山崎行太郎
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山崎 行太郎(やまざき こうたろう、1947年 - )は、日本の文芸評論家。鹿児島県生まれ。
鹿児島県立甲南高等学校、慶應義塾大学文学部哲学科卒。同大学院文学研究科修了。小林秀雄、江藤淳、柄谷行人らの影響を受け「イデオロギー批評」や「芸術主義的テクスト論」などを排し、ニーチェ、ドストエフスキー、ハイデガー、ピテカントロプスなどの影響を受けた「存在論的批評」を主張する。東京工業大学講師を経て、現在、埼玉大学、日本大学芸術学部兼任講師。
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[編集] 来歴
- 大学の先輩にあたる江藤淳に師事し、鎌倉の江藤邸における新年会の常連客となり、同じく新年会の参加者となった福田和也と共に「江藤淳を囲む勉強会」を組織する[要出典]。小林秀雄、江藤淳の系譜につらなる「保守反動系批評家」を目指す。一方で、保守反動を自称しながら、池田浩士・ 栗原幸夫らが主宰する「文学史を読みかえる」研究会に参加、連合赤軍事件に肯定的な評価を行なうなどの側面も持つ。
- 1991年1月、湾岸戦争に際し、柄谷行人らが中心となった「文学者の反戦声明」に署名した。
- 1995年11月「憂国忌・25年記念追悼式」で「三島由紀夫の『檄』を読み直す」を講演。これを契機に「憂国忌」発起人の一人となる。
- 2004年12月、民間シンクタンク平河総合戦略研究所設立に参加。常務理事となるが、小泉構造改革の評価をめぐって内部で対立し、脱会する。平河総研のメールマガジン『甦れ、美しい日本』では「ケインズとマルクス」を連載し、ミルトン・フリードマン、ロバート・ルーカス等の新古典派経済学、新自由主義経済理論を哲学を援用して批判した。
[編集] 批評活動
- 大学院修了後、友人の岳真也らと同人雑誌『蒼い共和国』を創刊。その延長で現在も岳真也を中心に『21世紀文学』を刊行している。同誌で山崎は三田誠広・笹倉明とともに編集委員。
- 高橋昌男編集長時代の『三田文学』に三島由紀夫論や小林秀雄論を発表する。その後、柄谷行人が『思潮』(『批評空間』の前身)で『三田文学』に発表した「ベルクソンのパラドックス―小林秀雄と大岡昇平」を絶賛したことから、柄谷の了解を得て処女作『小林秀雄とベルクソン』のオビに推薦文として使う。また、「小林秀雄と理論物理学」というテーマを、小林秀雄研究者としてはじめて提起した。[要出典]。
- 『海燕』『すばる』『文學界』『群像』などにも作品を発表。坂上弘編集長時代の『三田文学』に長編評論「佐藤春夫論」を連載。今も『三田文学』連載中の「季刊・文藝時評」は山崎が企画・立案。月刊誌『自由』に「平成・文壇・血風録」、『月刊日本』に「月刊・文芸時評」を連載。また、東京新聞の「大波小波」、産経新聞の「斜断機」といった匿名コラムも担当。
- 現在、日大芸術学部教授で、ドストエフスキー研究家の清水正との対談「現在進行形のドストエフスキー」に取り組んでいるが、一部は「江古田文学」に掲載済み。「日本保守主義研究会」(岩田温代表)の機関紙で、月刊誌の「澪標」(編集長早瀬善彦)には、「丸山真男と小林秀雄」を連載中。
[編集] 論争家
- 『週刊読書人』や『図書新聞』の文芸時評を担当した際には、絓秀実や渡部直己などと論争を行なう。また、産経新聞の斜断機が署名入り入りコラムになって以降に松本健一や大西巨人を挑発し、紙面で論争となった。
- 大西巨人との論争では、江藤淳の自殺直後の『産経新聞』(2000年1月15日)「斜断機」にて、江藤淳がかつて博士号をとった際に、学者のほうが文学者より偉い、と言ったと柄谷行人との対談で述べ、江藤を批判した大西を、「生前に批判すればよかった」と批判。さらに大西について「海軍軍人の家系である大西が、同じ海軍一家である江藤淳に対しライバル意識を剥き出しにして罵倒した」と主張。大西巨人の息子である大西赤人の反論によると大西家は海軍軍人の家系ではない。山崎は事実誤認であったことは認めたが、謝罪せず論争を打ち切っている。また江藤はそのようなことを言っていないと山崎は『なつかしい本の話』に依拠して論じた。
- 2007年11月、「沖縄集団自決裁判」をめぐって大江健三郎の『沖縄ノート』を擁護し、『ある神話の背景』における曽野綾子が『沖縄ノート』の「罪の巨塊」を「罪の巨魂(魁)」と誤記・誤読したことにより、この問題が始まったと主張し(「保守論壇の『沖縄集団自決裁判』騒動に異議あり!!!」『月刊日本』2008年2月号)、、それに対して批判・反論した池田信夫などと互いのブログ内で論争となる[1]。この「沖縄集団自決裁判」をめぐっては佐藤優とも対談(「憂うべき保守思想の劣化」『月刊日本』2008年3月号)。また琉球新報にも「保守論壇を憂う」を寄稿。さらにこの「沖縄集団自決裁判」をめぐっては、小林よしのりや原告側弁護士の一人、徳永信一とも論争になっている[要出典]。「沖縄集団自決裁判」では佐藤優らと共に、小林よしのりに対する猛烈な批判を行った。小林は、山崎が「イタイ人」「イタいネット魔」であると発言。その後も山崎は、『週刊金曜日』『琉球新報』『部落解放』等で小林批判を幾度となく展開。小林も「誇りある沖縄へ」で反論をするが、その後は、論争の相手が佐藤優に移行したこともあり、山崎に対しては沈黙している。
- 「青色発光ダイオード」問題では、中村修二による共同研究成果を「独り占め」として口をすぼめて批判した。
[編集] 交友関係
- 宮内勝典(作家):高校の二年先輩に当たる。高校時代から面識あり。
- 岳真也(作家):学生時代からの知人。
- 宮崎正弘(保守派中国ウォッチャー):憂国忌を通じて面識を持つ。
- 清水正(日本大学芸術学部教授):「清水正と山崎行太郎の『文藝GG放談』」をホームページで公開。
- 佐藤優(作家、元外務事務官…懲役刑確定のため失職):「沖縄集団自決裁判」をめぐって『月刊日本』で対談。以後、親密な関係。
- 岩田温(拓殖大学客員教授):「日本保守主義研究会」代表。若手保守派の論客。「毒蛇山荘」で合宿。山崎が岩田らの機関紙「澪標」に連載している。
[編集] 著作
- 『小林秀雄とベルクソン――「感想」を読む』(彩流社, 1991年/増補版, 1997年)
- 『小説三島由紀夫事件』(四谷ラウンド, 2000年)
[編集] 脚注
[編集] 外部リンク
- メールマガジン