尾上縫
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尾上 縫(おのうえ ぬい、1930年 - )は、大阪府大阪市の料亭「恵川」の元経営者。1980年代末、一時的にとはいえ天文学的な単位の額の資金を運用し、バブル景気を象徴する人物の1人とされた。バブル景気の末期には、株式の購入代金の資金繰りが悪化、金融機関を巻き込む詐欺をはたらいて逮捕、起訴され、有罪判決を受けた。
[編集] 人物
客に対して行った株式相場や競馬などの予想が当たることから評判を呼び、料亭は繁盛した。特に、バブル景気前夜の頃は、予想も神懸かり的になり、多くの証券会社や銀行の関係者が訪れ、料亭経営者ではなく占い屋として知られていたという。
やがて、自らも銀行から多額の融資を受け、株式の売買を行うようになった。バブル景気最高潮期の1988年には、2270億円を金融機関から借り入れ、400億円近い定期預金を持ち、48億円の株式による利益を得て、割引金融債ワリコーを288億円購入し、55億円の金利払いをした。
しかし、バブル景気に陰りが見えるとたちまち運用が悪化し負債額が天文学的に増加。以前から手を染めていた詐欺行為を本格的に始める。かねて親交のあった東洋信用金庫支店長らに架空の預金証書を作成させ、それを別の金融機関に持ち込み、担保として差し入れていた株券や金融債と入れ替え、それらを取り戻す手口が中心だった。逮捕されるまでにノンバンクを含む12の金融機関から3420億円を詐取した。
やがて証書偽造が発覚、1991年8月13日、詐欺罪で逮捕されるに至った。金融機関からの借入金総額は、のべ2兆7736億円、支払額はのべ2兆3060億円に達した。留置所で破産手続きを行った際の負債総額は4300億円で、個人としては日本で史上最高額だった。
裁判で尾上の弁護人は、尾上に株式の知識が全くなく、周囲に踊らされていただけであり、責任能力はないと主張したが認められず、懲役12年の実刑判決を受けた。
巨額の融資を行った日本興業銀行は富士銀行と合併しみずほコーポレート銀行(存続会社は富士銀行)となり、また、東洋信金は経営破綻し府下の複数の信金へ分割併合されており共に現存していない。
1970年暮れ清風高校校長を経験した平岡静人によって高野山金剛峯寺報恩院で得度の路を開かれた。平岡が付けた得度名は純耕。また平岡一族が主催するインド仏教寺院(ギュメ寺)開眼ツアーに参加したほど平岡一族と親密であった。この時、尾上縫は2000万円をギュメ寺に寄進したが平岡一族は自分達が寄進したと主張している。また同ツアーで尾上縫は平岡ともどもダライ・ラマに面会している。その後、平岡はダライ・ラマを念仏宗無量寿寺に紹介した。

