山口県立徳山高等学校

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山口県立徳山高等学校
地図北緯34度3分35.3秒 東経131度48分33.3秒 / 北緯34.059806度 東経131.809250度 / 34.059806; 131.809250座標: 北緯34度3分35.3秒 東経131度48分33.3秒 / 北緯34.059806度 東経131.809250度 / 34.059806; 131.809250
過去の名称 山口県立徳山中学校
山口県立徳山高等学校
山口県立徳山西高等学校
国公私立の別 公立学校(県立)
設置者 山口県の旗山口県
学区 全県一学区
併合学校 山口県立徳山高等女学校
山口県立徳山女子高等学校
山口県立徳山東高等学校
校訓 「真・健・和」
 (真実・健全・和気)
設立年月日 1880年明治13年)
共学・別学 男女共学
分校 徳山北分校
鹿野分校
課程 全日制課程
定時制課程
単位制・学年制 学年制
設置学科 【全日制課程】
 普通科
 理数科
【定時制課程】
 普通科
学期 2学期制
学校コード D135210000121 ウィキデータを編集
高校コード 35119K
所在地 745-0061
山口県周南市鐘楼町2-50
外部リンク 公式ウェブサイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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山口県立徳山高等学校(やまぐちけんりつとくやまこうとうがっこう:Yamaguchi Prefectural Tokuyama High School)は、山口県周南市鐘楼町に所在する公立高等学校。通称は「徳高」(とっこう)。

概要[編集]

前身は旧制徳山中学校ならびに旧制徳山高等女学校。「文武両道」を校風としている。学校の伝統として、「オガタマの木」(‘‘かぐわしく世を支える人物たれ’’)および「耿光(こうこう)の碑」(‘‘明らかな光、徳盛んなる様’’)がある。また校内には学食売店もある。 市街地に位置しているため少し離れた所に第2運動場(野球場)があったり、部活動によっては学校施設以外の場所を使用している部もある。

2010年文部科学省からスーパーサイエンスハイスクール(SSH)に指定。2022年現在、第3期(令和6年度まで)として継続している。

個々の学力向上と進路実現に向けて、2000年度からは2学期制を導入している。 総合的な学習の時間には魁(さきがけ)講座という進路指導を行っている。

設置学科[編集]

  • 全日制普通科(定員260名)
  • 全日制理数科(定員40名)
  • 定時制普通科(定員40名:4年制・場合によっては3年)
全日制普通科
2年次からコース制を採り、文系理系に分かれる。
全日制理数科
山口県立岩国高等学校山口県立山口高等学校と合同でセミナー合宿を行ったり、大学講義を受けたりすることが出来る。また、1、2年次生は各自で課題研究、2年次は島田川の水質調査などを行う。

学校歌[編集]

山口県立徳山高等学校 校歌
作詞:高野辰之[1]、作曲:信時潔

三番は歌詞の内容が尊王思想皇国史観が強く反映されたものであった為、戦後廃止された。 また過去には四番、五番もあったが現在は失われている。その他に、応援歌「山は岐山」と生徒歌「熱い血潮」があり、野球応援をはじめとした各種学校行事で歌われる。

交通[編集]

通学生は、電車・バス・自転車・徒歩等、様々な方法で登校できる。

自転車通学は基本的に制限はないが、学校の許可が必要である。しかし、電車に乗って駅から自転車に乗って通学することは事情(部活動等で移動が必要など)がない限り駅の駐輪場のスペースの関係により禁止になっている。

同窓会[編集]

同窓会は、応援歌に由来し「岐山会」という。岐山とは、徳山高校の北側に位置する山の名前である(別名:金剛山)。 職域別、地域別にも同窓会が置かれている。

沿革[編集]

前史

  • 1785年天明5年)- 徳山藩第7代藩主毛利就馴が藩学「鳴鳳館」を創立。
  • 1852年嘉永5年)- 藩学・鳴鳳館を「興譲館」に改称。
  • 1871年明治4年)- 徳山藩の山口藩への合併に伴い、興譲館を「山口県立山口中学校徳山部小学」に改称。
  • 1872年明治5年)- 山口県立山口中学校徳山部小学を廃し、「桜馬場小学」創設。
  • 1873年明治6年)- 旧徳山藩士族子弟のために「小学義塾」開校。
  • 1875年明治8年)- 桜馬場小学に「員外塾」(後に、「岐陽学舎」に改称)を付設。
  • 1877年明治10年)- 桜馬場小学・岐陽学舎を合併し、「岐陽小学」に改称。


