屋台の目ぇ

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屋台の目ぇ』(やたいのめぇ)は、1993年10月4日1994年9月2日まで毎日放送で放送された関西ローカル生放送情報バラエティ番組。放送時間は毎週月曜~金曜16:00~17:00。

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[編集] 概要

それまで同局14時台にて放送されていた自社製作ワイドショー『奥さん!2時です』『スタジオ2時』『ワイドYOU』『ごきげん2時』『きらめきワイド』『レインボー』に代わる新たな自社製作番組として放送開始。

家庭の主婦を視聴者層に想定した内容で放送されていた前番組群から一転して、この番組では10代を中心とする若い世代がターゲットに選ばれた。前番組『レインボー』の放送終了を機に、毎日放送は14時台をTBSテレビ製作の番組『スーパーワイド』のネット受け枠に切り替え、同自社製作枠を多くの学生達が下校・帰宅し始める16時台へと移した。そして、当時同局で放送されていた深夜番組『テレビのツボ』のレギュラー出演者及び制作関係者を起用することでバラエティ番組路線を目指し、若年層の食い付きを図った。また、『レインボー』まで実施していた山陽放送中国放送等の西日本地域の系列局への広域ネットを中止し、完全なローカル番組となった。

この番組は、屋根の上に据え付けられた目玉のマークのオブジェを筆頭に、様々な装飾が施された移動式の屋台1台を番組用のセットに使用していた点が大きな特徴として挙げられる。どこにでも移動が可能な屋台の特性を生かし、番組前期では毎日放送本社内(主に玄関前や玄関ホール、社内吹き抜け部分の渡り廊下など)を中心に様々な場所から放送が行われた。

番組が後期に入った1994年4月からは同局地下1階スタジオ内からの生放送となり、番組視聴者が観客として来場することの出来る公開番組として放送されるようになった。同時に、出演者に当時人気の吉本若手芸人達を加え、彼らを日替わりレギュラー陣として起用した。そういったことや、番組の放送時間が学生の下校時間と重なる関係から、女子中高生を中心に支持を得るようになった。

土曜深夜には、この番組の一週間分の放送内容をまとめた『屋台のツボ』という番組が放送されていた。しかし、こちらは僅か3ヶ月で打ち切られてしまった。

[編集] 出演者

日替わりレギュラーと屋台中継担当は1994年4月より登場。

[編集] 司会

[編集] 日替わりレギュラー

[編集] 屋台中継

[編集] 主な放送内容

番組開始から1994年3月放送分までを前期、リニューアルが行われた1994年4月以降を後期として説明する。

[編集] 前期の内容

この当時は、視聴者から寄せられた疑問・質問に対しスタッフが調査を行い、その調査結果を基に出演者達が行うトークによって解決するという内容で放送されていた。関西圏の番組らしく、構成上トークが重視されていた。

視聴者から寄せられた疑問・質問の一例

[編集] 後期の内容

1994年4月以降は、視聴者から寄せられた疑問・質問に対し行った調査結果を、出演者達がスタジオ見学に訪れている女子中高生達に紹介するという形で主に放送されるようになった。調査結果の報告は『はぁー、へぇー、ほぉー』のコーナーにて行われ、さながら単発バラエティ企画のような雰囲気であった。他、番組の冒頭では、1994年当時流行していた歌を、大桃にスタジオ内で無理やり歌わせる企画『納涼! カラオケ合いの手』などのバラエティ企画が放送された。

番組内で紹介された調査結果の一例
  • 『月刊むし』『月刊ボディビルディング』など、街の書店で見つけたマニアックな雑誌の紹介
  • その昔一世を風靡したお笑い芸人達のギャグの紹介

[編集] エピソード

初回放送は、同日未明に起こった「モスクワ騒乱事件」の報道特番を、番組内で紹介しながら始まった。

藤岡が東京からの移動の際に使用していた東海道新幹線のぞみが、車両故障により大幅に遅延。その列車に乗り合わせていた藤岡は当然ながら30分近く遅刻し、私服姿のままで番組に出演したということがあった。

[編集] 放送終了後の経緯

通常よりも1ヶ月早めに実施された1994年秋の毎日放送の夕方枠再編を受けて、この『屋台の目ぇ』は放送を終了。それまで直後の17時台に設けられていたテレビドラマ再放送枠が番組跡地の16時台へと移動し、その17時台には後継番組である『宵待5』が編成された。