された。
  4. ^ 約200億円とも。考える会が国負担の分を考慮したのかは不明。
  5. ^ 山梨県知事への提言
  6. ^ 輿石および民主党山梨県連は継続して支援。
  7. ^ 例えば2006年のヴァンフォーレ甲府ホーム最終戦の時の挨拶で「サッカー専用スタジアムの建設を推進する」と発言するが、その後ヴァンフォーレ甲府の支援団体から送られてきた公開質問状に対して「財政的に苦しい」と態度を変化させている。
  8. ^ 2007年山梨県知事選挙 得票表 - 山梨県選挙管理委員会

外部リンク[編集]

県知事時代は「山輝会」と呼ばれる後援会のサイト(アドレスは「www.sankikai.com」)があったが、2007年県知事選挙後に閉鎖し現存しない。


31-32代:
原忠三
日本の旗 甲府市
33-35代:1991.4.27 - 2002.12.19
36-代:
宮島雅展