旧制山口県立徳山中学校・山口県立徳山西高等学校

  • 1880年明治13年)6月 - 山口県5中学の一つとして、「山口県都濃郡徳山中学校」開校。《創立年
  • 1884年明治17年)2月 - 「山口県立山口中学校徳山分校」に改称。
  • 1887年明治20年)3月 - 「徳山高等小学校別科」に改称。
  • 1887年明治20年)12月 - 「山口県都濃郡徳山学校」に改称。
  • 1890年明治23年)4月 - 県立学校の私立防長教育会移管により「私立徳山学校」に改称。
  • 1897年明治30年)9月 - 県立移管により「山口県尋常中学校徳山分校」に改称。
  • 1899年明治32年)9月 - 「山口県山口中学校徳山分校」に改称。
  • 1900年明治33年)4月 - 「山口県徳山中学校」に改称。校地を鐘楼丁岡田原(現校地)に定める。
  • 1901年明治34年)4月 - 第1回記念運動会(現、徳高大運動会)を開催。
  • 1901年明治34年)5月 - 「山口県立徳山中学校」に改称。
  • 1902年明治35年)4月 - 補習科を設置。
  • 1919年大正8年)3月 - 補習科を廃止。
  • 1945年昭和20年)7月 - 第2回徳山空襲で校舎全焼(記念図書館、倉庫のみ残る)。
  • 1947年(昭和22年)4月1日
    • 学制改革(6・3制の実施)により、旧制中学校の募集を停止の上、新制中学校を併設(以下・併設中学校)
      • 同年3月時点で旧制中学1・2年生の生徒を新制中学2・3年として収容。
  • 1948年昭和23年)
    • 3月31日 - 旧制山口県立徳山中学校が廃止される。
    • 4月1日 - 学制改革(6・3・3制の実施)により「山口県立徳山高等学校」(新制高等学校・男子校)となる。併設中学校を継承。
      • 併設中学校・他の新制中学校の卒業生を新制高校1年生、旧制中学4年生を新制高校2年生、旧制中学卒業生の希望者を新制高校3年生として収容。
    • 9月1日 - 定時制課程を併設。
  • 1949年昭和24年)
    • 3月31日 - 最後の卒業生[2]を送り出し、旧制中学校・併設新制中学校を廃止。
    • 4月1日 - 山口県立徳山高等学校を「山口県立徳山西高等学校」に改称。
      • 全日制普通科、定時制普通科を設置。

旧制山口県立徳山高等女学校・山口県立徳山東高等学校

  • 1911年明治45年)4月 - 「都濃郡立都濃高等女学校」開校。
  • 1920年大正9年)11月 - 「山口県都濃高等女学校」に改称。
  • 1922年大正11年)4月 - 補習科を設置。
  • 1923年大正12年)4月 - 「山口県立徳山高等女学校」に改称。
  • 1924年大正13年)3月 - 補習科を廃止。
  • 1936年昭和11年)4月 - 補習科を復活。
  • 1943年昭和18年)4月 - 補習科を廃止し、専攻科を設置。
  • 1945年昭和20年)7月 - 第2回徳山空襲で校舎全焼(農業用倉庫のみ残る)。
  • 1947年(昭和22年)4月1日
    • 学制改革(6・3制の実施)により、旧制高等女学校の募集を停止の上、新制中学校を併設(以下・併設中学校)
  • 1948年昭和23年)
    • 3月31日 - 旧制山口県立徳山高等女学校が廃止される。
    • 4月1日 - 学制改革(6・3・3制の実施)により「山口県立徳山女子高等学校」(新制高等学校・女子校)となる。
  • 1949年昭和24年)
    • 3月31日 - 併設新制中学校を廃止。
    • 4月1日 - 山口県立徳山女子高等学校を「山口県立徳山東高等学校」に改称。
      • 全日制普通科を設置。

山口県立徳山高等学校

学校行事・学生生活[編集]

徳高二大行事[編集]

