山本寛 (アニメ演出家)

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山本 寛(やまもと ゆたか、1974年9月1日 - )はアニメーション演出家、アニメーション監督である。アニメーションDoに所属していた。現在アニメ制作会社Ordet代表取締役。大阪府出身。大阪教育大学附属高等学校池田校舎京都大学文学部卒。「ヤマカン」の愛称を持ち、アニメファンの間では『涼宮ハルヒの憂鬱』のエンディングダンスや、『らき☆すた』のオープニングダンスの仕掛け人として知られる。

同姓同名のアニメ制作スタッフ(『ぼくの地球を守って』『愛天使伝説ウェディングピーチ』などの制作進行を務めた人物)とは全くの別人である。

目次

[編集] 人物・経歴

[編集] 幼少期から学生時代

幼少時は大ファンであった藤子不二雄漫画作品に影響を受け、漫画家を目指す。その後、宮崎駿の『天空の城ラピュタ』に強い感銘を受け高校受験時にはアニメ業界に入る事を決めていたという[1]

京都大学ではアニメーション同好会に所属し、自身でメガホンを取った自主制作映画怨念戦隊ルサンチマン』を製作。これは庵野秀明らが学生時代に制作した『愛國戰隊大日本』のオマージュであり、寛自身にも「教科書」と言わしめる程の影響を与えた[1]。同作は細かな演出などで話題を集める。また大学の卒業論文の題材として『新世紀エヴァンゲリオン劇場版』『もののけ姫』を取り上げたアニメーション論を扱った。

[編集] 京都アニメーション入社と離脱

卒業後は京都アニメーション本社に入社。デジタル映像開発室勤務を経て、同社の大阪スタジオであるアニメーションDoに移籍。『POWER STONE』の演出でデビューし、『週刊ストーリーランド』の演出を手がけた事よりシンエイ動画のテレビシリーズで早くもその手腕が注目される。それ以降各話演出・脚本を主に手掛けるようになる。『ジャングルはいつもハレのちグゥ』を演出した際は独特の演出センスによって監督の水島努から武本康弘と共に仮想敵扱いされ、「あいつらより面白いものを作らないと監督としての立場が危ない」と言わしめた。これによりシンエイと京アニとの間に良い意味での対抗心が醸成されシリーズ終了まで互いに競争を繰り広げた結果、作品の完成度が底上げされたと言える。その山本も、水島が演出し大塚正実らが作画を担当した『ジャングルはいつもハレのちグゥ デラックス』のエンディングである「ファンファン&シャウト」に強い影響を受け、『涼宮ハルヒの憂鬱』のエンディングを作るキッカケを得た。

『らき☆すた』ではアニメ初監督に就任するも、「監督において、まだその域に達していない」との社内判断[2]から第4話をもって降板(第5話からは武本が担当)。そして2007年6月23日をもってアニメーションDoを退社し、フリーとなる。退社前に制作された一部エピソードに関しては、降板後も脚本や絵コンテを担当した。なお『らき☆すた』第23話でも脚本を手がけているがエンディングで「修正 待田堂子」と横にクレジットされており彼の脚本そのものではない(Do退職前に脚本が作成されていた等、理由は考えられるが現在では経緯は不明)。

[編集] Ordet設立

2008年、「月刊ニュータイプ」誌上にて大阪市内にアニメ制作会社・Ordet[3]を設立したことを発表、設立後はひとまずハルフィルムメーカーA-1 Picturesからの仕事を多く手がけている。

最近は『らき☆すた』降板の際に京アニ社が用いた「その域に達していない」というフレーズは山本を端的に認知させるのに便利であることから、フリー~Ordet時代に彼が手がけた作品のセリフやプロモーションには頻繁にこのフレーズが用いられる傾向がある。その殆どはネタであるので留意されたい。『ケメコデラックス!』オープニング監督を降板した際には、監督である水島がブログで「山本さんの枕詞」と、冗談めかして書いている[4]

  • 自らが絵コンテ・演出を務めた『撲殺天使ドクロちゃん2』では主人公に「まだその域に達していなくてすいません」と言った趣旨の自虐ギャグ的な発言をさせているが、これは強制ではなく自主的な判断(水島談)によるものである。
  • 『かんなぎらじお』第1回ではMCを努めるが、第2回で「MCとしてその域に達していないと判断したため――」とのナレーションが入り、MCを“降板”した。
  • かんなぎ』第5幕では山本本人を模したキャラを自ら演じ、「ナギ様のお陰で監督としてその域に達しました」と発言している。
  • 2008年11月16日のかんなぎまつりにて「『喰霊 -零-』と『鉄のラインバレル』は良い作品で毎週見ている、らき☆すたOVAは見ていない。」と語っている。また、青葉つぐみ役の沢城みゆきに『社会人の域に達していない』とツッコミを受けた。

[編集] 業界内親交

水島監督作品である『おおきく振りかぶって』の後期エンディング絵コンテ・演出を担当しており、同じく水島監督作品である『撲殺天使ドクロちゃん2』の演出に参加するなど両者の親交は現在も続いている。

