山上憶良

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文学
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山上 憶良(やまのうえ の おくら、(斉明天皇6年(660年)? - 天平5年(733年)?)は、奈良時代初期の歌人。万葉歌人。従五位下。下級貴族の出身(中西進ら文学系研究者の一部からは百済帰化人説も出されている)で、は臣(おみ)。

[編集] 人物

702年の第七次遣唐使船に同行し、に渡り儒教仏教など最新の学問を研鑽する。帰国後は東宮侍講を経た後、伯耆守筑前守国司を歴任しながら、数多くの歌を詠んだ。

仏教儒教の思想に傾倒していたため、死や貧、老、病などといったものに敏感で、かつ社会的な矛盾を鋭く観察していた。そのため、官人という立場にありながら、重税に喘ぐ農民や防人に狩られる夫を見守る妻など社会的な弱者を鋭く観察した歌を多数詠んでおり、当時としては異色の社会派歌人として知られる。

抒情的な感情描写に長けており、また一首の内に自分の感情も詠み込んだ歌も多い。代表的な歌に『貧窮問答歌』、『子を思ふ歌』などがある。『万葉集』には七十八首が撰ばれており、大伴家持柿本人麻呂山部赤人らと共に奈良時代を代表する歌人として評価が高い。

[編集] 作品

神代(かみよ)より言(い)ひ伝(つ)て来(こ)らくそらみつ大和(やまと)の国(くに)は皇神(すめらのかみ)の厳(いつく)しき国言霊(ことたま)の幸(さき)はふ国(くに)と 語(かた)り継(つ)ぎ言(い)ひ継がひけり

(「神代欲理 云傳久良久 虚見通 倭國者 皇神能 伊都久志吉國 言霊能 佐吉播布國等 加多利継 伊比都賀比計理」『万葉集』巻5-894)

世の中を憂しとやさしとおもへども飛びたちかねつ鳥にしあらねば

[編集] 歌碑

筑後筑豊地方の嘉麻市などに歌碑が多数存在する(有名な句はほとんどこの地で詠まれている)。

また、「子等を思う歌一首」とその反歌とが、岐阜県神戸町の神戸町役場に、書家の日比野五鳳氏による書として彫り込まれたものがある。

ウィキクォート
ウィキクォート山上憶良に関する引用句集があります。