徳山高校の二大行事である「大運動会」と「徳高祭(文化祭)」は企画・立案から実行委員を中心に、生徒主体の運営が行われる。

徳高大運動会
原則として、9月第1土曜日に開催される。赤・白・黄・青の4つの組に分かれ、各種競技を競う旧制中学時代から続く伝統行事。3年生の学年演目として、男子生徒は証城寺の狸囃子を踊り、女子生徒は市民ばやしを踊ることが伝統となっている。
徳高祭(文化祭)
毎年9月の第2日曜日とその前日の土曜日に開催される。文化部の発表をはじめ、各クラスが展示・企画・模擬店を行う。
* 合唱コンクール  - クラス対抗。学年予選を勝ち抜いたクラスが徳高祭当日の本戦に出場する。
* ぶちかまし討論会 - ディベート大会。学年に関係なくクラス対抗。
* よろずコンテスト - 各種のミスター・ミスを決めるイベント。
* 文化部発表 - 文芸部による文芸誌「耿光」の販売や、科学部による七宝焼きなどが伝統的に行われる。

その他[編集]

  • クラスマッチ - 年に2回、夏休みと春休みの直前に行われる。クラス全員が出場して各種目のスポーツで競い、学年を隔てず優勝を目指す。
  • マラソン大会 - かつては、毎年11月に受験生である3年生を含めて全校生徒が男子12km、女子7kmの山道のコースでの開催だったが、2018年度から受験生である3年生を除いた1・2年生で周南市陸上競技場周辺を男子8km、女子5kmとコースを変更して開催している。

服装[編集]

近年の価値観の多様化や気候の変化を踏まえて改定が行われた。制服の移行期間の規定が削除されたほか、男子冬服、男子夏服、女子冬服、女子夏服としていた制服の規定が4種類の制服A~Dとなった。


旧制服(~2022年7月)

  • 冬服…男子は、詰襟学生服。女子は、冬用の紺のセーラー服(他に、女子用の学校指定のカーディガンがある)。

新制服(2022年7月~)

A 黒の詰め襟標準学生服。ズボンはノータック又はワンタックの標準ズボン。

B 学校規定の開襟シャツ又はカッターシャツ。ズボンはAと同じ。

C 紺のセーラー服。

D 白の長袖又は半袖のセーラー服。

生徒会活動・部活動など[編集]

年間5回行われる定期テストの最終日には習慣的に生徒会が企画するボランティア清掃活動が行われる。

部活動[編集]

部活動では、運動部が14部、文化部が18部あり、各部ともに県内外の大会で優秀な成績を修めている。2005年度山口県高等学校選手権大会(運動部)では、県内の学校別総合成績第2位で、スポーツも盛んである。中でも女子ハンドボール部は全国高等学校総合体育大会(インターハイ)2度の準優勝に輝いている。硬式野球部も1987年(昭和62年)の第69回全国高等学校野球選手権大会(夏の甲子園)への出場経験もある。

運動部

  • 陸上競技
  • 登山
  • バレーボール
  • バスケットボール
  • ソフトボール
  • ハンドボール
  • サッカー
  • 卓球
  • ソフトテニス
  • バドミントン
  • 柔道
  • 剣道
  • 弓道
  • 硬式野球(男)

文化部

  • 放送
  • 文芸
  • 吹奏楽
  • 軽音楽
  • 美術
  • 書道
  • ESS
  • 地歴
  • 科学(化学班,物理班,生物班,数学班に分かれている。)
  • 被服
  • 家事
  • 茶道
  • 華道
  • JRC
  • 邦楽
  • 棋道(囲碁・将棋より改名)

有志活動[編集]

  • 応援団
  • チアリーダー

著名な出身者[編集]

政界

法曹界

実業界

学界

文学、芸術

スポーツ

マスコミ

その他

参考文献[編集]

  • 徳原啓『徳高物語』鳳鳴館 1978年

脚注[編集]

  1. ^ 高野辰之 作詞一覧表” (PDF). 長野県中野市. 2015年1月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年1月6日閲覧。
  2. ^ 1946年(昭和21年)4月に旧制中学校に入学した者
  3. ^ 山口・徳山高が初優勝 第21回「俳句甲子園」”. 産経新聞 (2018年8月21日). 2019年9月19日閲覧。
  4. ^ “最高裁判所裁判官国民審査広報”. 北海道選挙管理委員会. (2017年10月). http://www.pref.hokkaido.lg.jp/_/hs/H29shuugi/sinsakouhou.pdf 2020年5月6日閲覧。 
  5. ^ 第10回文化講演会 周南文化協会 周南市ゆかりの人プロフィール、令和2年2月8日。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]