山崎三四造

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山崎 三四造 (やまざき みょうぞう、1931年 - )は、アマチュア考古学者・歴史研究家。縄文時代の生活を再現した第一人者として知られる。

目次

[編集] 来歴・人物

三重県一志郡一志町(現・津市)出身。山崎家21代当主として生まれる(祖先は徳川吉宗の出城の殿様)。 山九に在籍中は遺跡の発掘や土器の復元を父と共に行い1986年に退職、退職金を元手に、縄文式竪穴住居を建設し、縄文時代の生活の再現を開始する。1989年には弥生式竪穴住居を、縄文式竪穴住居の脇に建設する。その生活が徐々に有名となり、雑誌、新聞、ラジオにテレビ、それも全国放送や海外のテレビ番組にまで紹介される有名人になった。1999年には自身がモデルになったともいわれる、しりあがり寿のマンガ『ジョーモン先生』が単行本に収録され注目を浴びる。2001年に縄文博物館を、竪穴住居の脇にオープン(詳細は以下の外部リンク参照)。三重県のまんなかまちかど博物館に認定される。 2005年に縄文人生活引退を表明し、2006年に縄文時代の生活の再現を終了。これまでの暮らしをまとめるため、データ資料整理を続ける等の日々を送っている。

[編集] エピソード

  • テレビ番組に呼ばれて東海道新幹線に乗った時に、隣の人がいつも席を移ってしまう(『アッコにおまかせ!』に出演する為、名古屋まで近鉄特急に乗った時、横に座っていた男性が毛皮を着てヒゲ伸び放題の姿を見て、サッと立ち上がって離れて行ったことがある)ので、しまいに車掌に言われて普通のかっこうで乗車、目的地のひとつ手前の駅で“縄文姿”に着替えた。
  • 1992年参議院選挙の際、再選を目指す西川きよしの応援演説を縄文人姿で行った時に、ターザンになろうとしてツタにつかまったところツタが切れて、地面に落下、指が曲がるほどの重傷を負う。
  • オウム真理教麻原彰晃と間違えられたことがある。
  • 怪答紳士」に出演した際「何年後かに縄文人に戻る」と発言。

[編集] 自身がモデルになった作品

[編集] 外部リンク

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