山口智
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
| 山口 智 | ||
|---|---|---|
| 名前 | ||
| 愛称 | サトシ | |
| カタカナ | ヤマグチ サトシ | |
| ラテン文字 | YAMAGUCHI Satoshi | |
| 基本情報 | ||
| 国籍 | ||
| 生年月日 | 1978年4月17日(31歳) | |
| 出身地 | 高知県高岡郡佐川町 | |
| 身長 | 178cm | |
| 体重 | 73kg | |
| 血液型 | A型 | |
| 選手情報 | ||
| 在籍チーム | ガンバ大阪 | |
| ポジション | DF | |
| 背番号 | 5 | |
| 利き足 | 右足 | |
| クラブチーム1 | ||
| 年 | クラブ | App (G) |
| 1996-2000 2001- |
ジェフユナイテッド市原 ガンバ大阪 |
128(5) 239(28) |
| 代表歴2 | ||
| 2009- | 2 (0) | |
| 1. 国内リーグ戦に限る。2008年12月30日現在。 2. 2009年5月31日現在。 ■Template(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
||
山口 智(やまぐち さとし、1978年4月21日 - )は、高知県出身でガンバ大阪所属のサッカー選手。ポジションはディフェンダー(センターバック、ストッパー)。
目次 |
[編集] 略歴
佐川SSから佐川中学校と中学まで過ごした高知県を離れ、高校年代ではプロを目指しジェフユナイテッド市原ユースに所属。1996年3月20日、対京都パープルサンガ戦にJリーグ初の高校生Jリーガー(17歳354日・当時最年少記録)としてトップデビューした。この記録は2年後に、当時チームメイトであった阿部勇樹に破られるまで保持し続ける(阿部の記録は16歳333日)。なお同学年ではないが佐川時代のチームメイトに吉村光示(現大阪学院大学コーチ)・吉村圭司(名古屋グランパス)兄弟がおり、サッカーが盛んではない(弱い部類に属する)高知県でJリーガーを長期間続けた選手を連続して生み出した佐川SSの実績は素晴らしいものがある。同時期に三都主が明徳義塾高校に在籍していたが、山口らはユース世代になってから県外に出たので対決はしていない。
2001年にジェフ市原からガンバ大阪に期限付き移籍。翌2002年に完全移籍を果たす。
2006年、日本代表に選出される。初出場は2009年5月27日のキリンカップサッカー・対チリ戦(後半33分、長谷部誠から交代)。
[編集] プレースタイル
本人自身「ACミラン時代のデサイーや、同じくミランのガットゥーゾが好き」と語るように“いぶし銀的潰し屋ボランチ”を好むが、市原、ガンバ大阪時代を通しチーム事情もあってディフェンダーとして定着している。
セットプレーからのヘディングシュートが得意で、身長178cmながら強靭なフィジカルを生かした得点力にも期待が持てる。 G大阪のチームメイトであるプレースキッカー遠藤保仁からのアシストによるゴールが特に印象に強く、そのプレーはまさにホットラインと言える。
もともとボランチでのプレー経験も豊富なことから、足元でのボール扱いには定評があり、 その能力を生かした最終ラインからの攻撃の組み立て(ビルドアップ)によって、ガンバ大阪の持ち味である攻撃力を後方から支える重要な選手。市原時代にはフリーキックをまかされたこともある。
2006年からはガンバ大阪のゲームキャプテンを任されている。主に3バックの左CBを務めるが、4バックの際は左サイドバックでプレーする機会もあり、中に切れ込んで強烈なミドルシュートを放つことも。
2007年以降は安田理大が左サイドバックに定着したこともあり、CB専門となっている。
[編集] 所属クラブ
ユース経歴
- 1991年 - 1993年 佐川町立佐川中学校
- 1994年 - 1996年 ジェフユナイテッド市原ユース
プロ経歴
- 1997年 - 2000年 ジェフユナイテッド市原
- 2001年 - 現 在 ガンバ大阪
[編集] 個人成績
| 国内大会個人成績 | |||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
| 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
| 日本 | リーグ戦 | ナビスコ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
| 1996 | 市原 | - | J | 12 | 0 | 2 | 0 | 1 | 0 | 15 | 0 |
| 1997 | 市原 | 5 | J | 28 | 2 | 8 | 0 | 1 | 1 | 37 | 3 |
| 1998 | 市原 | 5 | J | 30 | 1 | 6 | 1 | 1 | 0 | 37 | 2 |
| 1999 | 市原 | 5 | J1 | 29 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 30 | 0 |
| 2000 | 市原 | 5 | J1 | 29 | 2 | 3 | 0 | 3 | 0 | 35 | 2 |
| 2001 | G大阪 | 5 | J1 | 22 | 2 | 3 | 0 | 3 | 0 | 28 | 2 |
| 2002 | G大阪 | 5 | J1 | 29 | 2 | 8 | 1 | 2 | 0 | 39 | 3 |
| 2003 | G大阪 | 6 | J1 | 29 | 2 | 6 | 1 | 2 | 1 | 37 | 4 |
| 2004 | G大阪 | 6 | J1 | 27 | 5 | 7 | 1 | 3 | 1 | 37 | 7 |
| 2005 | G大阪 | 6 | J1 | 33 | 3 | 9 | 0 | 3 | 1 | 45 | 4 |
| 2006 | G大阪 | 6 | J1 | 32 | 6 | 2 | 0 | 5 | 0 | 39 | 6 |
| 2007 | G大阪 | 6 | J1 | 33 | 3 | 11 | 2 | 4 | 0 | 48 | 5 |
| 2008 | G大阪 | 5 | J1 | 34 | 5 | 3 | 0 | 5 | 2 | 41 | 7 |
| 2009 | G大阪 | 5 | J1 | ||||||||
| 通算 | 日本 | J1 | 367 | 33 | 68 | 6 | 34 | 6 | 472 | 41 | |
| 総通算 | 367 | 33 | 68 | 6 | 34 | 6 | 472 | 41 | |||
- 1996年は、ユース所属
| 国際大会個人成績 | FIFA | |||||
|---|---|---|---|---|---|---|
| 年度 | クラブ | 背番号 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 |
| AFC | ACL | クラブW杯 | ||||
| 2006 | G大阪 | 6 | 6 | 2 | - | |
| 2008 | G大阪 | 5 | 12 | 3 | 3 | 0 |
| 2009 | G大阪 | 5 | 6 | 1 | - | |
| 通算 | AFC | 24 | 6 | 3 | 0 | |
[編集] 経歴
- Jリーグ初出場 - 1996年3月20日 Jリーグ第2節 vs京都パープルサンガ(西京極陸上競技場)
- Jリーグ初得点 - 1997年9月3日 Jリーグ2nd第9節 vsアビスパ福岡(市原臨海競技場)
- Jリーグ100試合出場 - 2000年3月11日 Jリーグ1st第1節 vs 京都パープルサンガ 市原臨海競技場
[編集] 個人タイトル
[編集] 代表歴
- U-19日本代表
- 1996年 - AFCユース選手権出場
- U-20日本代表
- 1997年 - FIFAワールドユース(U-20)選手権出場
- U-23日本代表
- 2000年 - シドニーオリンピック予備登録メンバー
- 日本代表
[編集] 試合数
- 国際Aマッチ 2試合 0得点(2009年 - )
| 日本代表 | 国際Aマッチ | |
|---|---|---|
| 年 | 出場 | 得点 |
| 2009 | 2 | 0 |
| 通算 | 2 | 0 |
|
|||||||||||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||||||||||||||

