山崎方代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
右左口宿にある生家跡地の記念歌碑(2011年4月撮影)

山崎 方代(やまざき ほうだい、1914年大正3年)11月1日1985年昭和60年)8月19日)は、日本の歌人

略歴[編集]

故郷の中道町。右左口峠付近から北西望 正面奥は八ヶ岳

山梨県東八代郡右左口村(旧中道町、現甲府市)に生まれる。次男。右左口村の青年団に加わり、「一輪」の名前で文芸部雑誌「ふたば」や「あしかび」「一路」「水甕」などの結社誌に詩や短歌を発表し、地方紙の峡中日報や山梨日日新聞の文芸欄へも投稿する。1929年(昭和4年)には右左口尋常小学校(現中道南小学校)を卒業。1937年(昭和12年)には横浜へ移り、職を転する。

1941年(昭和16年)7月には臨時招集され、千葉県の陸軍東部第77部隊へ入隊する。翌年には野戦高射砲第33大隊一等兵として出征し、南方方面で戦う。シンガポール、ジャワ島、ティモール島と転戦し、ティモール島クーパンの闘いで負傷し、右目を失明する。野戦病院で終戦を迎える。

1946年(昭和21年)6月には復員し、傷痍軍人の職業訓練で習った靴の修理をしつつ各地を放浪する。山下陸奥の歌誌「一路」へ投稿して文芸活動も再開し、同士と「一路」を脱退し、1948年10月には「工人」を創刊する。また、1954年(昭和29年)創刊の「黄」や、1949年結成の「泥の会」の同人誌「泥」などへ短歌を寄せている。1955年(昭和30年)には山上社から第一歌集『方代』を発表。1971年(昭和46年)には「寒暑」を創刊。1975年(昭和50年)には「短歌」昭和49年9月号掲載「めし」で第一回短歌愛読者賞受賞。1978年創刊の季刊短歌雑誌「うた」へも投稿。晩年は鎌倉で過ごし、1985年(昭和60年)8月19日、肺がんによる心不全のため71歳で死去した。

1988年(昭和63年)、親交のあった大下一真らによって研究誌「方代研究」が創刊される。また、大下らの手によって、毎年9月の第1土曜日、瑞泉寺で方代忌が営まれている。

特定の結社に属さず、身近な題材を口語短歌で詠んだ。鎌倉に住む歌人吉野秀雄唐木順三とも交友があり、しばしば土産物を携えて訪ねたという。関係資料は山梨県甲府市の山梨県立文学館に所蔵されており、常設展でも展示されている。また、生家跡地には中道往還の右左口宿や円楽寺など周辺の歴史的景観と合わせた観光拠点とするため、歌碑の移設や東屋を設置する計画が出されている。

著作[編集]

  • 第一歌集『方代』 山上社、1955年
  • 合同歌集『現代』 短歌新聞社、1965年
  • 第二歌集『右左口』 短歌新聞社、1974年
文庫版 短歌新聞社〈短歌新聞社文庫〉、1992年
  • 第三歌集『こおろぎ』 短歌新聞社、1980年
文庫版 短歌新聞社〈短歌新聞社文庫〉、1992年
  • 選歌集『首』 短歌新聞社〈現代歌人叢書〉、1981年
  • 随筆集『青じその花』 かまくら春秋社、1981年
  • 第四歌集『迦葉』 不識書院、1985年
文庫版 短歌新聞社〈短歌新聞社文庫〉、2003年
  • 選歌集『こんなもんじゃ』 文藝春秋社、2003年 装画:東海林さだお
  • 随筆集『もしもし山崎方代ですが』 かまくら春秋社、2004年

評伝・研究書[編集]

  • 坂出裕子 『道化の孤独 歌人山崎方代』 不識書院、1998年
  • 大下一真 『山崎方代のうた』 短歌新聞社、2003年
  • 田澤拓也 『無用の達人 歌人山崎方代伝』 角川書店、2003年
文庫版 角川学芸出版〈角川ソフィア文庫〉、2009年
  • 阿木津英 『方代を読む』 現代短歌社、2012年

参考文献[編集]

  • 『山崎方代展』 山梨県立文学館、1994年
  • 『資料と研究 第9輯』 山梨県立文学館、2004年

関連文献[編集]

  • 大下一真・湯川晃敏 『方代さんの歌をたずねて-芦川・右左口編』 光村印刷、2007年
  • 大下一真・湯川晃敏 『方代さんの歌をたずねて-甲州篇』 光村印刷、2008年
  • 大下一真・湯川晃敏 『方代さんの歌をたずねて-放浪篇』 光村印刷、2010年

外部リンク[編集]