屠蘇

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屠蘇器(漆器製)。左が盃台に載せられた盃、右が銚子。

屠蘇(とそ)または、お屠蘇(おとそ)とは、一年間の邪気を払い長寿を願って正月に呑む縁起物のであり風習である。

概要[編集]

「屠蘇」とは、「蘇」という悪鬼を屠(ほふ)るという説や、悪鬼を屠り魂を蘇生させるという説など、僅かに異なる解釈がいくつかある。数種の薬草を組み合わせた屠蘇散(とそさん)を赤酒日本酒みりんなどに浸して作る。

屠蘇は、通常、屠蘇器(とそき)と呼ばれる酒器揃えによって供される。屠蘇器は、屠蘇散と日本酒・味醂を入れる銚子(ちょうし)、屠蘇を注ぐ、重ねた盃をのせる盃台、これらを載せるからなる。屠蘇器には、漆器製陶磁器製ガラス製など様々な種類がある。

小・中・大の三種のを用いて飲むが、「一人これを呑めば一家病無く、一家これを呑めば一里病無し」と言われ、日本の正月の膳などに呑まれる。

元日の朝、年少の者から年長の者への順に頂く[1]

屠蘇散[編集]

屠蘇散の一例
日本酒に溶け込んだ屠蘇散

屠蘇散の初出は、一説には三国時代の名医・華佗の処方によるものと言われている[要出典]。その処方は『本草綱目』では赤朮桂心防風抜契大黄鳥頭赤小豆を挙げている。現在では山椒細辛防風肉桂乾薑白朮桔梗を用いるのが一般的である。人により、健胃の効能があり、初期の風邪にも効くという。 時代、地域などによって処方は異なり、最近ではトリカブト(煎ってよく加熱しないと猛毒)やダイオウ(下剤としても使われる)など作用の強い生薬は使われない[要出典]

漢方薬と同様、ある人物の胃弱や風邪に効いたからといっても、他者にあてはめるのは危険である。白朮ひとつとっても、むくむほど水分滞留体質の人にはよいが、水分不足体質や水分代謝機能の高い体質の人が飲むと、炎症悪化や血行不良等につながる恐れがある。生薬や屠蘇散の処方に関する専門知識を有する者に、飲用の是非を尋ねることが望まれる。もしくは食用レベルにまで処方量を減らし、薄めることが無難である(疾病に対し医師より処方される医薬品漢方は、煎じ薬換算で=一日分量20g程度。これに対し市販の屠蘇散の一回量は1割程度の2g程度であるため、食用範囲であり、かつ医薬効能は見込めない”気休め”程度である)。

風習[編集]

正月に屠蘇を呑む習慣は、中国ではの時代から確認できるが[2]、現在の中国には見当たらない[3]。 日本では平安時代から確認できる。

廿九日、大湊にとまれり。くす師ふりはへて屠蘇白散酒加へてもて來たり。志あるに似たり。元日、なほ同じとまりなり。白散をあるもの夜のまとてふなやかたにさしはさめりければ、風に吹きならさせて海に入れてえ飮まずなりぬ。芋し(もカ)あらめも齒固めもなし。かやうの物もなき國なり。求めもおかず。唯おしあゆの口をのみぞ吸ふ。このすふ人々の口を押年魚もし思ふやうあらむや。今日は都のみぞ思ひやらるゝ。「九重の門のしりくめ繩のなよしの頭ひゝら木らいかに」とぞいひあへる。

紀貫之土佐日記

宮中では、一献目に屠蘇、二献目に白散、三献目は度嶂散を一献ずつ呑むのが決まりであった。貴族は屠蘇か白散のいずれかを用いており、後の室町幕府は白散を、江戸幕府は屠蘇を用いていた[4]。この儀礼はやがて庶民の間にも伝わるようになり、医者が薬代の返礼にと屠蘇散を配るようになった。現在でも、薬店が年末の景品に屠蘇散を配る習慣として残っている[5]

年末が近くになると一部の薬局・薬店でティーバッグタイプの屠蘇散が販売・もしくは味醂に添付されている場合がある。日本酒・味醂などをコップなどの容器に注ぎ、袋に入った屠蘇散を大晦日の夜に浸けて元旦に頂く(生薬が原料で独特の香りと味がする。好みによって酒類や砂糖などの甘味を調製する)。

画像一覧[編集]

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 大紀元「お屠蘇」
  2. ^ 「中国古代の年中行事 第一冊 春」p94 2009年 中村裕一著 汲古書院 なお、同書では、梁の「荊楚歳時記」における屠蘇酒への言及は、青木正児・中村喬らが既に指摘するように、後代のものの混入であり、恐らく隋の杜公瞻の注に基くのではないかとしている。(そうであれば屠蘇酒の習慣は隋に遡ることができる。)
  3. ^ 「中国古代の年中行事 第一冊 春」p90
  4. ^ 「年中行事事典」p542 1958年(昭和33年)5月23日初版発行 西角井正慶編 東京堂出版
  5. ^ 「年中行事事典」p542 1958年(昭和33年)5月23日初版発行 西角井正慶編 東京堂出版