ライバル視している演出家として、シンエイ動画に所属している高橋渉と、J.C.STAFFを中心に活躍している長井龍雪を挙げている。高橋については「自分の演出にない、独特の空気感を持っている」と評価し[5]、長井については「『とらドラ!』の1話は演出や編集のあちこちが気になり、くやしく感じてしまった」と語っている[6]。他には細田守原恵一新海誠の名前を挙げており、理由としては自身を無個性と分析しているため、個性を持っている作家を好むと語っている[5]

他に、作曲家の神前暁(『涼宮ハルヒの憂鬱』音楽担当)は高校・大学の同期生である[7]

[編集] 影響を受けたアニメ監督

「アニメ作品を見る場合はどうしても作家に寄るもの」(作家主義)と述べており自身が好む監督に宮崎駿、庵野秀明の名前を挙げている[1]。「『エヴァ』はアニメにおけるヌーヴェルヴァーグである」という賞賛と持論を展開しながらも[5]、同作には「アニメ史的に積み残したものがある」として「ポストエヴァ」の作品を意識的に作っていくという態度を取っている[8]

また、影響を受けたTVドラマに『ママはアイドル』、『パパはニュースキャスター』を挙げている。

[編集] プライベート

関西の映像サークル「スタジオ枯山水」にも所属しており、自主制作映画にも関わっているが最近は本業が忙しいため一歩引いている様子。同サークルのホームページには「妄想ノオト」という彼が持つコーナーがあり、そこでは歯に衣着せぬ映画評論を行なっていた[9]。「アニメには批評が必要」というのが持論で「妄想ノオト」は出張版として「オトナアニメvol.6」より復活、その後のインタビューでも主張を続けている[10][8]。再開時前後のインタビューで「妄想ノオト」について問われた際は、「(自分が)わかってない事がわかった」とコメントした[1]

アイドル好きでも知られ、自身が演出を手掛けた『涼宮ハルヒの憂鬱』エンディング『ハレ晴レユカイ』にもその影響が垣間見える。『涼宮ハルヒの憂鬱』でのアイドル研究部員「山根」(アニメオリジナルキャラ)は京アニサイト制作日誌5月11日の発言および外観上の特徴から彼がモデルと推定される。他にも、『涼宮ハルヒの憂鬱』第1話「朝比奈ミクルの冒険」で用いられた強烈な電波ソング恋のミクル伝説』は作詞を手掛けている。また『涼宮ハルヒの憂鬱』の番組CMでは、電車の乗客役で出演している。寛の特徴的な演出であるOPやEDでダンスを踊らせるのもこの影響であるが、この演出は『かんなぎ』で最後にすると語っている[11]

バンドドラムを担当していたことがあり、これが『涼宮ハルヒの憂鬱』第12話ENOZ演奏シーンでのドラム演奏描写への異常なこだわりに繋がっている。高校時代は神前とともに吹奏楽部に所属しており「史上もっとも偉大なOB(C)鳥坂先輩」として君臨しているとの噂もある。クラシック音楽ファンであり『涼宮ハルヒの憂鬱』劇中でのクラシック音楽選曲には彼が一枚噛んでいる。

2008年11月に結婚した事が、「かんなぎまつり」にて報告された。

自身の参加したアニメに多数関わった声優茅原実里のファンでもある。

[編集] アニメーション

[編集] 京都アニメーション・アニメーションDo

[編集] フリー

[編集] Ordet設立後

[編集] アニメーション外

[編集] 小説

  • 連載
    • アインザッツ(アニメディア)

[編集] その他

  • 連載
    • 妄想ノォト出張版(洋泉社刊、オトナアニメ)
  • 2009年GEISAI審査員

[編集] 脚注

  1. ^ a b c d 「オトナアニメvol.5」山本寛INTERVIEW
  2. ^ TVアニメーション作品「らき☆すた」監督交代のお知らせ(京都アニメーション)(Internet Archive)
  3. ^ "Ordet"という社名は「オース」と読む。デンマークの映画作家カール・テオドア・ドライヤーの作品『奇跡』のデンマーク語題名「Ordet」に由来する。
  4. ^ [1]
  5. ^ a b c 「オトナアニメvol.6」山本寛INTERVIEW
  6. ^メガミマガジン」2009年03月号、山本寛×新房昭之スペシャル対談
  7. ^ ちなみに京都アニメーションに所属するマネージャー村元克彦(『涼宮ハルヒの憂鬱』第4・6話脚本)も大学の同期生で、前述の自主映画に参加している。
  8. ^ a b 「季報 唯物論研究 104号」”アニメ批評家はまだ生まれていない”
  9. ^ 2007年4月末に寛自身の多忙を理由にホームページを縮小、閉鎖した。その後2007年8月に再開した。
  10. ^ 「アニメージュ」2008年7月号
  11. ^月刊Newtype」 2008年11月号、監督インタビュー

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク